エーザイ株式会社:概要と沿革
まずは、エーザイの基本情報を確認しておきましょう。
エーザイ株式会社の概要
社名 | エーザイ株式会社 |
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本社所在地 | 東京都文京区小石川4-6-10 |
設立年月日 | 1941年(昭和16年)12月6日 |
代表取締役社長 | 内藤 晴夫 |
株式公開 | 東証一部 |
資本金 | 44,986百万円 (2016年3月末現在) |
事業内容 | 医薬品の研究開発、製造、販売および輸出入 |
生産拠点 | 川島工場(岐阜県)、鹿島事業所(茨城県)、エーザイ・マニュファクチャリング・リミテッド(英国)、衛材(中国)薬業有限公司 蘇州工場(中国)、衛材(遼寧)製薬有限公司 本渓工場(中国)、エーザイ・ファーマシューティカルズ・インディア(インド)などがあります。 |
研究所 | 筑波研究所(茨城県)、川島研究所(岐阜県)、株式会社カン研究所(兵庫県)、エーザイ・インク アンドーバー研究所(米国)、モルフォテック・インク(米国)、H3 バイオメディシン・インク(米国)、エーザイ・リミテッド ハットフィールド研究所(英国)ほか |
海外営業拠点 | エーザイ・インク(米国)、エーザイ・リミテッド(英国)、エーザイ・ゲーエムベーハー(ドイツ)、エーザイ・エス・エー・エス(フランス)、衛材(中国)薬業有限公司(中国)、エーザイ・コリア・インク(韓国)ほか
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世界中に拠点があり、エーザイは世界の医療を支えていると言っても過言ではないでしょう。従業員数は1万人を超えているとても大きな会社です。
エーザイ株式会社の事業内容
医薬品アクセス向上に向けたエーザイの研究開発活動(プロダクトクリエーション)
エーザイグループでは、製薬企業の活動の礎となる研究開発活動を「プロダクト・クリエーション」と呼んでいます。エーザイは、研究開発活動そのものよりも、あくまでも結果としての製品の創出(プロダクト・クリエーション)が目的であることをあらためて認識し、患者の生命・生活の質を改善することが研究開発活動の目的であると考えています。エーザイは創薬の対象とされてこなかった、熱帯病(NTDs)や未だ新薬創出の必要性が高い三大感染症(マラリア、結核、HIV/AIDS)に対する医薬品開発に積極的に取り組んでいます。
新興国・開発途上国におけるエーザイの事業展開
新興国・開発途上国において、社会インフラや健康保険制度等を含む医療供給体制の整備が進んでいないこと、疾患・治療の認知度が低いこと、経済的理由などにより、十分な医薬品アクセス(医療品が患者の手に渡ること)が確保されていない状況も見られます。そのような状況の中で、エーザイは、エーザイ・ジャパン(日本)、アジア、中国、米州、EMEA(欧州、中東、アフリカ、ロシア、オセアニア)の5リージョン体制で、地域ごとの成長戦略を遂行しています。エーザイは、アジアリージョンを中心に、新興国・開発途上国の医薬品アクセスの向上に貢献していきます。
医薬品アクセス向上に向けたエーザイの生産・物流活動(デマンドチェーンシステムズ)
エーザイでは「我々の造る一錠、一カプセル、一管が患者様の命とつながっている。」とう方針を掲げ、高い品質の医薬品を世界中で必要とする方々にお届けしています。エーザイでは、より患者志向の医薬品生産・物流を目指して、製品の生産・供給を行うだけでなく、需要を積極的に捉え、生産活動・製品改良を進めるデマンドチェーン体制をグローバルに展開しています。エーザイは日本・米国・英国・中国・インド・インドネシアに生産拠点を有して、世界各国において高い品質を有する医薬品の安定供給を実現しています。また、エーザイの日本の工場で蓄積された技術やノウハウのグローバル拠点への移譲を推進しています。
