福岡県に本社を持つグリーンリバーホールディングス株式会社は、IoTを活用した次世代型農業システムで注目を集めるベンチャー企業だ。

グループ内で開発した縦型水耕栽培装置「バイグロウ」は、既存のビニールハウスを活かしつつバジルなどを立体的に栽培し、一般的な露地栽培と比較して約10倍以上の収穫を可能にする。

さらに独自の「IoT統合環境制御システム」により、養液や温湿度などの遠隔制御ができることは農業ノウハウの共有や労働力不足の解消にもつながるため、農業への新規参入を容易にした。これらは地方の活性化にもつながる事業となることから、自治体などからも多くの関心を向けられている。

もともとは建設業に携わっていた同社だが、代表取締役・長瀬勝義氏は地方の一次産業に最先端の技術を掛け合わせることにより、新しい農業の形を生み出した。

斜陽産業とも言われている農業に着目した長瀬社長に、その狙いと今後の展望を伺った。

1億5,000万円の負債からのスタート

-ご実家は九州で建設業を営んでおられたと伺いました。経営者としてのお父様の姿を見て、当時どんなことを感じていらっしゃったのでしょうか?

長瀬 勝義:
父は宮崎県都城市で、建設現場の足場やコンクリートの型枠などを請け負う会社を経営していました。最盛期には400人近くの社員を抱えていて、私たち兄弟も放課後は現場で手伝いをするのが日課でしたね。

地方で仕事を受注し続ける難しさや職人を集める大変さも、父を身近に見て感じていました。

私には兄がいたため、両親は私に兄を支える立場になってくれることを望んでいたと思います。

当時は親の決めた進路に従うことに迷いもありましたが、大学で経営を学んで経理や財務、法律を幅広く身につけられたことは、その後の役に立っています。卒業後は父の会社に入社しました。


-ご入社後、内部からお父様の会社を見て、いかがでしたか。

長瀬 勝義:
初めて内部から会社を見て、驚くべきことがわかりました。経理機能を持つ総務部に入って決算書を見たのですが、全く辻褄が合わないのです。

実際には多額の負債があるのに、両親は各担当者に数字を任せきりで、本当の経営状況に気が付いていませんでした。部署の上司は辞めてしまい、私は入社2年目には一人で財務を担当するような状況になってしまいました。


-社会人2年目にして重要なポジションを担われたのですね。当時業務を進めるにあたってどのようなことを意識していましたか?

長瀬 勝義:
会社の母体は大きかったのですが、多くの職人さんを雇うことで成り立っていた会社だったので資金繰りは大変でした。

私は担当者の懐に入ることに務め、わからないことは隠さず、教えてもらう姿勢で臨んでいました。教えてもらったことはスポンジのように知識を吸収して、なんでもチャレンジしていきました。

九州新幹線の仕事を受注したころには、過去の数字を預かる財務だけでなく、お金を生み出す現場も経験したいと考えて営業や施工管理の仕事に移りました。

もともとモノづくりは好きでしたから、そこで営業や工法を覚えていきました。先進的な特殊工法や資材を取り入れていた会社だったので、やりがいはありましたね。


-その後、企業の再建は順調に進まれたのでしょうか?

長瀬 勝義:
実は下請け事業の粗利が低かったため、財務状況は悪化するばかりでした。私は父に会社の経営を見直すことを強く求め、何とかやり直す道筋をつけてから、久留米の借地を買い取ることを条件に独立しました。

それがグリーンリバーの出発点です。1億5,000万円の借金を背負いましたが、それまで立て直しに奔走してきたため、自分で事業をやってみたいという思いが強くなっていったんですね。社員3名でのスタートでした。

特許取得で気付いた農業ビジネスの可能性

-現在の農業ビジネスは、当初からお考えだったのでしょうか。

長瀬 勝義:
いえ、始めは九州新幹線工事の経験を生かして、北陸新幹線の現場で仕事をしました。ただ、南国の南九州と雪国の北陸とでは勝手が違い苦労しましたね。一時期は知人の会社の傘下に入れてもらったこともありました。

転機となったのは、株式会社九電工から太陽光発電所の造成工事を請け負ったことです。私はそれ以前に太陽光発電設備のコンクリートの基盤を並べる工法で特許を取っており、それが標準工法として採用されたのです。

さらに土木ができる会社として、施工の仕事も大量に受注することができました。下請けとはいえ、自分で考えた特許を使用しているため、これまでの何倍もの利益を出すことができたのです。

農業に事業モデルを見出したのは、その経験がきっかけになりました。

私の取得した特許は、これまで工程別に何種もの専門業者が入れ替わりながら作業していたコンクリートの基盤を作る作業を効率化し、一人で複数の作業や工程を担当できるよう多能工化するものでした。

太陽光での成功により、特別な産業を生み出すのではなくても、既存の産業の生産性を格段に上げることができれば、新しい産業に生まれ変わることができるとわかったのです。

だから、どこにでもありながらまだ昔ながらの仕組みを続けていて、しかし何か新しいやり方を取り入れれば格段に拡大するであろう事業として、農業に着目しました。取り組みは2015年から始めています。

農業の3つの壁を超えられる「水耕栽培」の魅力

2018年10月に行われた「EY Entrepreneur Of The Year 2018 Japan」の九州地区代表候補になり、話題となった。

-なぜ、バジルを中心とする水耕栽培を手掛けることにされたのでしょうか?

