優良な商品や技術力を持ちながらも後継難や資金調達力不足などにより経営難となった中小食品会社をM&Aによって子会社化し、企業の再生と活性化を図る株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングス。2017年3月には東証一部上場をも果たしている。

拡大を続ける同社に2008年設立当初から参画し、代表取締役CEO吉村元久氏を支え続けているのが、現・最高財務責任者(CFO)・管理本部長の安東俊氏だ。大手企業の経歴を振り捨て、30代目前で創業したての同社に飛び込んだ安東氏に、入社のきっかけや経営の中枢で走り続ける思いを伺った。

人生初の成功体験から学んだこと

-ご幼少の時はどのようにお過ごしでしたか?

安東 俊:
母がピアノ教師でして、その母の指導の下、泣く泣くピアノを弾いていたことが思い出深いですね。最初は全く弾けなかった新しい曲も、毎日練習を重ねていくうちに、最後には今までできなかったことが不思議に思えるくらい弾けるようになりました。ピアノを通じて、努力を続ければ結果に結びつくことを学びました。私の最初の成功体験です。

油断が招いた就職の挫折と人生を切り拓くための挽回策

-慶応義塾大学卒業後、YKK株式会社に就職された経緯をお教えください。

安東 俊:
私は「やればできる」ことを体験してしまったからなのか、追い込まれてから力を発揮することを繰り返していました。高校受験では「今の成績では無理」と言われてから一生懸命勉強を始め、高校に入ったらそこで満足してしまい大学受験は浪人。それがショックで思い切り勉強したら第一志望の大学に入れた、という具合です。

大学に入ってからもまた、どこかで心の油断が生まれたのでしょう。海外生活の長い祖父の影響を受けて、将来は世界に出て働きたいという思いを持ちながら、いざ就職活動の時期になってから全く準備が足らなかったことに気が付きました。同級生が次々と大手メーカーや金融機関などへの内定を決めていく姿を横目に見ながら、私は海外勤務の希望を伝えてYKKに入社しました。

しかし営業として入社した私の配属はYKKの建材部門。海外に行ける機会はなかなかありません。それでもここから挽回を図ろうと、海外を目指して本格的に英語を学び始めました。新人として仕事を覚えながらもスクールに通い、週末も英語漬けで学生時代以上に勉強に励みました。さらにアメリカのYKKの社長に手紙を送るなどして、なんとか海外につながる道を模索していました。


-その中で、なぜ、営業職からベンチャーキャピタルへ転身されたのでしょうか?

安東 俊:
海外で仕事がしたいという夢を叶えられないと思ったからです。そして、現在につながる会計の学びを得たことも大きかったですね。

それまで様々な海外へのアプローチを試みていましたが、TOEICで目標の点が取れた頃、これ以上英語の勉強をしても現状ではあまり意味がないと感じ始めました。そんな時友人が、「経済学部だったのなら、簿記を勉強してはどうか」と勧めてくれたのです。始めてみたらとても面白くてすっかりのめり込んでしまい、今度は簿記の勉強漬けです。簿記が楽しくて資格まで取ると、この知識を実務で活かしたいと思い始めました。社会人としての基礎を身に付けようとYKKには5年在籍しましたが、海外勤務に関われるような異動は難しいと感じていたことからも、りそなキャピタルへの転職を決めました。

社員2人の会社に転職する決め手となった言葉

-さらに1年半後の2008年、現ヨシムラ・フード・ホールディングスに転じられた理由は何だったのでしょうか?