エーザイの製品
チョコラBBという商品を聞いたことがあるのではないでしょうか。これはエーザイの製品です。その他に医療用の薬をたくさん作っています。エーザイの代表的な製品は、抗がん剤や、抗てんかん剤、肥満症治療剤、プロトンポンプ阻害剤、アルツハイマー型・レビー小体型認知症治療剤、ヒト型抗ヒトTNFαモノクローナル抗体などがあります。また、一般消費者に向けて様々なサプリメントや乗り物酔いの薬なども取り扱っています。
エーザイ株式会社の企業理念
企業理念
患者様と生活者の皆様の喜怒哀楽を考え
そのべネフィット向上を第一義とし
世界のヘルスケアの多様なニーズを充足する
めざす企業像
一人ひとりが法令と倫理を遵守したビジネス活動を徹底し
いかなる医療システム下においても存在意義のある
ヒューマン・ヘルスケア企業
企業行動憲章
私たちは、患者様と生活者の皆様の喜怒哀楽を考え、そのベネフィット向上を第一義とし、世界のヘルスケアの多様なニーズを充足するために事業活動を行っており、いかなる医療システム下においても、存在意義のあるヒューマンヘルスケア(hhc)企業となることをめざしています。
私たちが、この理念を掲げ、めざす企業像の実現に向けて日々活動していく時、私たちは適時、適切な判断と行動が求められます。その根幹となるのがコンプライアンス(法令と倫理の遵守)です。コンプライアンスは社の活動の中で最優先されるべきものであり、企業存続の基盤です。
私たちは、ここに、コンプライアンス実行のための企業行動憲章を定めます。ENW*の全ての役員、従業員一人ひとりは、これを厳守し、最善の努力を払って日々行動することとします。
1.私たちは、hhc企業として、患者様と生活者の皆様に貢献できる製品とサービスを提供します。
2.私たちは、各国の法規を遵守するとともに、高い倫理観を持って自らを律します。
3.私たちは、各国の文化や習慣を尊重した事業活動を展開します。
4.私たちは、各国における事業活動において、公明正大に競争します。
5.私たちは、医療に携わるすべての人々、株主、投資家、従業員、取引先、地域社会などとの関係を重んじます。
6.私たちは、世界各国で地球環境の保全に努めます。
7.私たちは、良き企業市民として、社会貢献活動を推進します。
8.私たちは、政治、行政とは、公正で透明な関係を維持します。
9.私たちは、反社会的勢力とは対決します。
10.私たちは、従業員一人ひとりの人権と人格を尊重して公正に処遇し、職場環境の安全を確保します。
11.私たちは、会社情報を適正に管理し、適時、適切に情報開示します。
*ENW(Eisai Network Companies):ENWとは、エーザイ株式会社および連結子会社と関連会社で構成されている企業グループのことです。
エーザイ株式会社の事業ビジョン
エーザイは1960年代から積極的に海外進出を図ってきました。最初は東南アジアに進出し、販売や生産の拠点をアセアン主要国に設立しました。欧米への進出には研究開発から始めるという独自の道を選択し、研究開発、生産、販売と、製薬メーカーとしてのフル装備の機能を自らの手で整えてきました。現在、エーザイは、大きなマーケットを有するリージョンに研究開発から生産・販売・市販後の情報管理/提供までを行う自社一貫体制を着々と整備しています。グローバル化とともに、より多くの患者様とそのご家族のヘルスケア向上に貢献するために、地域ごとの医療ニーズにあわせた成長戦略を練る「リージョナル化」を推進して世界のアンメット・メディカル・ニーズの充足に努める方針です。
エーザイ株式会社の事業ポートフォリオ
1889年(明治22年) |
8月15日、福井県丹生郡糸生村にて、創業者・内藤豊次が、父・内藤菊次と母・ふじの間に第6子(3男)として誕生 |
