ござ問屋、畳問屋として1892年に創業し、1962年に合成樹脂製の糸をつくる会社へと分社化して誕生した萩原工業株式会社は、以後、一貫して合成樹脂製の糸「フラットヤーン」に関連する事業に特化している東証一部上場企業だ。

事業を一点集中させると業界の好不況のあおりに強く影響を受けてしまうものだが、同社はこのコロナショックの中でも一定の収益を上げ続けている。

その要因と、この「アフターコロナ」をどのように捉え、乗り越えようとしているのか、代表取締役社長の浅野和志氏に話を伺った。

※本ページ内の情報は2020年6月11日時点のものです。

競合を増やすリスクをあえて選択した理由

―現在に至るまでの御社の歩みについて、お教えいただけますでしょうか。

浅野和志:
弊社がある岡山県倉敷市は、元々埋め立て地で作物が実らない土地です。そのため、綿やイグサを栽培して、1892年にござを製造する会社として始まりました。

しかし、ござの経糸に使う綿の品質は不安定で、価格も相場に大きく左右されます。安定した品質と価格で供給できるよう、合成樹脂製の糸をつくることになり、1962年、萩原工業としてスタートを切りました。

弊社の強みの1つとして、モノづくりに使う機械から自社でつくれるということがあります。そのため、今は糸だけでなく機械も販売しています。


―モノを販売するだけでなく、モノをつくる機械自体も販売してしまうと競合を増やすことになりますよね?

浅野和志:
そうなんです。私も入社したとき、「なぜ機械を売ってしまったのか? ライバル会社を増やすだけではないか?」と疑問に思ったんですよ。

しかし、創業者の萩原賦一は「フラットヤーン事業を世界へ広めることが大切だ。勝つ、負けるではなく、広めることで事業全体が拡大し、ニーズも拡大する」と考えたそうです。


―素晴らしいお考えですね。実際に事業やニーズは拡大していったのでしょうか。

浅野和志:
そこからフラットヤーン市場は活性化しましたが、フラットヤーンの機械事業は、市場に機械が普及した後、1980年代後半から衰退していきました。

しかし、フラットヤーンで培った技術を活かし、現在自社で扱っているスリッター(紙やフィルムなどの幅が広いものを裁断する機械)事業に最後発で参入し、結果として事業の拡大につながりました。

今では合成樹脂事業で75%、機械事業で25%の売上をあげるまでになっており、創業者の思惑通りに推移していますね。

私たちの生活に密接に関係している合成樹脂

主力製品『バルチップ』はトンネルやショッピングモールなど、私たちの身近な場所で使用されている。

― 合成樹脂ですが、具体的にはどのような領域で利用されていらっしゃるのでしょうか?

浅野和志:
実は、フラットヤーンは弊社がつくったということは表に出にくいのですが、生活の色々なところで使われているんですよ。

たとえば、糸を細かく裁断した形状の「バルチップ」という製品は、コンクリートに混ぜ込むことでひび割れ抑制や耐久性を向上させる資材として世界中で使用されています。

高速道路のトンネルに使われたり、ショッピングモールの床材に混ぜ込んだりと、バルチップは応用範囲が広いですね。他にも、ハンディモップの糸や人工芝の糸など、さまざまな場面で弊社のフラットヤーンが使われています。

成長を後押しする「コアコンピタンス経営」とは

フラットヤーン事業で取り扱う合成樹脂

―御社はフラットヤーン事業に特化しているとのことですが、このコロナショック下でも一定の収益をあげられています。その要因は何でしょうか?

浅野和志:
確かにフラットヤーンだけにこだわってはいますが、関連する業界は1つだけではありません。たとえば災害が起こればブルーシートのニーズが高まりますし、復興となるとコンクリートに混ぜ込むバルチップの需要が高まります。

また、平時にはハンディモップや人工芝と、さまざまな商品に関われる分野だからこそ、1つの業界の好不況や災害などには影響を受けにくい経営体制となっています。フラットヤーンにこだわるコアコンピタンス経営が結果としてさまざまな事業の可能性を広げていますね。

弊社は「ハミダセ、アミダセ。」をスローガンに掲げていますが、コアコンピタンスであるフラットヤーン事業を軸に、柔軟な発想で「はみ出して」、新しい仕事を「編み出して」欲しいという想いが込められています。

創業者の口癖にも「おもしれぇ、直ぐやってみゅう」という言葉がありまして、フラットヤーン事業というコアを忘れず、面白いと思ったことをみんなで取り組んでいますね。

従業員からの意見を吸い上げることが、会社をより強くする

―今回のコロナショックは、日本経済に大きなダメージを与えました。御社では、どのような影響や変化がございましたか?

