株式会社フォーシーズ 宅配ピザ『ピザーラ』で業界トップ。50業態超、1,300店舗以上を展開 株式会社フォーシーズ 代表取締役会長兼CEO 淺野 秀則 

Vol.1 人生の転機

インタビュー内容

―フォーシーズ設立まで―

【齋藤】

色々なアルバイトをやりながら卒業されて、それから10の事業をやったというのは淺野さんの有名な話ですね。その中で特に思い出に残るビジネスってどういうのがあるんですか。

【淺野】

やはり最初に、旅行(ビジネス)をやりながら、まあ学生がターゲットだったので夏休みと冬休み、春休みが忙しくて、それ以外の時は暇になるわけですね。そこで皆が集まれて、そのメンバーで盛り上がれるような店をつくろうということになりまして、丁度高田馬場に良い物件があって、そちらのほうで店をオープンしました。

【齋藤】

それは何屋さんなんですか。

【淺野】

要するにクラブハウスというか喫茶店で、皆が集まって、飲めたり騒いだり、お料理も提供する。ところが、我々は今、いろんな事業の中で1000軒ぐらいやっているんですが、その第1号店ができて10日目で火事になったんですね。大変な事故でした。

【齋藤】

それで火事になって、怪我をされたということでしたけど。

【淺野】

火がぱっと起きた瞬間に思ったんですね、「あ、火災保険入れるのを忘れた」と。まさか10日で火事が出ると思わなかったので、本当に安い材料で作っていましたし、ばーっと火の手が回ってしまって。

【齋藤】

別の筋で聞いた話では、1階の店舗の2階に寝たきりのご夫婦がいて、この人達に迷惑をかけてはいけないということで火に飛び込んだというのが真相みたいで、あまり自分からは仰られないですけども、そういう事もあったんですか。

【淺野】

大家さんだったんですけども、実際に体を悪くしてて奥さんの方が寝てらっしゃったということで、これは万が一燃えたら周り中が大変なことになると思いまして、それで火の中に飛び込みました。

【齋藤】

それはなかなかそう思っていてもできないことで、淺野さんのその後の色々なお仕事、あるいはフランチャイジー、社員との関係なんかでも、非常にヒューマニズムというか人を大事にするっていう原型みたいなお話で、よく分かりますね。

【淺野】

火は消したんですけど、結果、300針、3度火傷で、顔もぐちゃぐちゃで。よく怒髪天を衝くという言葉がありますけど、今より長い髪が一瞬にして立つんですね、人間って恐怖を感じると。それを見て自分でびっくりして笑ったのを覚えていますけど、もう笑うどころじゃなくてですね、本当に生きるか死ぬかで、本当に長く入院しました。

【齋藤】

人生最大のピンチの1つでしたね。あとは、ラーメン屋とか、レンタルビデオとか、それと宝石を今の奥さまと一緒に担いで、地方まで回ったとか。

【淺野】

日本中回ったり、実際そこに行くまで色々な失敗を繰り返していたんですけれど、結局自分の中で天職って何だろう、天の職って本当に自分のどこにあるんだろうなと、ずっと探し歩いたんですね。ところがなかなかそれに巡り会えなかった。僕はその時社長(妻)と色々と動いていた時だったんですけど、最初の頃、健康食品の販売とかもやったりもしまして、それで日本全国各地に売って歩いたりしたんですね。宝石も同じように売って歩いて。やっぱりセールスって本当に大変なんだなと思いました、毎日毎日新しいお客様を開拓していかなければいけないので。

その後、ラーメン屋を1年位やって、それを僕は人に貸すんですね。そうしましたら、月々30万で貸せた。これがまあ儲かったんですよ。ちょっと振り返った時に、このラーメン屋さんっていうのは黙ってても、どんな状況になっても月々30万持ってきてくれる、何か飲食業でそういうのはないだろうかなというのを、この時、ぼんやりと思い始めていたんですね。

―デリバリーピザとの出会い―

【淺野】

丁度その時に何かの記事で、当時の総理大臣の給料が3000万円とかっていう話があって。まず絶対僕は(総理大臣に)絶対なれないと。もしかしたら、1軒で30万儲かるものを、例えば夫婦2人で朝から晩まで、15~16時間2人で死ぬ程働いて、それを10年かけて毎年1軒ずつつくっていったら、これ超えるぞと。それに気がついたんですね。

