ロート製薬株式会社の企業概要
社名 | ロート製薬株式会社 |
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本社所在地 | 大阪府大阪市生野区巽西一丁目8番1号 |
設立年月日 | 1949年(昭和24年)9月15日 |
代表取締役社長 | 山田邦雄 |
株式公開 | 株式会社東京証券取引所(市場第一部) |
資本金 | 6,411百万円 |
事業内容 | 医薬品・化粧品・機能性食品等の製造販売
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ロート製薬株式会社の沿革
1899年(明治32年)2月22日 | 大阪で信天堂山田安民薬房創業。資本金3,000円。
胃腸薬「胃活」発売。 安民は「万病の元は胃にある」との確信を得、効き目のある胃腸薬の発売こそこれからの日本に必要と考えました。 胃活は「五大軍医合議製剤」と銘打って発売され順調に売上を伸ばしました。 |
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1909年(明治42年) | 日露戦争終結後にトラホームが流行、目薬の需要が高まっていました。
点眼薬「ロート目薬」発売。 当時の眼科医界の権威、井上豊太郎博士が処方し、商品名にはその恩師ロートムンド博士の名前をいただきました。 |
1931年(昭和6年) | 点眼薬「ロート目薬」を新容器「滴下式両口点眼瓶」で発売。
目薬業界に大革命を起こしました。 |
1949年(昭和24年)9月15日 | ロート製薬株式会社設立。
社長 山田輝郎 資本金1,000万円。 |
1952年(昭和27年) | 点眼薬「ロートペニマイ目薬」発売。
ラジオCMの効果絶大で、大ヒットとなる。 |
1954年(昭和29年) | 胃腸薬「シロン」発売。
ラジオと新聞を駆使した広告が功を奏し、月330万個を記録する空前の大ヒット商品となりました。 |
1959年(昭和34年) | 大阪市生野区に現本社および工場が完成。同時に、布施工場他を移転。
働く人の楽園「ロートユートピア」を理念に掲げた総合事業所で時代の最先端を行く生産設備だったため、大阪市の産業観光コースにも入り、連日多くの見学者が訪れました。 |
1961年(昭和36年) | 大阪証券取引市場第二部に上場。 |
1962年(昭和37年) | 胃腸薬「パンシロン」発売。この時からテレビCMを積極的に活用。東京証券取引市場第二部に上場。 |
1964年(昭和39年) | 点眼薬「V・ロート」発売。
日本初のアスパラギン酸入り処方で疲れ目を訴求し、V・ロートブランドの基礎をつくる。 東京・大阪証券取引市場第一部に指定。 |
1965年(昭和40年) | 山田スイミングクラブ発足。
山田輝郎社長が水泳日本再興の為に私財を投じて発足。後のミュンヘンオリンピックで金メダリストを輩出しました。 |
1967年(昭和42年) | 胃腸薬「パンシロンG」発売。
多様化する胃腸薬へのニーズに対応しました。 |
1970年(昭和45年) | 点眼薬「子どもV・ロート」を発売し、子ども目薬市場を開拓。1973年(昭和48年) 点眼薬「なみだロート」発売。
コンタクトレンズの普及と安全性志向の高まりをとらえて涙液型目薬を開発。涙をイメージした斬新な容器が画期的でした。 |
1975年(昭和50年) | メンソレータム社(米国)より商標専用使用権を取得。
皮膚治療薬「メンソレータム」および医薬部外品「メンソレータム薬用リップスティック」を発売。メンソレータムブランドを事業第三の柱にするべく外皮用剤分野へ進出。 |
1977年(昭和52年) | 山田科学振興財団設立。 |
1978年(昭和53年) | 山田輝郎会長就任、山田安邦社長就任。 |
1979年(昭和54年) | 医薬部外品「メンソレータム薬用キャンパスリップ」発売。
ティーン向け薬用リップの草分け。点眼薬「新Vロート目薬」発売。 |
1983年(昭和58年) | 医薬部外品「キャンパスリップほそみ」発売。
