新型コロナウイルス感染症の影響で、改めてその価値がクローズアップされている物流業界。同時に、ドライバーの長時間労働や、不規則勤務による心身への負担が人材不足に拍車をかけるという構造的な課題も知られるようなってきた。

巣ごもり需要によりECの需要が高まる一方で、運ぶ荷物は増えても人手不足かつアナログ環境という悪循環に陥っている。

そんな物流業界を取り巻く環境や構造的な問題に、テクノロジーを駆使してイノベーションを起こそうとしているのが、CBcloud株式会社だ。

2万5千人以上(※)のドライバーが登録している、荷主とフリーランスのドライバーをダイレクトにつなげるマッチングプラットフォーム『PickGo』を開発・提供。登録ドライバー=PickGo パートナーのスキルと実績を可視化することによって、正当に評価が得られるシステムを構築し、業界トップクラスとなる配送マッチング率99.2%を誇る。
※2020年12月末時点

2019年にソフトバンクや佐川急便、JR東日本スタートアップなどからのシリーズBラウンドでの資金調達を完了。これまでの調達累計金額は約20億円となった。

同社を牽引する代表取締役CEOの松本 隆一氏は、「物流に関わるすべてのスタンダードを再構築し、ドライバーの社会的価値を高めていきたい」と語る。

起業までの軌跡と、変革に込めた想いについて話を伺った。

※本ページ内の情報は2021年3月時点のものです。

人生を変えた恩師からの一言

―どのような幼少期や学生時代を過ごされたのでしょうか?

松本 隆一:
とにかくコンピューターゲームに熱中していましたね。

目に余る熱中ぶりだったようで、周りの大人はこれではよくないと思っていたのでしょう。当時通っていた塾の恩師から「自らゲームをつくって、皆を幸せにしたらどうなんだ!」と言われたのです。

“ゲームをつくる”という発想は当時全くなかったので、この言葉がとても心に刺さりましたね。


―その恩師からの言葉がきっかけで、プログラミングを学び始めたのですね。

松本 隆一:
はい。それともう一つは父の困りごとをプログラミングで解決したいという思いが募ったことです。

父は学習塾を経営していまして、当時はDVDを生徒に貸し出しして受講するというシステムを採っていたのですが、そのDVDの在庫管理が課題の一つでした。

そこで私は何とか父を助けたいと、一念発起して独学でプログラミングを習得し、授業配信システムを構築したのです。

ゲーム漬けの日々を送っていた中で、自分のつくったものが誰かを笑顔にし、ひいては幸せにするという喜びを初めて体験した出来事でしたね。

プログラマーを志さなかった理由

―プログラミングで成功体験を得ましたが、高校卒業後は航空保安大学校へ進学し、航空管制官の道へ進まれたそうですね。この道を選ばれた理由についてお聞かせいただけますでしょうか。

松本 隆一:
ゲームやプログラミングも好きだったのですが、それよりも好きだったのが「空」で、幼少期から将来はパイロットになりたいと思っていました。しかし視力の問題からその夢は叶わず、航空管制官として国土交通省(国交省)へ入省しました。

プログラマーとは共通項が少ないように思えますが、実は先を見通すという点では通じるものがあったのです。プログラマーの仕事はプログラミング作業のみならず、何を作れば解決できるのか、最短で解決できるのかを考えていくことです。

他方、空の仕事は私たちの判断ミス1つで、すべての航空便の遅延まで影響しますし、人の命を預かるという重大な責務を背負っています。

毎回汗をかきながら、懸命に業務に取り組んでいました。フィールドは違いますが、先を読んで常に判断を迫られるというのは航空管制官もプログラマーも同じです。

好きな事柄には没頭するという私の性格もあり、スピード感を持って取捨選択を行なう航空管制官の業務に魅せられていきましたね。

妻に出会って知った物流業界の深刻な現状

―航空管制官として、充実した日々を送られていた中、松本社長が物流業界に足を踏み入れることになったきっかけをお聞かせください。

松本 隆一:
ちょうど航空管制官の現場に出て、4年半を迎えた頃、今の妻と知り合いました。

親しくなるに連れ、互いのバックボーンや家族の話をする機会が増えていき、そこで、妻の父親が物流関連の会社を経営していることを聞きました。

プログラミングができることは妻に話していたので、それを聞いた義父が「会って話をしたい」と妻経由で私に連絡をしていただいたことが、そもそもの契機と言えるかもしれません。