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1905年(明治38年) |
豊次、15歳で故郷を旅立ち、上阪 |
1906年(明治39年) |
豊次、ウィンケル商会に就職し、夜間は英語のほか、ドイツ語や中国語、簿記も学んだ |
1909年(明治42年) |
豊次、ウィンケル商会を退社して、東京・九段の近衛第2連隊に入隊 |
1911年(明治44年) |
豊次、除隊後、タムソン商会に就職し、輸入薬品を取り扱い |
1914年(大正3年) |
第一次世界大戦が開戦 |
1915年(大正4年) |
豊次、上京して田辺元三郎商店(現、田辺三菱製薬)に就職 |
1917年(大正6年) |
豊次、約7ヵ月間の東南アジア視察へ |
1918年(大正7年) |
第一次世界大戦が終戦 |
1921年(大正10年) |
豊次、田辺元三郎商店にて、芳香ひまし油『カスタロール』、マッサージ薬『サロメチール』の開発に携わる |
1923年(大正12年) |
関東大震災が発生 田辺元三郎商店は本店が焼失するなど一時苦境に |
1924年(大正13年) |
豊次、田辺元三郎商店にて、日本で初めての血圧降下剤『アニマザ』を取り扱い。キャッチコピー“高血圧”の三文字は豊次の創作 |
1933年(昭和8年) |
豊次が田辺元三郎商店在職中に携わった『サロメチール』の新聞広告が、第1回新聞広告奨励会賞で最優秀賞を受賞 田辺元三郎商店にて、ビタミンA剤(1粒肝油)『ハリバ』を発売 |
1936年(昭和11年) |
「合資会社桜ヶ岡研究所」(東京)を設立 桜ヶ岡研究所の模型 |
1937年(昭和12年) |
豊次、欧米の薬業界視察へ |
1938年(昭和13年) |
ビタミンE剤『ユベラ』を発売 内柔外硬の球形でチョコレート色のコーティングをし、洒落た包装で注目を集めた 日本で初めての内装式生理用品『さんぽん』を開発 |
1939年(昭和14年) |
第二次世界大戦が開戦 |
1941年(昭和16年) |
埼玉県本庄町に「日本衛材株式会社」を設立 エーザイのロゴマークの由来 |
1944年(昭和19年) |
「合資会社桜ヶ岡研究所」と「日本衛材株式会社」は対等合併により「日本衛材株式会社」となる |
1945年(昭和20年) | 第二次世界大戦が終戦 |
1950年(昭和25年) |
戦後のベビーブームを機に研究開発を進めていた避妊薬『サンプーン錠』が国家検定にパス 強心剤『ネオフィリン』を日本で発売 |
1952年(昭和27年) |
高単位B2B1剤『チョコラBB錠』を日本で発売 乗物酔防止薬『トラベルミン錠』を日本で発売 |
1955年(昭和30年) |
社名を「エーザイ株式会社」に改称 |
1957年(昭和32年) |
第1次長期計画「三六計画」がスタート 本社ビル(東京)が竣工 |
1961年(昭和36年) |
第2次長期計画「三八計画」がスタート 台湾に事務所を開設(台北支店) 東京・大阪証券取引所第1部に上場 緑の胃ぐすり『サクロン』『サクロン錠』を日本で発売 |
1964年(昭和39年) |
豊次、日本宣伝賞を受賞 ※日本の宣伝・広告の発展に寄与した人物に与えられる名誉賞 東京オリンピックが開催 |
1966年(昭和41年) |
「川島工場」(岐阜県)を開所 創業者・内藤豊次が会長となり、内藤祐次が社長に就任 代表取締役会長・内藤豊次、代表取締役社長・内藤祐次、代表取締役専務・内藤達雄の3代表権体制となった |
1969年(昭和44年) |
台湾に医薬品輸入会社を設立 |
1970年(昭和45年) |
インドネシアに医薬品の製造・販売会社を設立 内藤豊次は代表取締役会長を辞任し取締役名誉会長に就任 |
1971年(昭和46年) |
日本初の「くすり博物館」(岐阜県)を開館 |
