特別対談Vol.6 -1 ~GMOインターネット株式会社 part.1~

GMOインターネット株式会社

part.1 独立までの道

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独立までの道

齋藤
本日はGMOインターネットの熊谷社長に大変お忙しい中ご登場いただいて、今までの熊谷さんの50年の人生、あるいは企業人としての中でどういう場面でどういう決断をし、どういう変革を遂げてきたかということを中心にお話いただこうと思っています。いくつか熊谷さんの人生・社会人として節目があると思いますが、21歳で起業されるまでの間、普通の人では考えられないようないろんな場面にあい、そこで決断をされ、それが結果としてはいい決断だったということが本意だと思います。その辺を少しお話いただければと思います。

熊谷
幼少期から独立するまでの間に、私の人生を変える決断が大きく3つくらいございました。まずは1つ目ですが、私は高校を2年で中退しておりまして、國學院大学附属國學院高校というのが青山にありましてそこに首席で合格して総代をやっていたのですが、2年まで行って退学をしました それが私の今の人生を形づくっている幼少期の大きな決断の一つだったと思います。そもそも自分が満点入学して総代になってしまったので、自分はちょっとやったら勉強できるんじゃないかという大きな勘違いで学校を辞めるというような大きな決断をしてしまいました。2番目は大きな決断というよりも、決意だったんです。それは二十歳周辺のころに自分で選んだ学校をやめて、親の会社へ入っていろんな社会経験を若いうちから積ませてもらって、時間もお金も夢、希望もない本当に忙しい二十歳前後だったんです。二十歳で結婚して21歳で子どもができましたので、一人4役とよくお話をしているのですが、社会人、父親業、夫。そして放送大学に入るという。85年だったと思いますが、一期生の学生でして特修生ということで入学をご許可いただいて、朝から晩まで働いて、家へ帰ると子どもをあやして妻と話をして、寝静まったら勉強すると、そういう毎日を過ごしていました。ある日家へ帰ってきたら妻が、託児所がある椿山荘でウエイトレスをやるんだと言って、実際子どもを預けて働きに行くと子どもがもう、そこに行きたくないと毎朝泣いたりするんです。そんな時に、自分の人生非常に暗い、思ってたよりも幸せじゃないと気づき、その時私はいつか将来、自分の人生を変えてやろうと決意決断というか決意を新たにしました。その時に一生涯にやりたいことをすべて手帳に書き出して、それに優先順位をつけて未来のスケジュールを立てたということを行いました。これが自分の人生にとって独立前の大きな決断の2番目で、自分の未来はこうあるべきだと決意したということです。

齋藤
高校中退ということがある時までコンプレックスになっていたということはありますか。

熊谷
大コンプレックスです。今でもコンプレックスですし、であるがゆえに頑張っているということも当然あります。それだけではなくもっとポジティブに、夢を持って追い求めていますが、ずっと自分のモチベーションを高められているのは夢もありますが、コンプレックスもあります。両面です。

齋藤
そこはコンプレックスと言いながらも しかし自分で選択したんだぞというところがプラスに働いているんでしょうね。

熊谷
そうですね いま初めて認識したんですが、確かに退学に「なった」んではなく、退学「した」んですね。

齋藤
そうそう、俺が選んだと。本当に自分が好きなものを選んでいると。

熊谷
冗談抜きで、そのコンプレックスが自分の強みになっています。