シーラテクノロジーズの杉本宏之会長は、今でこそ大きな実績を残している人物ですが、サブプライム危機をきっかけに会社は倒産、自己破産へと転落してしまった経験を持っています。

起業し、経営を軌道に乗せるということは簡単なことではありません。ふとしたきっかけで良くない方向へと向かってしまう可能性もありますが、良い方向へと向かっていく可能性もあります。そのきっかけがいつ自分自身のもとへやってくるか分からないため、準備をしておくこともできないでしょう。

そんな中で大きな挫折から立ち直ることができた杉本宏之会長が、今に至るまでの生い立ちや価値観などについてインタビューで探ってきました。

HPや最新のインタビュー記事もありますので、併せてご覧ください。

【公式ホームページ】株式会社シーラテクノロジーズ(SYLA Technologies Co., Ltd.)

【インタビュー記事】給与9万円増にボーナス前倒しも。社員への”姿勢”が結束を強める

ーまずは、杉本会長自身の生い立ちから教えていただけますか?

杉本会長:
1977年に茨城県で生まれ、神奈川県川崎市で育ちました。不動産業界で事業を行っていた父親はバブル崩壊をきっかけに失敗してしまい、13才の頃に母親を亡くしました。

その後、生活が困窮し生活保護を受けるまでになり、お風呂がない四畳半のアパートでの生活を余儀なくされていました。

高校時代は生活もかなり苦しかったので、バイト代は家にしっかりと入れていましたが、多感な時期なので、苦しい生活が原因で父親とはよく喧嘩をしていて、いつもの口げんかがきっかけでヒートアップしてしまい、刃傷沙汰になったこともあります。

今となっては、あの頃の経験があったからこそ、鍛えられたと思っていますし、父の想いや行動がようやく理解出来る歳になり、感謝の気持ちしかありません。でも当時はそこまでに思い至らず同じ空間にいるとケンカばかりでした。(笑)

ー高校を卒業してからはすぐに働き始めましたか?

杉本会長:
いえ、高校を卒業してからは、専門学校で宅建の資格を取るために勉強をしていました。宅建の資格を取ってから専門学校はすぐに中退し、導かれるかのように父親と同じ不動産業界に飛び込みました。

そして、就職してから事件は起こりました。

営業マンとして働き始め、初任給をもらった矢先に父親が蒸発したんです。しかも、初任給のおよそ半分くらいを勝手に引き出されていて…。

父親が蒸発してしまったことによって、親しい身内は誰もいなくなってしまったので、1人で生きていかなければいけないという自覚を持つようになりました。

奇しくもそれがきっかけで、僕はモーレツに働き、トップ営業マンに登り詰めることができたんですね。

これは家庭環境の変化が要因と断言して間違いないと思います。繰り返しになりますが、今となっては本当に父のお陰だと思っています。

ーその後、24歳で起業をしていますが、どうして起業しようと思ったのでしょうか?

杉本会長:
当時マンションディベロッパーで働いていたのですが、その中で都心のワンルームマンションのデザイン性に疑問を抱いていました。

木造アパートよりちょっとマシなデザインのワンルームマンションしか当時はありませんでした。これは働いていた業界だけの問題というより、日本全体がまだまだ「デザイン」が持つ力に気付いていなかったのだと思います。

僕は当時から、家賃をもう少し高くしてもデザイン性と機能性に優れていれば、ワンルームにも新しい需要があるのではないかと考えていました。

今やWebもUI(※)のデザイン次第、家電すらもデザインの力なしでは売れないと言われる時代ですが、20年以上前はワンルームにデザインが付加価値をもたらすとは、誰も考えていなかったんです。
※User Interfaceの略、Webサイトだと表示されるサイトの見た目全て、製品だと外観のことを意味する。

でも、何よりも、自分自身がスタイリッシュなワンルームマンションに住みたいという思いが強くあったので、それを実現したいと考えていたんですよね。

それで、今ないのであれば自分自身で作ってみたいと思ったんです。

つまり、自分が欲しいと思うものを世の中に提供したいという純粋な気持ちが強くあったからこそ、起業へと踏み出せたのだと思います。

ー起業したばかりの頃は順調な経営だったように見えますが、リーマンショックに至るまでの経緯を教えていただけますか。

杉本会長:
決して順調だったわけではありません。

起業してから6ヶ月ほど経った頃に資金繰りが底をつきそうになりました。しかしなけなしのボーナスをだそうと頑張ったところ、創業メンバー達がそれを察知し、ボーナスを返してくれるという事件が起きました。

そこから、社員との絆が深まり、会社が一つになり、一気に4年で売上180億円を超えるまでに成長し、上場を果たしました。そこまでは神が味方したと思える程のサクセスストーリーになっていました。

しかし、それから、およそ1年半経った頃、2007年の夏頃にサブプライムローン問題が発生しました。これにより、右肩上がりだった不動産価格が徐々に下落し始めました。

マーケットの変調によって、融資は滞り、不動産会社の倒産が増えていき、更に銀行も融資を絞るという悪循環に陥りました。レバレッジをきかせ、業績を拡大していた我が社も一気に転落してしまいました。

サブプライムローン問題が発生するまでは、分かり易く言うと、短期で借りられるだけお金を借りて不動産を購入し、販売するという流れを繰り返していました。

そのため、銀行からお金を借りられないというのは深刻な打撃どころか、会社の死を意味しました。

そして、あっという間に赤字になってしまい、数か月で債務超過に陥り、利息すら払えないという状況になってしまったのです。

さらに、2008年9月のリーマンショックによって、その状況はさらに絶望的なものになりました。その結果、2009年3月に民事再生を申請することになってしまい、多くの方にご迷惑をおかけしました。

人生で最も大きな失敗であり、挫折でもありました。自分なりには信念をもってやってきたことが一気に崩れていくのは精神的にかなりきついものでしたね。

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