1973年(昭和48年) | 中東戦争による第一次石油ショックが勃発 |
1974年(昭和49年) |
マレーシア、フィリピンに医薬品販売会社を設立 代謝性強心剤『ノイキノン』を日本で発売 |
1977年(昭和52年) |
天然型ビタミンE剤『ユベラックス』を日本で発売 |
1978年(昭和53年) |
創業者・内藤豊次逝去、享年89歳 末梢性神経障害治療剤『メチコバール』を日本で発売 |
1979年(昭和54年) |
シンガポールに医薬品の販売支援・経営サービスの会社を設立 イラン革命による第二次石油ショックが勃発 |
1981年(昭和56年) |
米国(カリフォルニア州)に化学品・製薬用機械の販売会社を設立 「美里工場」(埼玉県)を開所 美里工場に導入されたパン径170cmの大型自動糖衣装置 |
1982年(昭和57年) |
「筑波研究所」(茨城県)を開所 |
1983年(昭和58年) |
原薬製造の「エーザイ化学株式会社」(現:鹿島事業所、茨城県)を設立 |
1984年(昭和59年) |
胃潰瘍治療剤『セルベックス』を日本で発売 |
1987年(昭和62年) |
医療功労賞への協賛開始(~2015年(平成27年)) 3年ごとの中期計画から5年ごとの「新5ヵ年戦略計画」に移行 米国(マサチューセッツ州)に探索研究会社を設立(ボストン研究所) |
1988年(昭和63年) |
内藤祐次が会長となり、内藤晴夫が社長に就任 内藤祐次(右)から内藤晴夫へバトンタッチ 米国(ニュージャージー州)に臨床研究会社を設立 英国(ロンドン)に臨床研究会社を設立 |
1989年(平成元年) |
ドイツ(ケルン)に製薬用機械販売会社を設立 タイ(バンコク)に医薬品販売会社を設立 |
1990年(平成2年) |
内藤晴夫「エーザイ・イノベーション」を提唱 英国ロンドン大学構内に探索研究会社を設立(ロンドン研究所) 日本経済のバブルが崩壊 |
1991年(平成3年) |
香港に医薬品販売会社を設立 中国(北京)に駐在員事務所を開設 中国(瀋陽)に医薬品の製造・販売の合作会社を設立 創業50周年を迎える |
1992年(平成4年) |
めざす企業像と企業理念を制定 米国(ニュージャージー州)に持株会社を設立 英国の「ロンドン研究所」が竣工し、研究開発の三極体制が構築 1993年のロンドン研究所開所式にアン妃殿下がご臨席された |
1995年(平成7年) |
米国(ニュージャージー州)、英国(ロンドン)、ドイツ(フランクフルト)に医薬品販売会社を設立 |
1996年(平成8年) |
フランス(パリ)に医薬品販売会社を設立 中国(蘇州)に医薬品の製造・販売会社を設立 ジェネリック医薬品販売会社「エルメッドエーザイ株式会社」(東京)を設立 |
1997年(平成9年) |
生命科学分野を研究する「株式会社カン研究所」(大阪府、現在は兵庫県)を設立 韓国(ソウル)に医薬品の販売会社を設立 米国(ノースカロライナ州)に製剤化研究・医薬品生産施設を竣工 アルツハイマー型認知症治療剤『アリセプト』を米国、英国、ドイツで発売 プロトンポンプ阻害剤『パリエット』を日本で発売 |
1998年(平成10年) |
『アリセプト』をフランスで発売 『パリエット』を英国、ドイツで発売 |
1999年(平成11年) |
『アシフェックス』(日本製品名:パリエット)を米国で発売 『アリセプト』を日本で発売 |
2001年(平成13年) |
米国で同時多発テロ事件が勃発 スペイン(マドリッド)に医薬品販売促進会社を設立 |
2002年(平成14年) |
第4期中期戦略計画「ミレニアム計画」がスタート 米国(ニュージャージー州)に医薬品の臨床研究会社を設立 |
2004年(平成16年) |
委員会等設置会社へ移行 英国(ロンドン)に欧州統括会社(持株会社)を設立 インド(ムンバイ)に医薬品販売会社を設立 |