何か1つ30万儲かるものはないだろうかなと探し始めた時に、たまたま『E.T.』というスピルバーグの映画がやっていたんですね。その映画の一番最初のシーンが、ピザのデリバリーから始まるんですが、それを見た瞬間に僕は、「これは面白い!」と突然思ったんです。飲食業だけど新しいし、デリバリーっていうのは何だと興味も惹ける。それと同時に僕が閃いたのは、これってハワイの学生時代の時に食べた、ああいう味かもしれないということです。これは面白いな、もしかしたらいけるかもしれないと思って、帰ってすぐ社長(妻)に、ちょっとやってみないかと提案しました。

【齋藤】

あの映画は非常に有名で、当時日本人でも500万、あるいは1000万ぐらいの人が見たけど、あれを見て、これはデリバリーピザが商売になるぞと思ったのは、淺野さん1人だけでしょうね。

【淺野】

本当に世界中で僕だけだったと思うんですけど、その頃は本当にハングリーでですね、毎日何か面白いものや面白い仕事はないかなと思って、1日に2~3個、常に考えていましたね。そんな時、ドミノ・ピザの第1号店が恵比寿にできましてね。最初、色々と研究して中々難しくてできなかったんです。

我々の考えは、30万1ユニットを10軒やることが1つのミッションというか目標だったので、それだったらドミノに、うちも是非フランチャイズ加盟させてくれないかって、直接ワイ・ヒガさんの方に交渉に行きました。そうしたら、「すみません、うちは残念ながら直営しかやりませんので」と言われて。じゃあ日本人に合うような日本人向けのピザをつくろうと、それがもう最初の合言葉。妻と徹夜で一生懸命生地をつくったり、焼いたり、お腹壊したり、何百枚とやるわけです。でももう本当に半年位、中々できなくてですね。

【齋藤】

何が難しいんですか?

【淺野】

やっぱり生地のバランス、ソースのバランスなんですけど、一番難しかったのは生地です。最終的に色々な生地を研究したんですけれども、できなかったんですね。そこで、当時フランス大使館に生地を入れている、パンを納品している所はどこか調べましたら、たまたまわかって、それが軽井沢の「浅野屋」さん。名前も「あさの」で一緒じゃないですか。親戚かもしれないと思って飛び込んでいって、浅野耕太会長とにらめっこ、2時間ですよ。全く無名で何もない。でも、必ず日本で一番にします、よろしくお願いしますと言って。でも、やってくれましたね。今は、一緒に工場をやらせていただいて、未だににずっと変わらずにお取引させていただいています。

―日本一になった「ピザーラ」―

【齋藤】

デリバリーピザは、先発のところもあるわけですが、淺野流、PIZZA-LAのピザはどういうところを特色にしてやっていくわけですか。

【淺野】

最初に我々が考えたのは、とにかく絶対に嘘をつくのはやめるということです。それから、我々が食べられる商品をお客様に対して提供していこう。飽きない商品を提供しよう。これをまず一番に考えた。それにはやはり、日本人に向くピザを作る、あるいは女性に向くピザをどんどん開発していこうとなりました。

【齋藤】

今は200種類くらいですか?もっと?

【淺野】

もうすごいですね。今までの過去の開発レシピでいうと1000は楽に超えて、常に新しいピザを試食して、1つの商品を作るのに200回くらい、色んなものを作ってですね、これを変えてバランスを整えていくという。

【齋藤】

それから、食材へのこだわり。さっき粉の話がありましたけれども、野菜とかトマトとか、そういうものもこだわっていらっしゃるんでしょうか。

【淺野】

当然、マッシュルームなんかも一番香りの良いブラウンマッシュルームを作って頂いたり、オリーブオイルもイタリア産の10年物の、無農薬のものを使ったりですね。

【齋藤】

製造工程なんかも非常に均質化して、店によって違う作りにならないような工夫もされているのでしょうか。

【淺野】

それが一番大変ですね。この一手間がお客様に違いが分かって頂けるということで、そこを惜しまないようにしているんです。ですから、1つずつ凝っている。普通は何もやらないで、バッと開けてそれで終わりという形だと思うんですけども、我々はそれに色々な工夫や味付けをしていますので、逆に言うとうちのフランチャイズの方は本当に大変だと思います。そういう意味では。

