ピクスタ株式会社
代表取締役社長 古俣 大介

古俣 大介(こまた だいすけ)/1976年生まれ。多摩大学在学中に、コーヒー豆のEC販売、女性向け古着販売を開始する。大学4年次に株式会社ガイアックスにインターン入社し、後に正社員になるも、1年で退職。2002年に飲食店向け販促物のデザイン・印刷会社を立ち上げるが1年後に退職。2003年に美容健康グッズのEC事業を開始し、2年後に年商1億円となるまで成長させた。2005年にデジタルフォト関連の事業として、ピクスタの前身となる株式会社オンボードを設立、2015年9月に東証マザーズに上場。現在に至る。

本ページ内の情報は2016年11月当時のものです。

「インターネットの可能性を活かして、自分にしかできない事業をやってみたい。」
そんな思いに駆られ、トライ&エラーを繰り返しながら自らの理想を形にした人物がいる。

写真・イラスト・動画等のデジタル素材の仕入から販売までをインターネット上で行うオンラインマーケットプレイス『PIXTA』の運営をする、ピクスタ株式会社、代表取締役社長の古俣大介氏だ。

ピクスタは、2015年9月にマザーズ上場後、2016年7月には登録クリエイター会員数が20万人を突破。アジアへの進出も行っており、2015年に台湾に支店を設立、2016年5月にベトナムに現地法人を設立するなど、グローバル展開を行う企業として、今後の更なる躍進が期待される。

今回は、古俣社長へのインタビューを通して、ピクスタ創業までの経緯、自身の理念・仕事の価値観、ユニークな組織活動などについて紹介していきたい。

広い世界でエキサイティングな人生を歩みたい

起業のきっかけについて、お聞かせください。

古俣 大介:
僕の両親が自営業をしていたこと、僕が大学に入った当時にインターネットが日本に浸透し始め、それにインパクトを受けたこと、そういった生育過程や時代背景に影響されながら、漠然と何かをしてみたいという気持ちをずっと抱いていました。そんな時、実際に踏み出すきっかけとなった二つの出来事が、僕に本気で起業をしようと決意させてくれました。

一つ目は、親戚のいるイスラエルに1ヶ月間行った際に、自分の世界の狭さを痛感したこと、二つ目は、自分の知らないエキサイティングな人生を歩んでいたソフトバンクグループ代表の孫正義氏の著書を読み、衝撃を受けたことです。そこから自分の可能性に対する意識が生まれ始め、インターネットの価値を活かして、自分にしか出来ないことをやってみたい、とはっきりと感じたことが、起業のきっかけとなりました。

そして、インターネットのECサイトで、親戚がやっていたコーヒー豆を仕入れて売るというビジネスを個人事業として始めました。

コーヒー豆の事業において、この経験はすごく良かったということは何でしょうか?

古俣 大介:
生活費を稼げればよいくらいのライトな感覚でやっていました。しかし、僕が単なるネットでのEC事業をやっていた時に、同じネット業界の仕事をしているガイアックスという会社と出会ったことが、すごく良い経験になったと思います。当時はネットバブルの全盛期でしたが、ガイアックスの社長は、時代の波に乗りながらビジネスチャンスをつかんで大きく成長しようとされていて、もう僕とは次元が違いました。

同じインターネット業でも、個人事業でコツコツやっていた僕に対して、ガイアックスの社長は、まずビジョンを描き、そこに向けて足りない人材やお金を引っ張ってくることで最短でゴールにたどり着くという、自分とは全く異なるアプローチ方法を用いていました。それに衝撃を受け、ガイアックスで一年くらい働きましたが、結局僕は社員としてここでこのまま働くのではなく、自分でゼロから起業したいという思いに駆られ、ガイアックスを退職しました。

ピクスタ創業へつながった失敗経験

起業に失敗した経験が今に繋がっていると語る古俣社長。

起業してから特に気を付けられたことはどんなことでしょうか?

古俣 大介:
起業するからには、自分にしか見出せない大きな価値を念頭に置いて、そこを見据えて大きく仕掛けたいなと思っていました。ガイアックスを退職して半年くらい経った時、僕は印刷業界にイノベーションが起きていることを知りました。これまでのオフセット印刷から、オンデマンド印刷というイノベーションです。

オフセット印刷は一万枚ぐらいの印刷からしか割に合わないと言われていた中で、オンデマンド印刷は一枚でも可能というのを聞いて、これを活かして事業化できればいけるかもしれないという思いが出てきました。そして飲食店向けの販促制作サービスのようなことを始め、この分野で将来インターネット展開していこうとしていたのですが、当時は僕一人で制作、デザイン、営業、印刷、集金を全てやっていたために疲れ切ってしまい、結局一年で撤退してしまいました。

しかし、この失敗経験を通して学んだことは非常に大きかったと思っています。その時にデザインを自分でやっていましたし、デジタルカメラを使って写真を撮ったり、市販の写真素材を活用することもあったので、結果としてそれらの経験がピクスタに活かされていると思っています。

インターネットで新たな価値を生み出す

印刷業を一年で撤退された後は、どんな事業をなさったのでしょうか?

