Vol.1 竹下製菓の歴史
―竹下製菓の歴史―
【聞き手】
本日は九州の方でしたらどなたでも一度は召し上がったことがあるのではないでしょうか。ブラックモンブランで有名な竹下製菓株式会社、代表取締役社長である竹下社長にお話を伺っていきます。先ほどコンビニでブラックモンブランを購入したところ残念ながらはずれでした。本日はこういった商品の話もそうですし社長の人となりについてもお聞きしてきたいと思います。
【聞き手】
もともとの生まれは佐賀という事ですね。
【竹下】
生まれたのは嬉野ですね。
【聞き手】
創業は明治なのですね。
【竹下】
竹下製菓の創業は明治時代で私は4代目社長になりますが私のひいおじいさんがお菓子のレシピなどを残してくれたりしたので古い歴史だけは持っています。
【聞き手】
当時はいわるゆ普通のお菓子屋さんというかお饅頭とかを販売されていたんですよね
【竹下】
一般的なお菓子もつくっていましたが、祖父の代に西洋菓子のような新しいお菓子を考えた。キャラメルとかチョコレートやマシュマロですね。それを西洋菓子と呼んでいました。
【聞き手】
長い歴史をお持ちですが途中、順風満帆ではない時代もおありだったそうですね。
【竹下】
やはり、会社という組織を早いときに立ち上げていますので、施設投資のお金を集める必要性を感じて大正時代に株式会社を創っていた。昭和の頃、一度倒産しているんです。
【聞き手】
そのような時代があったと読ませて頂き驚きましたがそんな時代の波にもまれながらもお父様が立て直されたと。
【竹下】
父の進学時期に会社が倒産したために大学進学はあきらめたと言っていたがその代わりに父がソフトともに会社と立て直しましたね。
―事業承継のエピソード―
【聞き手】
四代目とのお話ですけども小さなことから会社を継ごうという思いはありましたか?
【竹下】
子供のころからお菓子の工場が遊び場という世界にいたので経営ではなく「お菓子屋」として続けていく意識だった。大学出てからも実家に戻ってお菓子の仕事をすることは少しも抵抗はなくてむしろ面白かったです。
【聞き手】
では潜在的に将来の道は決まっていた。
【竹下】
そうですね、長男なので家業を継いでいこうと思っていました。当時の業態は家業に近いスタイルだったので父の仕事を引き継いでやっていこうと思っていた。その当時40から50人ほど従業員がいたので家業を引き継ぐというのは大変だと思いながらやりがいのある仕事と思っていました。
【聞き手】
学校卒業してご実家に戻られてお父様と一緒にやられている中で大変はことやイメージと違うことはありましたか?
【竹下】
父と年齢的なギャップがありますから、私とはものの考え方に違いがあったので若さは当然もっていましたからね。
【聞き手】
お父様は経営者でありながら職人さんでしたということですね。
【竹下】
はい、味に対してはうるさかったですね。アイスクリームなどの商品開発をはじめたのは父でしたのでそういう意味では先見の明があったし時代を読む経営者感覚をもっていましたね。
―ブラックモンブラン秘話―
【聞き手】
お父様がブラックモンブランの開発をされたのですよね
【竹下】
ブラックモンブランを開発した父は職人気質だった。売ることは弟で父は作るのが専門で兄弟のコンビでやってきていました。
【聞き手】
当時では画期的なことをいろいろとやっていたんですよね。たとえばお菓子の袋は会社の名前なんかが入っているだけだったのに商品名をつけらたんですよね。
【竹下】
唱和30年代他社の商品のパッケージにはかいしゃのブランド名が入った商品が多かったがブラックモンブランのようなパッケージに商品名が載っているものはなかったですね。
【聞き手】
HPでブラックモンブランという商品名の由来もすごくロマンティックだと思いました。
【竹下】
今でこそよく名前を付けたなと思いますね。あの時期にヨーロッパまで出向いて行けたということ、モンブランという山との取り合わせというかね。
【聞き手】
もともと山登りがお好きだったんですか?
【竹下】
父は経済使節団の一員として仕事でヨーロッパを訪問してその合間で観光の次官でモンブランに行っていた。
【聞き手】
素直な直感と言いますかお人柄が表れているなと感じました。
【竹下】
私も一緒に行ったわけではないのですが、モンブランは3つの国からできていて、フランス側から登っているはずですね。父は当時のヨーロッパ業界の洋菓子の状況を知りたかったのではないかと思うね。
【聞き手】
戻られてから商品開発をしていたんですね。
【竹下】
以前からブラックモンブランの原型に近い物は作っていたがヨーロッパから帰ってきてモンブランというネーミングになった。
【聞き手】
発売当初から人気はあったのですか?
