Vol.1 ものづくりへの目覚め
セブン・ドリーマーズ・ラボラトリーズ株式会社 代表取締役社長 阪根 信一 (2017年2月取材)
【聞き手】
それでは本日は、まだこの世の中に存在しないものを続々と生み出す技術者集団、セブン・ドリーマーズ・ラボラトリーズ株式会社代表取締役社長の阪根信一様に、お話を伺っていきたいと思います。それでは阪根社長、よろしくお願いたします。
【阪根】
よろしくお願いいたします。
―ものづくりへの目覚め―
【聞き手】
お父様がいわゆる発明家といいますか、色々なものを生み出す天才だったと。
【阪根】
そうですね。小さい頃から週末は父と一緒にトントンカチカチ、色々なものをつくったり、父がつくっているのを横で見たりしていました。父自身も技術者でいくつかの発明をして、私が中学1年生の時にベンチャー企業を創業して会社を育てていった、という経歴を持っています。
【聞き手】
では、子どもの頃からものづくりには非常に近い環境で育ったということですね。
【阪根】
はい。父がまだサラリーマンだった頃にも、開発したものを「こんなものができたんだよ、これはまだ世の中にはないんだ」といった話は聞いていたので、そういうところから何となくものづくりへの意識が醸成されていったのだと思います。
【聞き手】
社長ご自身も理系の大学に進学されて、将来ものづくりをやっていきたいという思いはあったのですか?
【阪根】
やはりものづくりもそうなのですが、研究開発をしたいという思いがありました。世の中に無いものを生み出すイノベーションに技術者として取り組みたいと思っていたので、理系の道に進みました。
【聞き手】
そして日本の大学に進まれて、アメリカで博士号を取られたということなのですが、専門的に研究者として生きていこうと思っていたのですか?
【阪根】
日本の大学を出たときに、就職活動をするか大学院に進学するかを判断するタイミングだったのですが、やはり技術を極めたいと思い博士課程に進もうと決意しました。そして、やはりグローバルな感覚を身に付けたいと思ってアメリカの大学院に進みました。アメリカの大学院を修了した後、教授になるのか、あるいはビジネスの道に進んでサラリーマンになるのかという選択は全く決めていませんでした。最終的に修了の1~2年前に、教授の道ではなくビジネスの道に進もうと決めました。
【聞き手】
アメリカと日本のものづくりというのは、考え方や目指す方向性などが違っているのでしょうか。
【阪根】
私が世の中に無い新しいものを作り出そうと強く思ったのは、父の影響ももちろんありますが、アメリカにいる時の経験が大きく影響しています。アメリカの文化を見てもそうだと思うのですが、何か新しいものが生まれたときに、それを改良していこうという発想はあまりなく、むしろ全く別のものに取り掛かります。人がすでにやっていることを一生懸命勉強していると、「どうしたの?」と言われてしまうような文化ですね。そういった、新しいものを作り出そうとするアメリカの風土に影響されたのだと思いますね。
社長プロフィール

氏名 | 阪根 信一 |
---|---|
役職 | 代表取締役社長 |