長瀬 勝義:
農業への新規参入を阻む3つの障壁をもっとも乗り越えやすいと思ったからです。

まず、植物を育てることは難しいという思い込みがありますが、本当に重要なのは土なのです。上手な土づくりに農家は力を注ぎ、ノウハウも必要になります。プランターならともかく、広大な畑に適した調合の土を均一に用意することは難しいですが、水なら成分を撹拌するだけで均一に混ざり、しかも数値として計りやすくなります。

水耕栽培は身近でないだけで、実は土よりも簡単に育てられます。さらにセンサーによって数値を視覚化し、私たちがシステムで遠隔管理することで成分の配合も自動化できるので、機械が苦手な方でも栽培ができます。水耕栽培なら、現場に栽培のノウハウがなくても農業を可能にできるのです。

次に農地の問題には、既存の設備であるビニールハウスを活用することで容易に取り組めるようにしました。

最先端の工場ではLEDを使用し、白衣を着て栽培をしていますが、私は地方にそういった工場ばかりが広がる光景を想像できません。農業の現実を見てきたからこそ、農業にはある程度の自由があるからいいと思うのです。ビニールハウスならもともとありますし、太陽光を利用できます。立体的に栽培すれば、狭い面積でも生産性をあげることができます。

最後に、作っても販路がないという問題には、当社のグループが仲卸企業や食品メーカーと提携することにより、安定した価格で流通できる体制を整備しました。

作物には、条件を整えると増えやすく、1株で次々と収穫ができて、日本人に馴染みのある高単価なハーブとしてバジルを選びました。現在はわかりやすさを優先して単一栽培型のモデルを取っていますが、今後は転換できる作物も増やしていきたいと思っています。

チャレンジによるリスクを軽減できる仕組みを創りたい

-今後、御社の事業をさらに飛躍させるために、構想されている取り組みなどはございますか?

長瀬 勝義:
我々の設備やパッケージを導入していただくためには、ある程度の初期投資が必要になりますが、大きなリスクを取らなければ新しい事業を始められないという現実は望ましいものではありません。

さらに既存の農業系のファイナンスには実績を必要とするものが多く、新規参入のハードルが高いと感じています。仮に何とか借りられたとしても、借金を背負っていると、失敗することも辞めることも容易にできなくなってしまいます。

常にリスクと隣り合わせであるならば、チャレンジする人は減ってしまいます。そのため、私たちが手掛けるスマートアグリファーム用のファンドの創成を考えています。アセットは私たちが所有し、農業利用者はレンタルという形をとってファンドを運営していくのです。利用者は採算が取れればリターンを受けることができます。

今後、会社をリタイアして故郷の農業に目を向ける人も増えてくるはずです。そんな時に大きすぎるリスクを背負うことなく、新しいチャレンジができるような仕組みを創っていきたいですね。

各地で事業説明会を開催していますが、条件さえ整えば農業をやりたいと思っている人はたくさんいると感じています。我々がファイナンスを手掛けることで、さらなるスケールアップが可能になるのではないでしょうか。

当社の事業を広めるためにも、設備のコストはどんどん下げる努力をするつもりです。野菜はキロ単位で販売するので、設備にかけるお金が減れば、同じ期間で単価の高い作物をつくることができます。

利用者のリスクも減りますし、事業を中長期的に見る視点も生まれます。よい装置を作りつつ価格を下げて、ユーザーを増やしていきたいですね。


-日本の農業について、長瀬社長が描いている展望をお聞かせください。

長瀬 勝義:
これからの農業には、どんどん新しい風が必要だと感じています。

一次産業なので直接的な雇用が生まれ、土地の活用にもなります。私たちが栽培装置を売るだけでなくノウハウも提供し、流通までの全てを手掛けようとしたのも、新規参入の失敗を減らし、農業を変えたかったからです。

農業には不思議な魅力があります。日本人には植物に触れると落ち着くようなDNAが組み込まれているんじゃないかな。私たちは高いと思われている農業参入の壁を少しでも低くして接点を増やし、地域に新しい未来を創っていきたいと思っています。

編集後記

自らが常に大きなリスクと隣り合わせで幾多の困難を乗り越えてきたからこそ、新しいチャレンジに踏み出したい人に初期のハードルを下げたいと語った長瀬社長。地域の土地を活用し、雇用を生み、流通も手掛けるという同社のビジネスには、日本の農業および地方創生の起爆剤ともなりうる可能性が感じられた。

長瀬 勝義(ながせ・かつよし)/宮崎県出身。九州産業大学経営学部卒業。実家である建設会社に入社した後、独立し2003年にグリーンリバー株式会社を設立する。2014年グリーンリバーホールディングス株式会社を設立。2015年、農産物栽培を手掛ける子会社グリーンラボ株式会社を立ち上げる。