スリムでおしゃれなリップクリームは国内で年間400万本、海外で600万本の大ヒット商品になりました。 |
1985年(昭和60年) | 妊娠検査薬「チェッカー」薬局で発売。
母体保護の観点から妊娠検査薬市販の意義を粘り強く訴え続け、日本初薬局での発売となりました。 |
1987年(昭和62年) | 点眼薬「アルガード」発売。
花粉症などのアレルギーによる目のかゆみを訴求し、新市場を開拓・拡大しました。 目の覚めるような清涼感とオシャレなスクエアボトルで一躍若者目薬の「代名詞」となりました。 |
1988年(昭和63年) | メンソレータム社(米国)を買収し、経営権取得。
海外進出への足掛かりとなりました。 |
1990年(平成2年) | 鎮痒薬「メンソレータムAD軟膏」発売。
中高年の皮膚乾燥に伴う掻痒症にいち早く着目し、新市場を開拓・拡大。 |
1991年(平成3年) | 中国広東省に合弁会社メンソレータム社・中国を設立。 |
1993年(平成5年) | 妊娠検査薬「ドゥーテスト・hCG」発売。
妊娠検査薬がOTCとして承認され、自社開発品の上市で市場シェアを拡大しました。 胃腸薬「パンシロンNOW」発売。胃腸薬市場初のチュアブル錠は業界の話題独占。 日焼け止め「サンプレイサンスクリーンクリーム」を発売。 サンケア市場へ本格参入。 |
1994年(平成6年) | 点眼薬「ロートジーリセ」発売。
市場初のティーン向け目薬として女子高生の圧倒的支持を得ました。 |
1995年(平成7年) | 胃腸薬「パンシロントリム」発売。消化管運動を改善する大型スイッチOTCの導入。コンタクトレンズ用剤「ロートCキューブ」を発売。コンタクトレンズ用剤市場に進出。医薬部外品「メンソレータムAD薬用入浴液」発売。 |
1996年(平成8年) | 医療用排卵日検査薬「ドゥーテストLH」発売。メンソレータム社・中国「新Vロートプラス」を現地生産、販売開始。インドネシアに合併会社PT・ロート・ラボラトリーズを設立。アセアンで初めて眼内レンズを製造販売。 |
1997年(平成9年) | べトナムにロート・メンソレータム・ベトナム社を設立。メディシナリースキンケア「セバメド」発売。洗眼剤「ロートジーフラッシュ」発売。
アイケアの新しい習慣を提案しました。 |
1998年(平成10年) | ベトナムエ場完成。点眼剤、外皮用剤の生産開始。 |
1999年(平成11年) | 創業100周年を迎えます。山田安邦会長就任、山田邦雄社長就任。健康食品「フレックスパワー」発売。同商品にて通信販売事業に乗り出す。コンタクトレンズ「ロートI.Q.」発売。コンタクトレンズ市場へ進出。点眼剤工場、研究所、物流センターを併設する上野テクノセンター竣工。 |
2001年(平成13年) | 機能性化粧品「Obagi(オバジ)」発売。ビタミンCブームを巻きおこす。 |
2002年(平成14年) | エムジーファーマ(株)を買収 |
2003年(平成15年) | 上野テクノセンター内 第2工場棟(スキンケア剤工場)竣工。乾燥性敏感肌向「プロメディアル」発売。森下仁丹(株)と業務・資本提携 |
2004年(平成16年) | 特定保健用食品「タクティ」発売。「肌研(ハダラボ)」発売。
新シンボルマーク、新スローガンを制定。メンソレータム社(米国)は、ニキビ治療薬OXYブランドを承継。 |
2006年(平成18年) | 研究所「ロートリサーチビレッジ京都」オープン
男性用化粧品「OXY(オキシー)」発売。 |
2007年(平成19年) | 50代向化粧品「50の恵」発売。 |
2008年(平成20年) | 東京支社、新社屋に移転。「ロートV11」発売。 |
2009年(平成21年) | 山田邦雄会長就任。吉野俊昭社長就任。「ロートアルガードコンタクト」発売。全てのコンタクトレンズをつけたままさせるかゆみに効く目薬市場を開拓。「エピステーム」発売。百貨店分野へ進出。 |
2010年(平成22年) | 「パンシロン01プラス」発売。ロートファーマ(インディア)社、ロートメンソレータム(バングラデシュ)社を設立。エマージング市場へ進出。 |