2005年(平成17年) |
イタリア(ミラノ)、スイス(チューリッヒ)、スウェーデン(ストックホルム)に販売会社を設立 定款に企業理念を明記 取締役名誉会長(2代目社長)・内藤祐次逝去、享年85歳 |
2006年(平成18年) |
第5期中期戦略計画「ドラマティック リープ プラン」がスタート シンガポールに医薬品販売会社、臨床研究会社を設立 米国「ライガンド社」から抗がん剤4品を製品買収 ポルトガル(リスボン)に医薬品販売会社を設立 |
2007年(平成19年) |
英国(ハートフォードシャー)に医薬品生産会社を設立 米国バイオベンチャー企業の「モルフォテック社」を買収 インド(バイザッグ)に医薬品の原薬・製剤の生産および研究開発会社を設立 ベルギー(ブリュッセル)に医薬品販売会社を設立 |
2008年(平成20年) |
米国バイオファーマ企業の「MGIファーマ」を買収 中国(上海)に製薬用機械販売支援・メンテナンス会社を設立 関節リウマチ治療剤『ヒュミラ』を日本で発売 |
2009年(平成21年) |
オーストリア(ウィーン)に医薬品販売会社を設立 英国(ハートフォードシャー)に欧州戦略拠点「欧州ナレッジセンター」を開設 欧州ナレッジセンター 研究開発部門のグローバル新体制「エーザイプロダクトクリエーションシステムズ(EPCS)」をスタート 内藤晴夫、国際製薬団体連合会会長に就任 インド(バイザッグ)に生産・プロセス研究拠点「エーザイ・ナレッジセンター・インド」を開設 |
2010年(平成22年) |
「小石川ナレッジセンター」(東京)が竣工(第24回 日経ニューオフィス推進賞受賞) カナダ(オンタリオ州)に医薬品販売会社を設立 生産部門のグローバル新体制「エーザイデマンドチェーンシステムズ(EDCS)」をスタート 中国(江蘇省)に医薬品貿易会社を設立 抗がん剤『ハラヴェン』を米国で発売 WHOとリンパ系フィラリア症治療薬の無償提供に関する共同声明文に調印 米国に「H3 Biomedicine Inc.」を設立 |
2011年(平成23年) |
第6期中期戦略計画「はやぶさ」がスタート ブラジル(サンパウロ)に医薬品販売会社を設立 『ハラヴェン』を日本、欧州で発売 メキシコ(メキシコシティ)に医薬品販売会社を設立 |
2012年(平成24年) |
顧みられない熱帯病制圧に向けたコミットメントを表明(ロンドン宣言) 内藤晴夫、日本製薬団体連合会会長に就任 抗てんかん剤『Fycompa』を欧州で発売 |
2013年(平成25年) |
ロシア(モスクワ)に医薬品販売会社を設立 一般社団法人グローバルヘルス技術振興基金設立に参画(日本初の開発途上国向けの新薬開発支援基金) 肥満症治療剤『BELVIQ』米国で発売 インド・バイザッグ工場で製造するリンパ系フィラリア症治療薬「ジエチルカルバマジン」をWHOへ無償提供開始 |
2014年(平成26年) |
『Fycompa』を米国で発売 中国(蘇州)に統括会社を設立 |
2015年(平成27年) |
抗がん剤『レンビマ』米国、日本、欧州で発売 インドネシアにおけるリンパ系フィラリア症の全国一斉制圧キャンペーンに治療薬「ジエチルカルバマジン錠」を無償提供開始 中国ジェネリック医薬品企業「遼寧天医生物製薬株式有限公司」の買収完了(新社名「衛材(遼寧)製薬有限公司」) |
2016年(平成28年) |
第7期中期経営計画「EWAY2025」がスタート 消化器スペシャリティファーマEAファーマ株式会社発足 『フィコンパ』を日本で発売 |
世界中の人の健康を支えるエーザイ株式会社
いかがだったでしょうか。エーザイは長い歴史でたくさんの薬を研究開発してきました。薬局で手に取る薬はもちろん、病院や世界中で使われるような薬もたくさん研究開発されています。世界中の難病に打ち勝つための薬を研究し続けるのがエーザイです。