安東 俊:
まさに代表の吉村と出会ったからにほかなりません。私はりそなキャピタルではM&Aのアドバイザーを務めており、私が担当する案件の買い手として名乗りを上げたのが吉村でした。取引を進めるうちに親しくなり、吉村から「M&Aをした会社を立て直してみないか」と持ち掛けられたのです。

実は私は、取引が終了するとともに顧客との関係が途絶えてしまうM&Aアドバイザーの仕事に物足りなさを感じ始めていました。YKK時代の営業のように、一つの企業を長く担当して人間関係を作り、ともに成長していくスタイルが自分に向いていることに気が付きました。自分を活かしきれていないのではないかという思いが積もってきていたのも、この時期です。

これまでの取引を通じて、細部を気にせず大きな重要部分にこだわり意思決定する吉村は、経営者として優れていると感じていました。さらに、竹を割ったような性格や付き合いやすいカジュアルさがとても魅力的で、こんな人と仕事がしたいと思いながら仕事をしていました。その人に必要とされる喜びと、30歳手前の若さで経営に近い経験ができて、これまでとは視点を変えて仕事ができる可能性に非常に惹かれて、吉村と行動を共にすることに決めました。


-それでも当時の御社は設立直後で社員は創業者の2名だけでした。迷いはありませんでしたか?

安東 俊:
もちろんリスクは考えましたが、私が入社に踏み切った一番の決め手は「どの会社に所属するかではなく、どのような経験をするかが大切だ」という吉村の一言です。これまでの会社で1年間働いて得られるものと、吉村の会社に入って得られるものとは何十倍も違うはずで、その経験は必ず自分の成長につながるという言葉に胸を打たれ、迷いなく自分の進路を決めました。

退路を断って臨んだ経営再建

-入社後は、どのような仕事に関わられたのでしょうか。

安東 俊:
前職を辞した次の日から、M&Aをした会社の関連会社である、北海道の会社の再建のため現地に向かいました。電気や水道も止められる寸前で、とても荒れていた会社を正常な軌道に乗せることが私に与えられたミッションです。私にはもう戻る場所はなく、やるしかないという一心でした。

吉村からは「会社の人と仲良くなれ」と言われました。親しくなって、自分の方を向いてもらえるようになることが仕事として一番大切だ、と。そのため、まずは工場などの現場に出向き、一緒に作業をすることなどから始めました。そしてひたすらいろいろな人と話をし、誰よりも長く働くことを心がけました。最後まで会社に残り、休日も出社する毎日でした。

もちろん、苦しいと感じたことはありましたが、それ以上に知らない土地で今までやったことがない仕事をやることが楽しかったのです。自分自身で会社の意思決定ができましたし、人間関係ができてくると従業員の人たちが私を頼ってくれるようになることも嬉しかったですね。1年半の間、年上の人たちとコミュニケーションを取ったり、皆が付いてきてくれるためにはどうすればよいかを考えたりする日々は、大手企業で上司の命令のもと動いているだけでは味わえないとても良い経験となりました。

株式上場を実現して変わった社内の意識

-本体に戻られた後は、執行役員として経営企画室長に就任され、上場を経験されました。

安東 俊:
頂点を目指すという吉村の大号令の下、これまでバラバラと集めていた食品会社をまとめ、ホールディングス化が始まりました。私は経営企画室長として組織作りのかじ取り役を任されました。上場準備は期限が決められているため忙しかったですね。上場するためには、グループ会社に今までやらなかった作業をやってもらわなくてはなりませんし、我慢を強いた部分もありますので内心プレッシャーを抱えながら業務をしていました。

-上場されて、変化はありましたか?

安東 俊:
会社を成長させようという機運が、グループ全体で格段に盛り上がりましたね。吉村は従業員にも株主として経営に加わってもらおうという考えがあり、ストックオプションを幅広く付与し、従業員持株制度も作りました。そのため、地方のいろいろなグループ会社の人が上場後は株価を気にするようになったのです。「これから上場するから頑張ってください」と言われてピンと来ていなかった人でも、実際に自分が株をもらえば自分の会社の経営に興味を持つようになります。当社の今の株価は付与時点の数倍になっているので、それなりの利益が出ています。自分が頑張れば、その分見返りがあることを実感してもらえたと感じています。

30分、1時間で会社にどのように貢献できるかを常に考える

-入社2年で執行役員、さらに2年後には東証一部上場企業の取締役CFOに就任されました。人数が少なかったとはいえ、なぜそれほどのスピード感を持ってキャリアアップができたとお考えですか?