【竹下】
一番最初は手作りだったのでお客様の反応をみていて、五月ごろからスタートして夏過ぎてから、寒くなっても食べられるという温かみのあるアイスクリームというかそういったところがうけていったんだと思います。
【聞き手】
今は九州では知らない人がいないほど、ソールフードと言われていますが。
【竹下】
年間通して、冬でも行けるところがうけたんだと思いますね。
―商品への拘りとアイデア―
【聞き手】
商品はどこから生まれるのですか?
【竹下】
私も一部ありますが、開発を担当する社員から、時代を表す原料などもありますね。原材料の取引先からの要望を新商品のアイデアとして取り入れることもあります。
【聞き手】
画期的な商品もおありとのことで佐賀でしか買えないようなビターチョコだったりとかグリーンモンブランとかについて教えてください。
【竹下】
復刻版としてグリーンモンブランは昔から苦労をして作っているのですが私から見ると完成の域にはまだまだと感じます。
【聞き手】
グリーンモンブランというとイメージでは中が抹茶味のアイスクリームかと思ったらマスカットなんですね。
【竹下】
ぶどうで、コーディングがラムレーズンなんです。
【聞き手】
そういう面白いアイデアはどこから出すんですか?
【竹下】
お菓子の手法というのがありますよね。
【聞き手】
沢山ライバルがあると思いますが御社はどういったターゲット層とかイメージされていますか?
【竹下】
ブラックモンブランはどちらかと言えば子供向けの商品として販売を始めたが当時子供だったお客さんも大人になっているのでターゲット年齢の幅が広くなっている。男性に好むような味もあると思い、必要なヒントを見つけたいと思います。
【聞き手】
絶対に譲れないこだわりがおありだと聞いていて、ブラックモンブランの中で、今の時期は世界遺産ゲームとありますが。
【竹下】
これは結果的には私がやってきましたけど若い人が出来ない訳ではないですよ。
【聞き手】
でも担当の人が300ぐらい出したのに一つもOKが出なかったとお聞きしていますが。聞いてこだわりがあるのだと思いました。
【竹下】
お客様の事を考えながら商品開発の判断をしていくのですが子供の少子化という事で、意識を女性とかお母さんにもてるような考えも必要だと思います
【聞き手】
当たりくじも当時画期的な発想だったんですよね。
【竹下】
もう一本と交換とか手段が箸ではなかったんですよ。
―経営哲学とメッセージ―
【聞き手】
長く会社をやっているので時代の波にも揉まれていたと思いますが社長の代になってどんな会社にしたいとお考えですか?
【竹下】
地元の得意先やお客様に評価される企業にしたいですね。今の時代ですから会社の業績は上回っていかないといけないですが、安定的に着実に進めたいですね。
【聞き手】
50年近く語り継がれている中で語り継がれている味というのもおありなんでしょうね。
【竹下】
今後もいいイメージを継承していかなくてはと思います。いい材料もたくさんあると思いますが、昔食べていた味というのを頭にいれながら進めたいですね。
聞き手】
全国展開と言いますか、東京の大手の小売業店さんに売っているとかはやっていないんですね。
【竹下】
東京の一部店舗で取り扱っていますが全国展開ではありませんね。対面販売を基本に営業展開をしてきたんです。商品の説明ができる方法で販売したいので現在の流通経路の大型化にどのように対応していくかが課題ですね。
【竹下】
よく言われるのが田舎で九州出身で、大学とかで外に出て、あれ、ないなと感じられるので、大学の生協という売り場がありますが、大学生協さんに僕らの商品はだいたい取り扱っていますね。東京にもブラックモンブランの根強いファンがいることは私達もうれしいです。
【聞き手】
今日の社長の映像を私達で広く広めていくなかで地元に戻って味に親しんでいる竹下製菓で働きたいなと思っている方もいらっしゃるかもしれませんのでそういった方に対してメッセージをお願いいたします。
【竹下】
食の世界はとても奥が深いですね。我々の考えの及ばないところが沢山あるので若い人たちにも食の世界を見てもらい若い発想で仕事をしてほしい、そういういみでの仕事はたくさんありますし、今の時代田舎だからというのはクリアしていると思うので若い力で会社が変わっていく事を楽しみにしています。
経営者プロフィール
氏名 | 竹下 敏昭 |
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役職 | 代表取締役会長 |
会社概要
社名 | 竹下製菓株式会社 |
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本社所在地 | 佐賀県小城市小城町池の上2500番地 |
設立 | 1927 |
業種分類 | 食料品 |
代表者名 | 竹下 敏昭 |
従業員数 | 80 名 |
WEBサイト | http://takeshita-seika.jp/ |
事業概要 | 「ブラックモンブラン」を始めとした、冷菓、菓子製造販売 |