「ビジネスパーソンとして更に成長したい」、「自分自身の可能性を拡げたい」、あるいは、「今まで培った経験を活かし、企業に、そして社会にもっと貢献したい」と考えたことはありませんか?

それを実現させるためには、今よりひとつ上のステージに挑戦することが必要なのかもしれません。

挑戦の手段として、様々な選択肢があります。現在勤めている会社で成果を出す、転職してキャリアアップを図る、得意分野を副業に活かす、起業をする…。

どんな方法なら、最も輝くステージを見つけられるのか。ある3人のビジネスパーソンの事例を参考に、そのヒントを探っていきましょう。

今回、社長名鑑に掲載されている中でもよく見られている企業で、「社長の右腕」として活躍されている方が、どのようにキャリアアップをされていかれたのかを一部紹介します。

【目次】
1.株式会社ブレイン・ラボ(じげんグループ)代表取締役社長 天野 孝則
2.株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングス(東証一部上場) 取締役CFO 安東 俊
3.株式会社ビーグリー(まんが王国)(東証一部上場) プロダクトサービス部・営業企画部執行役員 山田 浩平
4.まとめ

1.株式会社ブレイン・ラボ(じげんグループ)代表取締役社長 天野 孝則

2018年6月に東証一部に上場した株式会社じげんのグループ会社、人材業界向けの業務基幹システムを提供する株式会社ブレイン・ラボ。その代表取締役社長である天野孝則氏は、じげんに入社してわずか1年3ヶ月で営業責任者から子会社代表にまで上り詰めました。

現在もじげんグループの「社長の右腕」として活躍する天野氏。駆け抜けるようなスピードで成し遂げたキャリアアップは、自身の真の実力と向き合うための転職から始まったのです。

株式会社ブレイン・ラボ(じげんグループ) 代表取締役社長 天野孝則氏

天野氏は自営業を営むご両親のもと、ビジネスの厳しさを肌で感じながら育ちました。「大企業や公務員であれば生涯安泰」という時代ではない昨今、生き残っていくためには“いつ何時、どこで働いてもバリューを出せる人間であり続けるしかない”という答えにたどり着きます。

大学卒業後、新卒で株式会社リクルートスタッフィングに就職した天野氏は、スキルを磨き、マネージャーに昇進。組織目標を31ヶ月連続達成させ、全社通期の最優秀マネージャー賞を受賞します。


しかし天野氏は、これらの功績に対し、自分の実力だけで勝ち得たものなのかと疑問を抱きました。

リクルートスタッフィングという環境があってこその成果かもしれない――。


「そもそも就職するきっかけが、“いつ何時、どこで働いてもバリューを出せる人間”になりたいからだったのですが、自分の本当の実力に対して、自分自身が半信半疑でした。同時にもう一方で、こういった感覚を全社トップの賞を頂いたタイミングで持つことができているということは、まだビジネスパーソンして健全な状態だとも思いました。そこで、この感覚が麻痺しないうちに外に出ようと考えて転職を決意したのです。」
※社長名鑑「社長の右腕ー転職後1年3ヶ月で上場企業の子会社代表になった『社長の右腕』が語る、成果を出す法則とは」より抜粋


天野氏は、自己を客観視できる感覚が麻痺する前に「外に出よう」と考え、転職を決意したのでした。

じげんに入社した決め手は、「今までの経験が一番“活かせない”環境だったから」。未知の世界に飛び込むことが、自身の成長に繋がると考えたのです。

平尾社長のビジネスパーソンとしての魅力を面談で知り、天野氏は新たなステージをじげんに決めました。


入社早々から、じげん本体の経営推進部に籍を置きつつも、様々な業務に携わっていました。最初は営業の責任者として始まり、2週間後には事業開発の方にも関わるようになっていました。

