社長名鑑

『茅乃舎だし』をはじめ『キャベツのうまたれ』など、独自のブランド戦略で全国に

株式会社 久原本家グループ本社

2014年3月 取材

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醤油蔵から5ブランド、グループ売上160億円の食品メーカーに
1893年創業。福岡県の、山に囲まれた久原村(現久山町)で始まった醤油醸造事業が原点。現在は、年間100万本以上を売り上げる『キャベツのうまたれ』などのヒット商品を持つ食品メーカーに成長。2015年6月期の売上高は、163億円(グループ連結)。 ブランドは、明太子を中心とした『椒房庵』、化学調味料・保存料無添加の調味料・食品ブランド 『茅乃舎』、『キャベツのうまたれ』など調味料を販売する『くばら』、発酵食品を使った無添加ブランド『作右衛門』、野菜をおいしく食べることをテーマに した『HiBiNa』の5つを展開し、食品製造業だけでなく、飲食業や小売業にも事業を拡げている。
『茅乃舎』は、全国の百貨店などに19店舗を展開
『茅乃舎』は、これまでになかった和のコンセプトが特徴。『高島屋』や『大丸』などの百貨店や、東京・日本橋の路面店など、全国に19店舗を展開。スーパーなどへの卸売だけではなく、オンラインの通信販売も含めた消費者への直接販売にも、積極的に取り組む。

プロフィール

企業情報

■氏名
河邉哲司
■フリガナ
カワベテツジ
■出身地
福岡県
■役職
代表取締役

■企業名
株式会社 久原本家グループ本社
■設立年(創業年)
1893年
■ホームページ
http://www.kubarahonke.com/
■所在地
福岡県糟屋郡久山町大字猪野1442番
■業種
食料品
■企業概要
グループ全体の経営管理業務、マーケティング業務、パッケージ・広告等のデザイン業務
■従業員数
850人
■最終更新日
2016/08/22

事業承継秘話

河邉

絶対家業は継がないと小さな時から言ってましたので、本当に仕方なく入ったというのが本心なんですが。最近はよく、お前は家業を継いだ時に大きな夢があって継いだのだろうと、言われますが、全然。本当に、夢も希望もなく、家業を無理やりに継がされたというのが、最初だったんですよね。

河邉

基本的にその時代は従業員6名しかいませんでしたから。しかも私どもの会社は醤油屋ですから、事務所とガラス一枚隔てて、我々の家のダイニングがあったんです。ですから基本的に会社も仕事も一体という形で、小さい時からずっと仕事の話を聞きながら、生活してきましたので、ギャップとかではなくて、そういう意味では、なんてことはなく入れたわけですが。本当に企業と言える状況じゃなかったので、まさしく家業ですよね。本当に小さな田舎の小さな醤油屋ということに、大学を卒業して、自然に仕方なしに入れられたというわけです。

河邉

従業員6名しかいない醤油屋で、ましてやその当時、福岡県の醤油屋というのは、150社あった。今でも実は107社もあるんです。ということは、一つの町に一つとか、多いとこは二つあると。そしてそれが、ほとんどが宅配です。わかりますか。一軒一軒家を訪ねて、そして醤油を補充するわけですよ。配置薬みたいな世界なんですよね。それで何とか生計を立てるという形でした。しかも元々醤油というのは、その当時はほとんどが家庭では煮つけなんですよね。ですから、たくさん使っていたんです。ところがだんだん醤油の需要が減ってくるということで、成り立たなくなってきた。業界としてどうしようもない、この醤油業界。右肩下がりで、全然将来がないということで、私も是非継ぎたくないということを、言っていたんですよね。

河邉

基本的に私と姉しかいません。もう姉は嫁いでたんですよ。そうすると、絶対父が駄目というものですから、結局仕方なくですよね。長男でもあるし。仕方ないかなということで、家業を継いだという流れなんですよ。もし誰か弟がいたり、もちろん誰かがいたら、一番に逃げ出したんだろうと思います。そういうことで、仕方なく家業を継がされたということなんです。

