※本ページ内の情報は2024年4月時点のものです。

ショーワグローブ株式会社は、国内シェアNo.1を誇る(※2022年末時点)手袋の専業メーカーだ。家庭用から産業用に至るあらゆるシーンで活躍する、2000種類にのぼる手袋を製造しており、約70年間多くの人々の手を守る事業を進めてきた。

今回は代表取締役社長の星野達也氏に、これまでのキャリアや苦労したエピソード、起業の経緯、社長就任後の取り組み、求める人物像などについてうかがった。

鉱山技術者のキャリアをリセットし、マッキンゼーへ入社

ーー大学院を卒業後に三井金属鉱業株式会社へ入社した理由を教えてください。

星野達也:
世界一の鉱山技術者になるんだという思いで、大学・大学院・留学時代に鉱山開発の勉強をしていたためです。しかしながら大学院留学から帰って就職後、自分には日本企業の環境が合わず、10ヶ月程で退職することになりました。会社が悪いわけではなく、今思うと私の期待値が大きすぎたのだと思います。留学中、現地企業との協働プロジェクトに参画していたので、その雰囲気を求めていたのかもしれません。

ーー次の会社にマッキンゼー・アンド・カンパニーを選んだ理由を教えてください。

星野達也:
鉱山技術者の仕事は専門職なので、これを辞めるとなるとキャリアをリセットするしかありませんでした。

そして「改めて仕事をゼロからやり直そう」「せっかくなら厳しいところに身を置いた方が成長につながる」と思い、それらが叶うマッキンゼーへ入社することを決めました。

退職の危機をマネージャーに救ってもらった

ーーマッキンゼーで仕事をする中で大変だったことは何ですか?

星野達也:
自分の能力の限界を超える日々が続いてとても大変でした。当時のマッキンゼーには、アップ・オア・アウト(昇進できなければ去る)という不文律がありました。パフォーマンスが一定の評価基準を下回るとイエローカードを1枚渡され、2枚もらうとレッドカードとなり、退職しなければならないというものです。

マッキンゼーに入社したときには既に家庭があったので、なんとしてもクビだけは避けなければいけないというプレッシャーも大きく、委縮していたのだと思います。そのため最初は成果をうまく出せませんでした。その結果、入社して3年目にとうとうレッドカードをもらってしまったのです。

ーーその危機をどのように乗り越えましたか?

星野達也:
たまたまマッキンゼーが忙しくなり始めた時期で、人手不足だったこともありますが、あるマネージャーが「星野をクビにするのなら、私が預かる」と社長に掛け合ってくれて、そのおかげで退職はなくなりました。まさに首の皮一枚でつながった感じです。

それ以降私は「一度クビになった立場なので、もう怖いものは何もない」という吹っ切れた気持ちになり、肩の荷がおりて、その後は良いパフォーマンスをあげることができるようになりました。

その後、マッキンゼーの先輩から「一緒に会社を作ろう」という誘いをもらい、面白そうだと思い、株式会社ナインシグマ・ジャパン(現ナインシグマ・アジアパシフィック株式会社)を共同創業することを決断しました。

マッキンゼーは入社6年目に退社することとなりましたが、退社の希望を出した際に、会社から「もう少しいてほしかった」と言っていただけました。危機を乗り越え、成果を出すことができた会社だったので、大きな達成感とともに新しいスタートを切ることができたと思っています。

起業の苦労と面白さを同時に味わう

ーー起業後はどのような心境でしたか?

星野達也:
「日本の製造業に変革を起こす」という思いで起業したのですが、現実は厳しかったです。

ぽっと出のベンチャーにお金を払ってくれる会社はそうそうなく、最初はかなりの苦戦を強いられました。毎日終電で帰宅する生活で、週末も休めず、体力的にもかなりきつかったです。起業して2年目には体調を崩し、入院してしまったほどです。しかし、ハードな環境でありながらも新しいマーケットを自分たちで作っていく楽しさもあったので、充実した日々でもありました。ここでの経験はとても貴重でしたし、今の自分があるのもこの時の苦労があったためだと感謝しています。

ーーその後、ノーリツプレシジョン株式会社へ移った経緯を教えてください。

星野達也:
起業後10年も経つとだんだん自分の「成長曲線」が横ばいになるのを感じました。そんな時に「ノーリツプレシジョンの再建に挑戦しないか」と投資ファンドから声をかけられ、2016年に社長として入社しました。

ここでもいろいろな経験をさせていただきましたが、ナインシグマ時代の、ゼロから1をつくるスタートアップとは違い、業績悪化にあえぐ売上100億円規模の会社を再建するという、別視点での難しい課題でした。途中で何度もギブアップしそうになりましたが、ありとあらゆる手段を講じながら、7年かけ、なんとか会社を成長基調に戻し、私がいなくても大丈夫というレベルまで回復させることができました。