【齋藤】

フランチャイズですが、どんなに良い商品を作っても、フランチャイジーの方が本当にこれを売ることが自分達にも利益になる、お客様にも利益になるというような気持ちで、淺野さんと同じような気持ちで売って頂く方が全国にいるということが大事なんですが、フランチャイジーの選び方というのはどういう風にやっているのですか。

【淺野】

本当に我々は結婚と同じだと思っている。PIZZA-LAというのは娘で、お嫁に出すみたいな感じで我々も思っていて、ですから、単にお金を持ってます、儲かるからやりたい、そういう方は全部お断りしたんです。どちらかというと、割とフランチャイズはアメリカでできてドライな感じだと思うんですけれども、実際我々は日本的フランチャイズとよく言ってて、最後まで一緒にやっていこうという気持ちでの、仲間だと言う風に思っています。

【齋藤】

フランチャイジーとの関係っていうのは、頭ハネでロイヤリティーだけ取って本社だけ儲かって、フランチャイジーが疲弊してしまうというのも長続きしないし、また、本社の方で出すノウハウが大したことがないと。じゃあ、俺は自分でできるといって独立していっちゃう。そういうことが世の中、いろいろな業種でありますけれども、淺野さんのところは常に色々な新しいものをフランチャイジーに対して供給していって。ちゃんと、十分彼らが食べていけるような仕組みをつくってあげるというようなことに注力されているわけですね。

【淺野】

はい。PIZZA-LAにおいては直営店の比率がだいたい40%ぐらいなんです。そうすると、そこの直営店で様々な実験をして、例えば、今日でもおそらく10種類ぐらいのいろいろなパターンでやっていまして、その中で一番優れた販促や商品を提供し、フランチャイズにフィードバックしていくという形を常に取っています。

―事業拡大―

【齋藤】

最初はピザ中心だったのが、まずデリバリー事業で色々な他の品種をやるとともに、他の食品を今度、外食産業としてやっていかれるわけですか。

【淺野】

最初はPIZZA-LAから始まっていったフォーシーズなんですけれども、デリバリーには不向きな世界中のおいしいものをご提供したいと思い立って、色々と展開を始めました。まずは、TOTHEHERBSというイタリアンレストラン。そこから始まっていきまして、だんだん和食とか、あるいはフレンチとか。フレンチレストランを作るとき、世界中でソースが一番うまいのは誰なんだと調べたら、ジョエル・ロブションというフレンチの人がいると。いつの日かそういう方と一緒に仕事ができたらいいなと思っていたらたまたまお話が来て、これは僕の願いが通じたのかなと思って。それからまた、ずっと長く交渉はしたんですけれども、結局やらせていただくことになって、広がっていったんです。

【齋藤】

スペイン料理なんかも有名なシェフとやられているし、ハワイのやつも有名なハンバーガーみたいなことをやられていますね。

【淺野】

スペインはホセ・ビニェスさんという、2つ星を取られたところの総料理長をやった方と。それから、KUA`AINAハンバーガーという、ハワイで当時有名だった、世界で一番おいしいハンバーガーで、10年間通いつめて口説き続けて、ようやく10年目にして日本にオープンすることができました。今、このKUA`AINAというのが30軒になりまして、そして、ロンドンにもオープン致し大好評を頂いて、また、JALの機内食にもなっておりまして、本当にうれしい限りでございます。

【齋藤】

外食とデリバリーを含めて45業態。1000以上のお店をお持ちということで、食ということにこだわりながら色々な形態でやっていかれるわけだけれども、デリバリーのお店なんかにとってみても、ピザだけじゃなく経営の安定性とかそういうことにつながるわけですか?