安東 俊:
「時間は有限なのだから、優先順位の高い仕事から行うべき」という吉村の仕事の心得に感銘を受け、時間を有効に使うことを常に意識することができたからではないでしょうか。優先順位はいかに会社の収益に貢献できるかで考えます。自分がこの30分、1時間で会社にどのように貢献できるかを考えて仕事をしているので、ただ今日1日が終わればいいと思って過ごしたことは1度もありません。吉村には、未だにできていないと言われますが、一因にはなったと思います。


-「社長の右腕」と言われることにプレッシャーはありますか?

安東 俊:
光栄に思います。私は社歴が一番長く、愛社精神は誰よりも強いつもりです。会社を良くすることが私の役割ですし、そうできる自信もありますので、プレッシャーではなくやりがいを感じます。当社には常勤の役員が3人いますが、それぞれの役割が全く違うのです。私の仕事は私しかしていませんし、自分が何を為すべきなのかを常に考えて動いています。


-今だから言える社長とのエピソードがありましたら教えていただけますか?

安東 俊:
入社2年目で吉村が会社を上場させると言い出し、ベンチャーキャピタルからの資金調達を任されました。実は内心、上場なんてできるわけがないと思っていたのです。しかし実際に上場し、さらに1年後には東証一部に行くんだという言葉も実現しました。吉村自身は細かな実務は行わず、方向を定めた後は任せるタイプなのですが、示した方向に本当に進みます。話したことが現実になるので、最近は突拍子もないことを言っても笑わなくなりました(笑)。

自分が生み出した価値が夢を叶える

-今後はどのような展開を考えていらっしゃいますか?

安東 俊:
先程も申しましたが、私はずっと海外で働きたいと思っていました。2017年12月にシンガポールの会社を買収し、現在は月に1度1週間現地に行っています。まさにやりたい仕事とチャンスを与えてもらえたことには感謝しかありません。個人の目標としては実務や円滑なコミュニケーションに使える英語をレベルアップさせ、海外の方との価値観の違いも楽しみながら、人間としても成長していきたいですね。

会社としては、当社のビジネスには可能性とニーズがたくさんあるはずですので、私は成長に貢献しながら、従業員が生きがいを持って働けるような会社にしていきたいと思っています。


-最後に、就職や転職で悩んでいる人にメッセージをお願いします。

安東 俊:
どの会社に入るかよりも、どのような仕事・経験ができるのか、いかに自分を成長させることができるのかが重要です。どの会社にいたとしても、いかにして会社に貢献できるかが、人間としての価値にもなります。就職で悩んでいた頃の自分にもし言葉をかけられるとしても、そう言って背中を押してやりたいですね。

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編集後記

カリスマ的な経営者である吉村社長のもと、組織拡大に貢献してきた安東氏。ご経歴の中では「火がつくのが遅い」かのように自身を評していた安東氏だが、受験や働きながらの勉学の話を伺えば、一度火が灯れば徹底して燃え上がる意志の強さが感じられる。冷静沈着な中にも情熱と能力を併せ持つ若きCFOの存在は、ヨシムラ・フード・ホールディングスが今以上に躍進する要となるに違いない。

安東 俊(あんどう・しゅん)/1978年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。
YKK株式会社在籍中に簿記の資格を取得し、りそなキャピタル株式会社に転職。2008年9月、設立されたばかりの株式会社エルパートナーズ(現・株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングス)に入社し、東証一部上場に貢献する。2012年より取締役CFO(管理本部長)。趣味はテニスとランニング。

※本ページ内の情報は2018年3月時点のものです。

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逆風を乗り越えて。同業他社ゼロのビジネスモデルの全貌

株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングス 代表取締役CEO 吉村 元久