2017年4月からはコーポレートも含めた会社全体を見ることになり、10月に社長に就任しますが、実際作業的には4月からほぼ社長としての業務を行っていました。


天野氏は、営業の責任者として入社早々から様々な事業に携わることとなります。

しかし、その実力を認められ、わずか9か月後にはブレイン・ラボ全体を見渡す経営者側に立つように。ほぼ社長業と変わらない業務を任されます。

そして半年後、名実共に同社の代表取締役社長に就任するという、まさに異例のスピードでキャリアアップを遂げたのでした。

現在は、事業の発展を目指すとともに、多様な働き方を推進し、じげんグループに新風を吹き込む存在となっています。

さらに、社長の描くビジョンを現実に落とし込むための意志決定をサポートする「右腕」として、誇りを持って仕事と向き合う日々を送っています。

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2.株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングス 取締役CFO 安東 俊

後継者不足や経営難の中小食品企業をM&Aによって子会社化し、グループ全体で相互補完することで、企業を再生・活性化へと導く株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングス。

2017年には東証一部に市場変更を果たし、日本を支える中小企業の悩みを救う存在として、今、注目を集める企業です。


「社長の右腕」として吉村社長を支える取締役CFOの安東俊氏は、同社が東証一部に上場した際の立役者でもあります。

大手グループ企業から創業間もない同社へ飛び込み、キャリアアップを果たした安東氏。キャリアチェンジのきっかけは何だったのでしょうか?

株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングス 取締役CFO 安東 俊氏

海外生活が長かった祖父の影響で、安東氏は学生時代から海外で仕事をすることに憧れを抱いていました。

しかし、新卒で入社したYKK株式会社の配属先は建材部門。海外へ行ける機会はなかなか訪れなかったと言います。それでも安東氏は諦めず、英会話スクールに通いながら、海外勤務の夢を追い続けました。

TOEICで目標点を突破し、英語の勉強に一区切りをつけた後、今度は友人の勧めで簿記を学び始め、資格も取得。現状では海外転勤の実現は難しいと考え、簿記の資格を活かしながら、海外へ通じる仕事をするべく、安東氏はりそなキャピタル株式会社へ活躍の場を移しました。

M&Aのアドバイザーとして仕事をする中で、株式会社エルパートナーズ(現・株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングス)の代表、吉村氏と出会います。取引を進めていく中で親しくなり、「M&Aをした会社を立て直してみないか」と声をかけられました。

当時、安東氏は「自分の能力を今の職場では活かしきれていないのではないか」という思いが募らせていました。

取引が終わると同時に顧客との関係が切れてしまう現在の業務よりも、YKKの営業時代のように、じっくりと1つの企業と長く関わり、ともに成長していく方が、自分の働き方には合っていると気づき始めていたのです。

吉村社長の人柄にも惹かれ、安東氏はエルパートナーズ(現ヨシムラ・フード・ホールディングス)への参画を決意しました。


しかし、当時の社員数は、社長を含めたったの2人で、まさに駆け出したばかりの企業。

大手グループ企業であるりそなキャピタルでのキャリアを断ち切ってまで、彼がキャリアチェンジの道を選択したのは、吉村社長の「どの会社に所属するかではなく、どのような経験をするかが大切だ」という一言でした。

「これまでの会社で1年間働いて得られるものと、吉村の会社に入って得られるものとは何十倍も違うはずで、その経験は必ず自分の成長につながるという言葉に胸を打たれ、迷いなく自分の進路を決めました」
※社長名鑑「東証一部上場に導いた取締役CFOがこだわる、「社長の右腕」となるための時間活用術」より抜粋

りそなキャピタルを退職した翌日には北海道に飛び、経営難に陥った企業の再生に専念。会社の意思決定を自ら行い、従業員と信頼関係を築いていきました。

大企業の中で、上司の指示に従って動いているだけでは味わえないようなやりがいが、そこにはあったのです。


本社に戻った安東氏は、執行役員として経営企画室長に就任。「頂点を目指す」という吉村社長のビジョンを具現化すべく、ホールディングス化に向けて動き出します。

会社全体が「成長しよう」という機運に満ちあふれる中、上場に向けて安東氏は奮闘します。そうしてついに、2016年3月、東証マザーズに上場。およそ1年後には東証一部に市場変更を果たしました。