【淺野】

そうですね。我々の1つのマトリックスとしては、デリバリーとレストラン。やっぱり、雨の日にはデリバリーが多くなります。それから、晴れの日には、そのために行けるようなレストラン。それから、高級業態、ジョエル・ロブションを筆頭とする三つ星系のレストランから、あるいは一番カジュアルですと、例えばビアホールとか、串カツとか、立ち飲みとか、お客さまの単価でいうと千円ぐらいのものから、色々なものをやっています。

【齋藤】

今まではどっちかというとすし屋はすし屋だけとか、天ぷらは天ぷら屋とか、全部分かれていましたけれども、淺野さんのところは全部を包括的にやると。そうすると、お客さんの方は、1人の人がいろんなものを食べるわけだし、販売ツールとしては、デリバリーの店というのが全国の約5割の所帯をカバーできるぐらいでやっている。食材も転用できるものは転用できるし、調理機器もそうだしということで、単体でやっていると無駄が出ちゃうけれども、トータルにすると非常に効率のいい話で。やはり、デリバリーポイントが非常に合うと、これが最大限に使えるということがあるんじゃないですかね。

―今後の展望―

【齋藤】

様々な事業展開を通して、国内ではデリバリーあるいはレストラン業界で確固たる地位を築きつつあるわけですけれども、今後の展開としては、海外もやっていかれようと、あるいはすでに始められているということですか。

【淺野】

そうですね。やはり、人口的な面を見ても、あるいはマーケットの大きさでも、これからはアジアが一気に、14億人ぐらい中流が伸びますので、これが3倍ぐらいになると言われています。ですから、アジアに行かなきゃ駄目だということで、まず最初にバンコックに我々が持っている宮武うどんというのを持っていきまして、これは東京で20軒ぐらいあるんですけれども、これが非常に受けまして、じゃあ、3軒ぐらい続けて出そうと。

【齋藤】

これは、直営とフランチャイズと混ぜるんですか。

【淺野】

そうですね。これから色々な形があると思うんですけれども、直営店であったり、また現地でいいパートナーが見つかった場合には一緒にやっていくとか、それから、イギリスの方で今やってる、KUA`AINAが非常に成功していまして、予想の2.5倍ぐらい売れていますので、2号店が今年の夏にオープンするというふうになっています。これを将来的にはもっともっと大きくしていきたいと考えています。

日本の文化というか、いま世界中を見ると、なんちゃって日本食というのが相当多いんですね。日本の人がやっていない日本のすし屋とか、そういう偽物が非常に多い中で、本当においしいものを広げていきたいなと思っています。我々食に関わっているものとしては、本当の日本のおいしさを世界中に広げていきたいなという。そしてまた、おいしくてカロリーが少ない、ヘルシーだということをどんどん伝えていければすごくいいんじゃないかなと思います。これから、いろんな意味で高齢化もあり、シングルというか、1人世帯もだんだん多くなってきて、変わる世の中に対してどうやって、マーケットに対して我々が関わっていけるか、デリバリーできるかとか、ご提供できるかというのは、非常にいま研究している最中です。

―エピローグ―

【齋藤】

学生時代から今日に至るまで、淺野会長の波瀾万丈の人生、あるいは事業展開について伺ってきましたけれども、そういうご経験を踏まえて、これを見ている若い人たち、色々な企業で働いている方、あるいは何か起業したいなと思っている方、色々と悩んでいる方がいらっしゃると思うんですけど、そういう人たちに何かアドバイスをいただければと思います。

【淺野】

今の時代はどういう時代なんだろうといったときに、非常に変化をしているときだと思うんですね。アジアが伸びて、人口のこととか、色々なことが変わっているときだと思います。こういうときには必ずチャンスが生まれる。みんなが困っていることがすごいチャンスになると思いますので、例えば、今ですと人の問題は非常に大きな問題になってきますから、そういうところにもチャンスが出てくるでしょう。

ですから、その問題を頭で考えて行動しないよりはやっちゃった方がいいと思うんですね。やりながら壁にぶち当たっていく中で、段々トライアンドエラーを繰り返しながらやっていくと、正しい道で成功の方法が見つかるんじゃないかなということを、体験的に今思っています。仮に失敗したとしても、いろんな意味で勉強になっているし、そのときにその失敗の中から必ず色々な成功が出てきますから、ぜひそういうふうにやられた方がいいと思います。

【齋藤】

なるほど。こうやって伺っていると、さっきの軽井沢の浅野屋でも、あるいはハワイのハンバーガーショップでも、誠心誠意、しつこいぐらいに粘り強く自分の気持ちを伝えていく。そのことが相手に信頼されるというようなことになっていますね。それと、さっき仰ったような、敗者復活はあるぞとか、そういう感じだろうと思うんですけれども、もう1つは、男ならいい奥さんをもらうと。女性なら、いい旦那を見つけるということも大事な秘訣ですな。