浅野和志:
おかげさまでさまざまな状況に対応できる経営体制のため、事業全体として大打撃は受けませんでした。しかし、製造業ですから、ほとんどの従業員は在宅勤務ができません。そのため、感染防止策を徹底的に講じることが必要でした。

手洗いうがい、アルコール消毒の徹底はもちろん、三密にならないように食堂に行く時間をずらしたり、会議室に分散してデスクを配置するなど、現場でなくては分からないアイデアを従業員や社員のご家族からもたくさん教えてもらいましたね。

これは常日頃から風通しの良さを意識し続けたことが功を奏していると思います。弊社の大きな強みとも言えますね。

浅野社長は定期的に従業員と昼食を共にし、直接相談を受けるなど積極的にコミュニケーションを取っている。

社員の成長と幸福を、伸ばす

―御社のコーポレートサイトで中期経営計画の中に「3つの戦略+1」というのを拝見しました。こちらはどういった目的で定めたものなのでしょうか。

浅野和志:
「技術を、磨く」と「製品を、広げる」、「市場を、創る」の3つの経営戦略に、「社員の成長と幸福を、伸ばす」という目標を加えました。

会社にとっては、従業員と顧客、株主のすべてが大切です。しかし、従業員が頑張れる状況でなければ、顧客と株主は報われません。ですので、弊社では社員を幸せにすることをもっとも高い位置づけにしています。

海外進出と新工場設立に込めた想い

―海外進出に関しては、どのようにお考えでしょうか?

浅野和志:
新型コロナウイルスの感染拡大で、海外は危ない、国内事業に回帰すべきだと考える方が増えています。しかし、私はリスクがあっても海外に挑戦することは大切だと考えています。

現在、弊社は12ヶ国に拠点を持っていますが、海外に進出することで新たなニーズに気づくことができたのも事実です。たとえば今まであまり触れることがなかったアフリカの国々では、弊社がつくるスリッターや検品機械の需要がたくさんありました。

また、オーストラリアでは灌漑(かんがい)用の池に敷く巨大なシートなど、日本では思いもよらないようなニーズがあります。特に若い社員には海外に行って、新しいニーズを発見し、勉強してほしいと考えています。

当然ですが、日本の市場は限られています。しかし世界にはまだまだ我々の知らないニーズが眠っているのだと肌で感じますね。


―2023年に岡山県笠岡市に新たに建てられる工場には、特別な想いが込められていると伺っています。

浅野和志:
この新工場は萩原工業の夢を叶える工場と考えています。

いくつかに分散していた工場を集約し、生産性の効率化を図ります。女性や高齢の社員も働きやすいように工夫をほどこします。この新工場を起点に、さらに進化する萩原工業を是非ご覧に入れたいと思います。

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編集後記

在宅勤務が難しい製造業にあっても、待機するのではなく前進することを考える浅野社長の明確かつ強い意志が印象的であった。

また、会社から社員に何かをするのではなく、社員の要望を吸い上げて反映していくという姿勢も、社長と会社の明るさにつながっているのだろう。

確かに待っているだけでは何も生まれない。「どんな状況でも大丈夫」と言い切れるのは、どんな状況でも対応していける柔軟性があることの裏返しでもあるのだ。

フラットヤーン事業をコアコンピタンスとし、「おもしれぇ、直ぐやってみゅう」の精神を引き継ぐ萩原工業。

きっと今後も、我々が思いもよらないような場面で萩原工業の製品に出会えることだろう。

浅野和志(あさの・かずし)/ 広島大学工学部卒業後、萩原工業に入社。2016年、代表取締役社長に就任。「おもしれぇ 直ぐやってみゅう」の精神で、フラットヤーンを活用できる分野すべてにアンテナを張り巡らし、事業拡大を推進。2023年には岡山県笠岡市に新工場が竣工予定。

※本ページ内の情報は2020年6月11日時点のものです。