2011年(平成23年) | 震災孤児支援のための「震災復興支援室」を新設。
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ロート製薬株式会社のコーポレートスローガン
ロート製薬のコーポレートスローガンは「NEVER SAY NEVER」というものです。ロート製薬のコーポレートスローガンは世の中を健康にするという目的で、企業の進むべき道を見据え、様々なことに常識を超えてチャレンジしていくことを意味しています。
ロート製薬のコーポレートスローガンは単にがむしゃらに頑張るとか、根性のみで挑むという意味ではありません。ロート製薬が意味するのは先の幸せ、誰かのために困難にも直面する覚悟を持つという意味です。
ロート製薬が目指しているのは健康寿命への挑戦であり、少しでも長く、健康に生きてほしいという願いが込められています。自分が健康であるなら、家族が健康になり、社会へと健康が広がっていきます。それがロート製薬の理想です。
ロート製薬株式会社が行う宣誓
ロート製薬は企業としてステートメントを持っています。社会を支え明日の世界を創るために仕事をするというのがその一つ目。ロート製薬はグローバルな企業であるため、その力を世界に対して提供しています。また、いつも謙虚に学び、自らを磨くというのもロート製薬の素晴らしい精神です。
ロート製薬株式会社の経営理念
ロート製薬の理念とも言える「NEVER SAY NEVER」はどんな困難にもめげない思いが込められています。ロート製薬のコーポレートカラーでもある青は知性、そして差し色の赤は情熱を表しています。ロート製薬のNEVER SAY NEVERは企業のDNAを表す言葉となっています。
ロート製薬株式会社の事業ポートフォリオ
ロート製薬は様々な分野で素敵な商品を開発・製造していますが、始まりとなったのは目薬です。その後、スキンケア、再生医療、レストランなどへと事業を展開しています。ロート製薬は他にも様々な要素とタッグを組んで躍進する企業でもあるんです。
ロート製薬株式会社の事業案内、サービス紹介
ロート製薬株式会社の始まりとなったアイケア
ロート製薬の一番始めの目薬は1909年に発売されました。当時カタカナの商品名は珍しかったものの、ロート製薬のこの商品は当時流行していた眼病を食い止める働きをしました。
現在でもわたしたちが手にできるロート製薬の代表的な目薬、Vロート。この製品は1964年に初めて発売されました。長い歴史のある製品なんですね。
ロート製薬株式会社のスキンケア商品
もともとアメリカのブランドであったメンソレータムを買い取って、ロート製薬のブランドとし、現在でもロートのブランドでメンソレータムが販売されています。このブランドはロート製薬が誇る120年の歴史をもつブランドなんです。
ロート製薬はオバジシリーズの化粧品とも関わりが深く、高濃度のビタミンC美容液などを販売しています。ロート製薬のこの製品は、肌は外側からだけでなく、内側からキレイにする必要がある事を訴えています。
ロート製薬株式会社のレストラン
ロート製薬はレストラン事業も展開しているんです。グランフロント大阪にある「旬穀旬菜」はロート製薬オリジナルの家庭薬膳を提供するお店です。ロート製薬が考える健康づくりを提案しているレストランとなっています。
アフリカとも関わりが深いロート製薬株式会社
ロート製薬はアフリカのケニアにロートメンソレータム・ケニア社を所有しています。現地の人々のニーズを満たして、人を雇用し、経済を循環させていくことがロート製薬の狙いです。現在ロート製薬は他にもベトナム、インドネシアへと事業展開を行っています。
グローバルに広く展開するロート製薬株式会社
ロート製薬は日本で長い歴史を持つ企業であるだけでなく、世界に通用する企業です。ロートグループは世界110カ国にネットワークを構築しており、各エリアにロート製薬の現地法人を置いています。世界の国々は日本とは気候や生活習慣がかなり異なるものの、ロート製薬のアグレッシブな精神をもって、力強くマネタイズを行っています。ロート製薬の世界でのこれからの発展にも目が離せませんね。