河邉

社長就任後ですか。結局私が社長になったのは、父が亡くなったからなんです。ですから41歳の時に社長になったんです。実は私が家業を継いだら、あとはお前に任せたということで、実質私が全部していたんですよ。社長業みたいなことはやっていたんですが、信用がなかったので、社長にしてもらえなかった。たしか34歳の時に、もう代わろうと言ったんですが、お金のない人間が社長になれない、と言われまして、結局私は社長じゃなかったんです。

河邉

そういう流れがありまして、ですから社長になったのはそういうことで、父が死んでしまって、初めて社長業をした。最初の仕事で一番印象的だったのが、銀行さんが来ました。銀行さんが来たので、これはお祝いに来たのかと思ったのですが、最初に来た仕事は、実印押してください。保証人にもハン押してください。という作業だったんです。これで、何と言いますか、今までどちらかというと、イケイケでやってましたが、初めて社長業の厳しさといいますか、責任の大きさ。要するに下手したら、全財産なくなるんだということが分かりましたね。保証人って財産がないから、保証人になれないから、社長にはなれないのかと。だから社長にはなれないんだと父が言っていたのが初めてわかりました。ですから、まずは本当に実印を押したということが、最初の忘れもしない。ただほかの流れはもうやっていましたので。別に社長になって特別何かをしたということはなかったと思います。

河邉

小さな会社でしたから、人事改革も何もないですよ。それよりもある種、働ける優秀な私の右腕だったり、左腕になる友人だったり、後輩をいかに連れてくるかということだったわけですよ。ですから、そういう目星をつけながら、そういう人を口説いて、引っぱってくることが本当に最初の仕事でした。そういいながら、自分さえ入りたくないと言っていた会社ではないですか。それを説得しなければいけないですよ。自分が是非入りたい会社だったら、わかるんですが、自分が入りたくない会社を、ましてや後輩たちを、私と一緒に働いて、明るい将来を、なんていうことは、なかなか言えなかったわけです。そうするうちに、醤油からだんだん脱皮して、タレに入っていきまして、だんだん成長してきた。その時にやっと、どんどん私の後輩なんかを引っぱってきて、一緒にやるようになった。そういうことから、だんだんいい人材が集まって成長してきたということなんです。ですから、何か特別に改革したという次元の話ではなくて、いかに思いを一にしてくれるメンバーを誘うかということが、私の何よりも大事な仕事でした。

河邉

醤油ではどう考えたって飯を食えないわけですから、それはもう学生時代からよくわかっていました。間違いなく洋風化になるわけですから。そうすると、醤油の需要はどんどん減っていく。これはもう明白でしたから、これは絶対もう駄目だと。ということで考えたのは、醤油を原料にタレを作ったらいいんじゃないかという考えでした。たまたま私どもにタレや醤油を入れる小袋の充填機を、私が大学時代に導入したんです。その機械を私が、1、2カ月に1回ぐらいほとんど営業力がなかったので、売ることができなかったんですが、その機械が遊んでいたんですよ。その機会を利用して、なんとかタレを作りたいということから、餃子のタレを作って、それを業務用で売りだして、そこからタレ業界に入るようになって、おかげさまで醤油を脱皮して。その当時はスーパーがだんだんできた。そうすると、例えば餃子だったら、昔は家で作るものだったんですよ。

外の皮ぐらいは売ってましたが、中のミンチは家でやって、玉ねぎを入れて、自分で作ってたんですね。ですから自分で酢醤油もつくってたんですが、それがスーパーで餃子を売るようになると、当然その中に餃子のタレが入る。納豆にもタレが入る。ラーメンだったらラーメンスープが入る。それによって、タレの需要がだーっと伸びていって、スーパーが成長して増えてくると同時に、タレの需要が出てきた。ということで我々はそこに参入して、後発だったんですが。それでも参入して市場が伸びたので、それと同時に変化、チャレンジできたということなんですね。