※本ページ内の情報は2024年3月時点のものです。

神奈川県横浜市を拠点に不動産業を行ってきた株式会社高尚。

3代目である代表取締役社長の高見澤尚弘氏は、割烹料理店をオープンさせるなど企業に新しい風を吹かせている。新規事業のコンセプトや今後の展開について話を聞いた。

事業のコンセプトは食を通じて「人と人」を繋ぐ懸け橋となる」「日本の魅力発信!」

ーーまずは貴社の事業内容やコンセプトについて教えていただけますか。

高見澤尚弘:
高尚は、私の祖父と父が1986年12月に設立した会社で、もともとは不動産管理業を行っていました。

現在は飲食店を中心に事業展開し、「季節を感じて頂ける」「自然と笑顔になって頂ける」様なメニューをコンセプトとし、スタッフを含め、そこに集う全ての方々がお互いに良いコミュニケーションを取り「笑顔で過ごせる空間」を作っていければと考えています。

また、日本各地で作られているお酒もご用意しております。様々な味を楽しみつつ、その土地の風土や歴史も感じて頂ければと思っております。

そして、当店で楽しいひとときを過ごし、「明日への活力」につなげていただければ幸甚です。

キャリアの変遷~父の会社を継ぐまで~

ーー高見澤社長のご経歴を詳しくおうかがいしたいと思います。

高見澤尚弘:
日本大学芸術学部を卒業して、電機メーカーに就職しました。友人が空間デザインを学んでいた影響で、照明を通じて街づくりをしている企業に興味があったのです。

そして入社し数年が経った頃、転勤の話がありました。その時、父が体調を崩した事もあり、生活や仕事の手伝いをする為に退職を考えていたところ、父より「横浜や東京以外を見ることが大切」と言われ、仙台へ転勤しました。

私が今こうやって生きている事、生かされている事は、仙台での生活、福島県での仕事があったからこそであり、その後における大きな転機となりました。

そして約8年勤め、父の体調悪化を機に退職する事になりました。

ーー家業を継いだときの気持ちや取り組んだ仕事についてお聞かせください。

高見澤尚弘:
仕事に対する不安はありませんでした。理由は「父の世話をする為」に戻ってきたので、他の事は全く考えていなかったからです。仕事は日々覚えるしかないので、何も分からない事に1つ1つ取り組むというだけでした。

ただ、「仕事はやれば覚えるが、人間関係や人付き合いはよく考えて。」という事だけは念頭に置いていました。十人十色という様に、人はそれぞれ違うので、礼節をわきまえながら皆さんと誠実にコミュニケーションを取ろうと考えていたからです。

また、会社については「変えて良い事と、変えてはいけない事」のバランスを考え、慎重に対応しました。

レストランを始めたきっかけ、日本の食への思い

ーー飲食業を始めたきっかけを教えてください。

高見澤尚弘:
不動産業として飲食店を中心にテナントを探していたところ、フランチャイズ経営のお話をいただき、そういった道もあるのかと気づきました。それではいっそのこと「自分で飲食店を開いた方が楽しいのでは?」と考えたのです。

実際にフランチャイズをして勉強してみるのも良かったかもしれませんが、いろいろな人から学びながら誠実に仕事をしていけば大丈夫だと信じて、イチから飲食店を始めました。

ーー当時から今までを振り返ると、どのような思いでしょうか?

高見澤尚弘:
私は横浜や東京など、それなりにお金を払わないと美味しいものが食べられない環境で育ちました。とはいえ、高くておいしいものなんて日常的に食べられません。しかし、仙台に転勤して福島県を担当し、たまに東北5県で仕事をする中で、地元の安くて美味しいさまざまな食とお酒を頂く機会がありました。

当時は20代でしたが、日本にはおいしいものがいっぱいあり、季節の食事を楽しむ機会は日常の中にあるのだと知ったのです。飲食店を始める際に抱いた「皆さんに日本の四季を感じてもらいたい」という気持ちは、今でも変わっていません。

飲食業と不動産業の両輪を回す上で大切な信頼関係

ーー飲食業界は入れ替わりが激しい印象です。ご苦労はありましたか?

高見澤尚弘:
コロナ禍の影響で店を開けられなかったときには、どうすればスタッフがモチベーションを保って仕事ができるかを考えて、板前さんに「既存の材料だけを使った新メニューを考案して」と依頼しました。

できあがったメニューをテイクアウトしたスタッフのご家庭で、「こういうお店で働いているんだね」「この料理おいしいね」といった会話が生まれることも必要であり、それが板前の料理人として成長に繋がると考えていた事も、これを行った理由の1つです。

順風満帆に行かない中でも、スタッフ同士でコミュニケーションを取り、知恵を出す事で、新たな発想や取り組みにつながると思っています。

スタッフには「この状況を何かのせいにしてはいけない。」「自分達のやれる事をしっかりやる事が大切」と話をし、1日も店を休業する事なく、特にランチでご来店されるお客様のお力添えをいただきながら営業を行ってきました。

ーーコロナ禍における不動産業の方はいかがでしたか?

高見澤尚弘:
飲食業についてはもちろん助成金も頂きながら営業していましたが、不動産業については助成金は殆ど頂けなかったです。その中でテナントさんからの家賃減額の相談も多く、対応が難しい状況もありましたが、幸いトラブルになった事はありませんでした。

テナントさんの退去等、様々な事がありましたが、お互いに日頃よりコミュニケーションを取っていた事が、相互理解につながり、退去後もすぐに新しいテナントさんに入っていただける展開となりました。

企業の課題と若手へのエール

ーー今後のビジョンをお聞かせください。

高見澤尚弘:
店舗拡大を行うことで、お客様へ日本の海や山からの恵みを感じて頂けるように、そして食を通じて「人と人」「日本各地にある自然の恵みと人」をつなげていきたいと考えています。四季折々の美味しい食材を通じ、お一人お一人の心が更に豊かになっていける様、努めていきたいと思います。

現代は、夏が旬だった魚が秋まで獲れたり、東北にいた魚が北海道まで行かないと獲れなくなったり、明らかに気候が変化しています。また、同じ魚でも、食べるエサにより産地ごとによって若干味が異なるなど、食事を通して日本の風土や環境を知ることは「自分たちは何をすべきなのか?」と考える良い機会になると思います。

ーー若手の方に向けたメッセージもお願いします。

高見澤尚弘:
自分らしく生きる事が大事です。そのためには自分はどういう人間かを知る事、長所や短所を理解し、どう生きていきたいかを考える事が必要です。これからの人生の方向性が決まっている人はそこへ向かいますが、ある日突然決まったり、ふとした事で気が付いたりするものでもあるので、まだ決まって無くて良いと思います。自分らしく日々誠実に生きる事で、必ず道が開けます。

「自分は将来こういう人間になりたい」と心に強く持ち、楽しく生きていけば、困難な状況があったとしても自然と周囲に応援者が現れ、良いアドバイスを得られるのではないでしょうか。

編集後記

従業員や取引先とのコミュニケーションを日頃から大切にしている高見澤社長。

祖父と父が営んでいた会社ではなく、様々な状況の中で今の会社を引き継いだ中で、追究し続けている日本食の素晴らしさと笑顔のおもてなしを、ぜひ店で味わってみたい。

高見澤尚弘(たかみさわ・なおひろ)/1973年、神奈川県横浜市生まれ。日本大学芸術学部を卒業後、電機メーカー勤務を経て2002年に株式会社高尚へ入社。2005年、代表取締役に就任。「和」を大切に、関係する全ての人が「自然と笑顔になれる」店づくりを目指す。