【淺野】

そうですね。やっぱり奥さまには本当に助けられ、今も率先垂範で頑張ってもらっていますのでね、いいパートナーとして。

【齋藤】

会長と社長として非常にいいパートナーで、ますますこのフォーシーズグループが日本ならず世界に羽ばたいていくように祈念致しまして、お忙しいところ今日はありがとうございました。

【淺野】

どうも、ありがとうございます。

―人生の転機―

【齋藤】

今日は皆様、PIZZA-LAでご承知の、フォーシーズの淺野会長兼CEOにご登場いただきます。宜しくお願い致します。淺野さんは、大変裕福なご家庭で生まれて、慶應大学に行かれてというふうに伺っていますが、高校生ぐらいのときに、何か人生の大きな転機みたいなものがあったんですか。

【淺野】

はい。齊藤顧問がおっしゃったように、東京の目白で牛乳キャップとか、紙コップとか、紙皿なんかを作ってる、紙器メーカー会社の3代目で生まれでしてね、高校二年生まで、「お前全然勉強しなくていいぞ」、「将来は社長になるから、黙って人を使うことだけ覚えなさい」とそう言われていて、本当に勉強しなかったんですけど、高校2年の16歳の時に、42歳という若さで父親が倒れまして、それから急に人生が変わったという形ですね。

そういうことがあったので、長男だったものですから、何とか母親を楽させないといけないなと突然思い始めまして。突然温室だったところからいきなり真冬の吹雪の中に出たような感じで、何とか淺野家の再興をしなければいけない。将来社長になってもう1回淺野家の長男として頑張らなきゃいけないというのが、僕のモチベーションになりました。

【齋藤】

そのときは、紙メーカーを自分がまたやるというんではなくて、もう新しいことをやろうっていう。

【淺野】

もう何らかの形で自分がもう創業して社長になろうと思っていたんですけど、何になるかは全然分からなかったんです。そうしたところ、母が目白から、山手からですね、両国の駅前で雀荘をやり始めたんです。僕は高校2年ですから、一番下の弟が小学校6年生。毎日学校が終わるとそこ(雀荘)に手伝いに行って、接客を通して、まずそこで商売のイロハのイの字を勉強したみたな感じです。

【齋藤】

大学生になられてからも、何か学生相手のビジネスを始められたという風にも伺いましたけれども、これはどんなビジネスだったんですか。

【淺野】

大学の頃、自力で海外、しかもハワイに行きたかったんですよね。自分が毎年ハワイに行くためにはどうしたらいいだろう。それには旅行代理店をつくればいいんだと思い至りまして、それで旅行代理店をつくったんです。

学生の商学部ですから、大学の2年の時だったですかね。それも、普通の代理店ではなくてですね、内部に附属校があるようなところ、例えば慶応とか早稲田とか、学習院とかフェリスとか、成城学園とか聖心とかに幹事校をつくりまして、そこに幹事を置いて、内部進学者をターゲットにしたツアーを企画して、毎年ハワイ大学に1ヶ月間行ったんです。10人集めたら1人タダという仕組みをつくって、5人集めたら半額で行きなさい、その代わり面倒を見てね、みたいな。

親御さんが(お金を)出しやすいように、短期留学というところにポイントを置いて、ハワイ大学の学長と交渉しましてね、そこで受け入れてもらって、本当に勉強をやりながらちゃんと卒業証書もいただけるというような仕組みをつくりました。その時に人を集めるためのパンフレットとかチラシを、自分たちで印刷して、デザインもして、各大学に行って配れるようにしました。だから、今のPIZZA-LAの原型みたいなものがそこにあるわけなんですね。

【齋藤】

各大学の代理人なんかとの関係も、今のフランチャイジーみたいに、淺野さんもプラスになるけど、その人達もそれぞれ利益を得るというような、Win-Winの関係みたいなものをつくったわけですね。


経営者プロフィール

氏名 淺野 秀則
役職 代表取締役会長兼CEO

会社概要

社名 株式会社フォーシーズ
本社所在地 東京都港区南青山5-12-4 全菓連ビル
設立 1980
業種分類 サービス業
代表者名 淺野 秀則
従業員数 1232 名
WEBサイト http://www.four-seeds.co.jp/
事業概要 「PIZZA-LA」を始めとしたデリバリー事業、「TO THE HERBS」を始めとした外食事業
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