現在、安東氏は2017年に買収したシンガポールの企業に毎月1週間程度出張しています。自らの能力を存分に発揮できる環境の中、学生時代からの夢をついに実現したのです。

どの会社に入るかよりも、どのような仕事・経験ができるのか、いかに自分を成長させられるかが重要だと語る安東氏。やりたい仕事ができるチャンスがあるという幸せを胸に、これからも企業とともに成長を続けていくことでしょう。

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3.株式会社ビーグリー(まんが王国) プロダクトサービス部・営業企画部執行役員 山田 浩平

日本最大級の電子コミック配信サービス『まんが王国』を運営する株式会社ビーグリー。2017年に東証マザーズに上場し、その1年後には東証一部に市場変更を果たすなど、目覚ましい成長を遂げています。

同社を支える「社長の右腕」が、プロダクトサービス部・営業企画部執行役員の山田浩平氏です。

株式会社ビーグリー プロダクトサービス部・営業企画部執行役員 山田 浩平 氏

大学卒業後、先輩社員たちの人柄や仕事への情熱に惹かれ、大手商社の内定を蹴って株式会社リクルートへ入社。「リクルートでは、新規事業の立ち上げの楽しさや事業継続の難しさを知ることができた」と山田氏は当時を振り返りました。


その後、株式会社オールアバウト(旧:株式会社リクルート・アバウトドットコム・ジャパン)へ出向し、広告営業部部長を経てモバイル事業部部長に就任。インターネット広告の隆盛とともに、業績は右肩上がり伸びていきました。

しかし、3年ほど成長が続いたのち、新興のコミュニティサイトやゲームサイトの台頭により、徐々に売り上げは鈍化。「いずれ落ちる」という心構えを持つことの重要性を肌で感じました。


30代後半に起業を経験した後、ネットリサーチの株式会社マクロミルに転職。それまでの経験を活かし、子会社の取締役として事業を軌道に乗せることに成功しますが、山田氏の胸の内には「新たな挑戦をしたい」という想いが沸き上がっていました。

そんな中、出合ったのがビーグリーです。

企業のもつポテンシャルはもちろん、何より、吉田社長と面談を終え「一緒に仕事がしたい」と思ったのが、入社の決め手でした。「ビジョンや成長戦略をお互い遠慮なく語り合えたのが嬉しかった」と山田氏は振り返ります。


「社長の右腕」としての役割を期待されて入社した山田氏は、社内システムや組織の大幅な変革に着手しました。

しかし、改革には摩擦が伴うもの。それでも、山田氏は「そうした摩擦も全て受け止め、緩衝材となる」覚悟で挑んだのです。


広告投資の方法にもメスを入れた結果、費用対効果が改善。当初戸惑いを見せていた社員たちも、実際に改革の効果が表れてくるに連れ、意識も変わり、パフォーマンスが向上するようになっていきました。

入社当初から社長と対等に意見を交わし合える関係性を築いている山田氏。経営者を支えるだけではなく、時には厳しい意見も遠慮なく言います。まさに経営者と「共に歩む存在」として、さらなる事業拡大に向け、そのかじ取りを任されています。

「『社長の右腕』というのは、自分にとって良いプレッシャーになっていますし、やりがいでもあります。そうしたポジションとしてビーグリーに入社しましたので、そこは期待以上の成果を出していきたいですね」
※社長名鑑「私が緩衝材になる。東証一部上場企業の『社長の右腕』が明かす、入社半年以内に成果を出すことができた秘訣とは」より抜粋


山田氏の今後の目標は、『まんが王国』を市場トップに押し上げること。

40代半ばでの転職。培った様々な経験を武器に、「社長の右腕」としての新たな挑戦が始まります。

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まとめ

それまでの経験や培ってきたスキルを最高に活かせる環境と巡り合い、「社長の右腕」として第一線で活躍している3名のビジネスパーソンたち。

キャリアアップの選択肢は様々ですが、転職もそのひとつ。

自分自身のポテンシャルを信じ、今とは違う環境で挑戦することが、キャリアアップの近道なのかもしれません。