※本ページ内の情報は2023年12月時点のものです。

1916年に創業し、現在では銅・アルミの平角線・丸線や、横巻線(絶縁紙巻電線)の製造加工で知られる株式会社ヤマキン。数々の大手企業と取引を続ける老舗企業の3代目、代表取締役社長の山城健一氏に持続的経営の秘訣をうかがった。

2代続く企業の長男に生まれて――アメリカ留学のきっかけ

ーー貴社は一族経営とのことですが、幼少期から経営者であるご家族の背中を見てこられたのでしょうか。

山城健一:
私が生まれた時には創業者の祖父は亡くなっていましたので、父の仕事ぶりを見て育ちました。高校時代にアルバイトをさせてもらったのですが、父の雇用方法はユニークでした。商売の何たるかを解すためなのか、例えば遊びにいく時でも「いくら必要なのか」といった見積書を事前につくるように言われていました。

大学ではボランティア活動に没頭し、卒業後は商社へ入社しました。自分には責任の重い経営者よりも従業員が向いていると考え、父の会社を継ぐつもりはなかったのです。

最初の就職先はいろいろなことを経験させる方針で、茶道を習う機会がありました。社長よりお茶の家元を迎えるにあたって掃除や庭の水やり、礼儀作法などを教えていただき、商社マンとしてはコミュニケーション能力や営業力が身につきました。

ーー6年ほどの商社勤務後、転機となった出来事をお聞かせください。

山城健一:
社長の代替わりなどをきっかけに退職を考えるようになったのですが、ありがたいことに引き留めていただき、そのタイミングを掴めずにいました。そこで、会社を辞める正当な理由を考え「アメリカの大学に留学します」と宣言しました。

後に引けなくなり結果的に渡米して、MBA(経営学修士)の予備校に入りました。そもそも私は勉強や英語が苦手なため下位のクラスにいたのですが、日本人がほぼいないことがむしろ面白い経験となりました。アメリカでは英語を話せないと相手にされないことがあるので、多少強引にでもコミュニケーションをとる度胸がついたと思います。

先生からすると手のかかる生徒でしたが、名前を覚えてくださり可愛がってもらえました。人付き合いでは笑顔を忘れないことが大切ですね。私自身が楽しくしていたいですし、笑顔を見せれば相手も悪い気がしないじゃないですか。

工場の見習いから代表取締役への旅

ーー1986年にヤマキンへご入社後、どのようなご経験をされたのでしょうか。

山城健一:
工場に見習いで入り、1〜2年ほど現場のことを学びました。それから営業部門や東京の事務所に入って社内の課題改善に努めました。それまで大学ノートにつけていた帳簿をシステム化したりして、基本的には自分のやりたいように会社を変えていきました。

ーー1991年に代表取締役へご就任されました。

山城健一:
私が入社した頃はバブル景気の真っ只中で業績も好調でしたが、社長就任と同時にバブルが崩壊し苦しい思いをしたこともありました。父はがんで亡くなったのですが、本人には病名を伝えていなかったため、生前に手続きできたものはありません。相続をはじめ、支払う税金の多さに特に苦労しました。

ただ、従業員への説明もなく重要なことを誤魔化して倒産する会社もたくさん見ましたので、反面教師として経営における教訓も多く得られたと思います。今はできるだけ、現場の社員からパート・派遣の方まで、あらゆる人の話を聞くようにしています。

中間層の高齢化問題――経営幹部・後継者育成について

ーー経営幹部や後継者の育成はどのようにお考えですか。

山城健一:
高齢化によって中間層がいなくなり、部長クラスを中途採用していたのですが、私としてはやはり長期的に人材を育てたい気持ちがあります。

ずっと現場にいたいと考える人に対して、「あなたが輝かないと若い人たちが育たない」と幹部への就任を説得するようになりました。もちろん管理職が合わない人がいれば、技術レベルに合わせて報酬をアップするといったことも今後は進めていくつもりです。

ーー人事評価制度にも繋がるお話でしょうか。

山城健一:
人事評価については賃金管理委員会を置いています。株式会社賃金管理研究所が開催するセミナーで私自身学ぶ機会があり、社員とも相談した上で委員会を立ち上げました。

弊社は月次でバランスシートを社員にオープンにし、夏のボーナスは固定で、冬のボーナスは10月の営業利益で決定します。11月以降の成績がプラスとなれば、ルールに従い決算ボーナスを支給し、業績評価にも反映することで、従業員のモチベーションと楽しみを醸成しています。

人間関係を通じたビジネスパートナーシップの模索

ーー今後、注力していかれることを教えていただければと思います。

山城健一:
弊社は銅・アルミを使用し、変圧器、自動車部品、マスクなどに使用される材料を多く手掛けているのですが、そのほとんどは電線が核になっています。ですから、電気自動車にも需要があると注目し、新たなお客様を見つけるためにアンテナを張っています。

「イプロス」という企業PRサービスに登録したことで、自衛隊や電気会社、自動車会社などから反響がありました。そこから日頃のお付き合いを続けることで、さらにお客様をご紹介していただくこともあります。

企業として、社長としてお客様に言われたことしかやらないのではなく、世の中のいろいろなことに興味を持ち続けることで、各所から声をかけていただけるのかなと思います。

編集後記

「どうしたらみんなが気持ちよく、楽しく働けるか」を常に考えている社長。取引においても人付き合いを大事にするトップがゆえに、事業が発展し続けていることは間違いない。ヤマキンの製品がどんな分野にまで広がっていくのか、企業の未来に期待が募る。

山城健一(やましろ・けんいち)/1955年、大阪府生まれ。近畿大学理工学部金属工学科を卒業後、東京の電機メーカー向け商社へ就職。6年後に退社し、翌年アメリカ・コロラド州ボルダーへ留学。コロラド大学内のMBA向け予備校EIで1年半ほど過ごす。1986年に帰国し、ヤマキンへ入社。営業中心の仕事を経て、1991年6月に社長就任。