古俣 大介:
父親が健康グッズなどの販売をやっていたので、その中でネットで売れそうなものなどを紹介してもらい、インターネットのECサイト上で売り始めました。事業としては結構な年商を出せていたのですが、僕はそこでまた辞めて、ピクスタを創業しました。何故辞めたかというと、その事業は人が作った商品をインターネットのECサイトで売るだけのものだったからです。

僕の本来の起業の目的は、インターネットで新しい価値を生み出して、孫正義氏のようなエキサイティングな人生を歩みたいというものでした。やるからには自分にしかできないこと、自分がやるから意味があるということをやりたいと思っていたので、その思いがピクスタの創業につながったんですね。

人材に求めるものはカルチャーフィットと自律自走

目指す未来に向けて、やりたいことの優先度が高いこと、また、そのために人材に求めているものとはどういったものでしょうか?

古俣 大介:
事業をたくさんつくっていきたいですね。僕らはフラットな機会をつくる、つまり誰でも才能を活かせる機会をどんどん増やしていくという理念を持ち、事業をやっています。それを体現するために、才能を生み出す人とそれを活かす人をつなげるというプラットフォームを色々な分野でつくっていきたいと思っています。

人材に求めるものはカルチャーフィット、つまり価値観やピクスタの事業に共感してくれることですね。やはり、インターネット上のサービスだと一番いいものが支持されるので、そういったものをつくるためにも、真摯にユーザーに向き合いながらより良くしていくという弊社の価値観を共有できる人材であって欲しいですね。

海外展開を急速に進められる中で、グローバルという観点で、どんな人材に入社して頂きたいですか?

古俣 大介:
海外ですと顔を合わせて直接話せる機会が減るので、自分で考えて的確にトライ&エラーが出来る人がいいです。それを会社の言葉にすれば、「自律自走」と言います。海外は日本の常識もあまり通用しないので、現地に合わせた展開をしていかなければなりませんから。理想は、それらの能力に加えて、経営陣や僕と同じような判断ができ、ある程度の経営を任せられるという人です。

ユニークな組織内のコミュニケーションづくり・働き方

3ヶ月に1回行われる「納会」は、社員が家族を連れてくるなどアットホームな雰囲気。古俣社長も参加し、社員たちと親睦を深める。

社内の鮮度を保ったり、同朋意識を高めるために、何か取り組まれていることはありますか?

古俣 大介:
考え方、価値観を共有していくという意味では、行動指針をつくり、二ヶ月に一度、チームになって話し合う時間を設けるなどしています。他にはランチトークといって、月に一度会社からランチ代を補助して、システムで、部署・役職横断でランダムにセッティングされたチームでランチをする制度を実行しています。そうすることで、全く違うことやっている人がお互いを良く知ることができ、今後の業務を良くすることにも繋がります。

働き方などは、どういった工夫をなさっていらっしゃいますか?

古俣 大介:
家庭が出来たり子供が出来たりで、同じ個人でも環境変化やタイミングによって働き方、働く時間を変えるなど、出来るだけプライベートプランに合わせられるような設計プランをいくつかつくっています。例えば、時短勤務、時差出勤、子供の看護休暇、親の介護休暇などがあります。

また、弊社はもともとインターネットのサービスということもあり、大体パソコンがあればできる仕事もたくさんあるので、子供の看護や親の介護などのために在宅で仕事をした場合、それに対しても対価を支払うようにしています。

フラットな組織を作り、誰にでも機会の提供を

今後、事業展開をしていく中で、強い組織であるためにどのようなお考えをお持ちでしょうか?

古俣 大介:
僕は、理念通りフラットな組織づくりをしたいと思っているので、誰にでも機会を提供して、その機会を活かして活躍できる人にはさらに大きな機会をどんどん提供していきます。そんな機会を生み出せるようなフラットな組織の基盤をつくっていきたいし、そのうえで成長できる人は遠慮なく成長してもらうというのが組織の活性化につながるのではないかと思いますね。

編集後記

古俣社長は、ビジネスに対する独自の肌感覚を持っている方だと思った。時代の流れをうまく読み、乗るべき時に波に乗り、損切をすべき時に潔く撤退する。それらを繰り返しながらピクスタを上場企業にまで引き上げたその手腕は、彼の天性のアンテナに依拠するところが大きいのであろう。今後のトライ&エラーがどう社会を活気づけていくのか、楽しみである。