限られたリソースを駆使して会社を建て直すという経験は苦しかったですが、ここでの成功体験は、自分に大きな自信を与えてくれました。一方、会社が健全になれば私はお役御免なので、2022年末で後任にポジションを譲り、私は次の仕事を探すこととしました。

「一番難しそう」という理由でショーワグローブの社長に就任

ーーその後、貴社の社長に就任した経緯を教えてください。

星野達也:
ノーリツプレシジョンでのミッションを終える頃、次の仕事探しに移るわけですが、いくつか面白いポジションをオファーされ、その中から、次の戦場をショーワグローブ株式会社に決めました。決めた理由は、一番難しそうだったためです。また、規模が大きく戦略的な自由度が高いので、いろいろやりようがあるのではないかとも思いました。会社としての基礎も強く、経営がしっかりすれば十分変革できるという自信もありました。

ーー社長就任後に取り組んだことを教えてください。

星野達也:
いつものことではありますが、「突然外からやってくる社長」という立場で会社に入り、いきなり変革を起こします。会社の状況を知らされていなかった社員は驚いたと思います。「何が起こるんだろう」って。今だから言えますが、いろいろと社内から抵抗も受けました。

ですがやることは極めてシンプルで、セオリー通り、会社の状況を全社員に説明して危機感の共有を行い、その後今後のビジョン説明を行い、「変わるんだ」ということを意識してもらいました。そのうえで、中期経営計画作成、全社への説明など行いましたが、言ってみれば当たり前のことを当たり前にやるだけです。

そのうえで、会社が正常化するうえでボトルネックとなるところに対して、丁寧に対応をしていきます。当社の場合は、全社的なガバナンス強化と北米のビジネス強化が大きなポイントで、入社して一年経ちますが、今もそこに相当な時間とエネルギーを使っています。

仕事は楽しい、の一言に尽きますが、とはいえなかなかのストレスで、社長就任後しばらくたったころ、過労がピークに達したのか、歩きながら気を失い側溝に転落して大けがをし、入院・手術のためにしばらく戦線を離脱するという大失態を犯しました。社長としてはやってはいけない失敗です。会社にも多大な迷惑をかけ、改めて自己管理の大切さを痛感させられました。

世界中の人の手を守る事業を展開

ーー貴社の魅力を教えてください。

星野達也:
製造業はとても健全な仕事だといつも考えています。なぜなら、それだけでは価値が少ない原料を自分たちの手で加工することで付加価値を与え、皆が幸せになれるような商品を世の中に出しているからです。自分たちがいなければ生み出せない価値を生み出しているという自負があります。

そして、そんな健全な業界の中で、弊社は「世界中の人の手を守ることに世界一こだわる会社であり続けよう」という思いで事業に取り組んでいます。

また、弊社で働く従業員の4割は女性であり、いろいろな現場で女性が活躍しています。男女ともに活躍できる会社であることも魅力だと思っています。

上昇志向・グローバル志向の方はぜひ弊社へ

ーー貴社が求める人物像を教えてください。

星野達也:
弊社は今年、年功序列を廃止し、実力主義の人事制度に変更しました。若い方も活躍しやすく、今後グローバル化が加速する世の中で、グローバルに働きたいという思いがあれば叶えられやすい会社です。人材育成には意図的に時間とコストをかけるつもりです。ですから、上昇志向の強い人やグローバル志向の人には、ぜひ弊社に入社してほしいと思います。

また、弊社は、DX(デジタルトランスフォーメーション)を積極的に進めています。一例ですが、社内コミュニケーションにはSlack、業務のベースにはGoogle Work Space、営業ツールにはSalesforceを使用するなど、社外から採用したCDxOが中心となって活動を牽引しながら、テクノロジーを使って効率的に業務を進められる環境を整え、業務の生産性改善を追求しています。

このような環境で働きたいと思った方も、ぜひ応募してください。

編集後記

マッキンゼー時代のクビ宣告や、起業後の苦悩、企業再生における崖っぷち体験など、今までに多くの困難にぶつかってきた星野社長。

それでも諦めずに全て乗り越えてこられたのは、鉱山技術者、コンサルタント、経営者と、職はさまざまでも常に「発揮」してきた、「夢中になる癖」と努力のおかげであったことは明白だろう。

そんな星野社長はショーワグローブ株式会社がさらに飛躍するために、これからも多くの挑戦を重ねていくだろう。

星野達也/栃木県小山市出身。1999年3月東京大学大学院地球システム工学科修了後は三井金属鉱業株式会社に鉱山技術者として入社。2000年9月マッキンゼー・アンド・カンパニー・ジャパン入社、2006年10月株式会社ナインシグマ・ジャパン取締役COO就任、2016年8月ノーリツプレシジョン株式会社代表取締役社長就任。2023年1月ショーワグローブ株式会社取締役副社長就任。2023年3月同社、代表取締役社長就任。