Vol.1 歴史
-歴史-
【近藤】
まだ電電公社が民営化に伴いNTTになったばかりの頃、自宅の固定電話は全部ダイヤル式電話機でした。このダイヤル式電話機をプッシュホンに切り替えるという営業の世界から入って、18歳のときにその修行をし、そこで僕はナンバーワンの営業マンになりましたが、それはそれは大変な会社でした。就職した会社は厳しくて。そこが職人的営業の仕事、能力を身につけるきっかけになって、19歳の時に手持ち資金、当時でいう50万を持って創業したというのが始まりだったのです。
父が会社をやればいいのにと言ったのは、僕は高校を2回辞めてやんちゃしていたので、あの駄目だった息子がこんなに活躍するのだったら、駄目な僕でもできたのだから会社をやった方がいいというのが父の本音だったと思います。 私は(当時勤めていた企業で)ダントツのナンバーワンでしたが、父のそのひと言が「やろう!」というひとつのきっかけになったのは事実ですよね。
「ネクシィーズ」の前身は「ネクステル」という社名で、ネクシィーズは2000年4月25日に幻の上場というのがあって、今までITバブルが大きく3度崩壊していますが、その1回目が直撃して、上場直前の2週間前に、マザーズへの上場承認を取り消されてしまいました。バブル崩壊の第一号の生贄企業として当社は世界中に報道されたのです。小さな会社なのに。そして、アメリカにネクステル社というのがあって、今ちょうど孫さん(ソフトバンク代表)が買いにいっている会社ですけれど、そのネクステル社から「名前を変えてくれ」「大迷惑している」という手紙が届いて。(それで)ネクステルからネクシィーズへと(社名変更しました)。その意味は「Next of xyz」と。もっともっと先に行くぞという意味でネクシィーズにしました。
2007年から実は「旅色」という電子雑誌がスタートして。旅の雑誌ですね。そこから現在8誌まで、色々なジャンルの雑誌をインターネット上でPCやタブレットで読者は無料で読めるという雑誌を出しています。最初にやろうと思ったのは、2010年にiPadやKindleが日本に上陸するという事を知っていたので、今後コンテンツ戦争になるだろうなと思ったからです。携帯電話も同じだったので、コンテンツ戦争になるのだろうなと。そのときにインターネットというのはスピードと利便性なんですね。スピードと利便性。
だから例えば速報を見るのだったらインターネットが有利なわけです。だけどストーリーのある物語、「編集」というものが入った場合は、雑誌の方が上なんですよ。そう考えたときに、僕はインターネットの世界にクリエイティブな世界、編集力が入ったら雑誌というものは紙よりもネットの方がいいのではないかというふうに思ったのです。それを元にしてスタートしました。
そのとき一番苦労したのは何かというと、メディアであるならばやはり表紙は女優さんやタレントさんが飾らなくてはいけないと。これは今まで業界的にタブーでした。タレントさん、女優さんというのはインターネットには出ない、テレビや雑誌のようなクリエイティブな世界は出るけれど、ガチャガチャした世界に出ると自分の人気が落ちてしまうということで、インターネットはタブーだったのです。それを初めて可能にして美しい写真集のテイストで女優を出していくと。しかも二流ではなく、一流だということをやったんですね。
雑誌というのは400年歴史があります。僕から言わせれば400年経った今、印刷と紙の呪縛から解き放たれたものがこの電子雑誌だと思っています。当社でも業界ナンバーワンとしてダントツでいこうというふうに思っていますね。
経営者プロフィール
氏名 | 近藤 太香巳 |
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役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1967年11月1日 |
出身地 | 大阪府 |
座右の銘 | 『挑戦は青春』 常に挑戦者であり続けたい |
愛読書 | 『編集者という病い』 ( 幻冬舎代表取締役社長 見城徹 著) |
会社概要
社名 | 株式会社ネクシィーズ |
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本社所在地 | 東京都渋谷区桜丘町20-4 ネクシィーズスクエアビル |
設立 | 1990 |
業種分類 | サービス業 |
代表者名 | 近藤 太香巳 |
WEBサイト | http://www.nexyz.co.jp/ |
事業概要 | ネット接続事業を中心に宿泊施設や飲食店向け販促支援行う「旅色」など7誌の電子雑誌を展開。着物着付け教室「ハクビ」を運営。 |