その後実際に会うことになるのですが、私と話している間も常に義父の携帯電話は鳴りっぱなしでした。その時に「自分が電話に出なければ、仕事が進まない」と言っていたのが強く印象に残っています。

もともと義父は、冷凍軽貨物車両を開発し、販売も手がけていました。

そして車両を購入した顧客である個人事業主であるドライバーと接するうち、彼らの待遇を含めた労働環境の悪さを目の当たりにし、もともとの事業とは別に荷主の間を取り持つ事業も担うようになっていったと聞いています。

それは「車を買ってくれたドライバーたちを助けたい」という一心からだと話してくれました。鳴り止まない電話は、個人と企業の双方から連絡を受けていたからだったのです。

義父の強い思いに心を打たれながら、もう少し効率よくできないものだろうかとも思いました。当時の物流業界は管理がまだまだ人力、アナログな手法がメインでした。

以前、授業配信システムを構築し、プログラミングの技術で業務を効率化したように、何か新しいアイデアやスキルで義父や多くのドライバーたちの力になりたい。そこで、休日を利用して義父と打ち合わせを重ね、運行管理システムの開発にこぎつけたのです。

義父との打ち合わせ時に作成された、当時の企画書

―最初のシステムが完成したときのお義父様の感想はいかがでしたか?

松本 隆一:
休み返上で、義父からヒアリングを行なっていたので、喜びの声を期待していたのですが、返ってきたのは「文字が小さすぎる」「これじゃ使えない」といった言葉でした(笑)。

そこで、義父の言うままにUIやUXの改善を行ないました。義父のフィードバックをそのまま受け入れるのはダメダメなUIのように思えました。ところが、これが現場では最も使いやすく、ユーザーから見るとベストな形だったのです。とても有意義な経験でした。

航空管制官を辞職し、決意を新たにした中で起こった悲劇

―そういった経験を経て、物流の問題を解決していくことを本業としてやっていこうとお思いになられたのでしょうか。

松本 隆一:
2013年7月には、義父に「一緒に物流を変えよう」と話をされていました。それほど信頼されているのがうれしかったですし、物流の分野で自分の力を発揮できることへの手応えも感じていました。

翌月の8月末に航空管制官を辞めました。同月には妻と結婚もして、家族となった義父と志をひとつにしてがんばっていこうと決意を新たにしていました。

ところが翌月の新婚旅行から戻ってすぐ、義父が急逝してしまったのです。おそらく過労であろうとのことでした。


―悲しみが癒えない中で、仕事を引き継がれたかと思います。どういった思いが松本社長を突き動かしていたのでしょうか。

松本 隆一:
義父が亡くなってからも、電話はひっきりなしに鳴り続けていました。それで気づいたのです。

私が何もしないで悲しんでいるこの間に、仕事がなくなって生活に困るドライバーがいるかもしれないと。誰かの生活を守り、人生を預かる仕事を義父から受け継いだのだと。

それからは妻とも協力し、電話の応対や荷主、ドライバーとのやり取りを続けていきました。

その合間に開発も継続し、当時ガラケーしか持っていないドライバーにタブレット端末を持ってもらい、半ば強制的にシステムを利用してもらうようにしました。

デジタル操作に慣れていないドライバーたちも多く、はじめは反発の声もありました。

それでも、とにかくわかりやすいUIやUXを現場目線で突き詰め続けた結果、徐々に使いこなす方も増えてきたのです。最も上手く使いこなしていたのは70代の最高齢のドライバーでしたね。

CBcloud起業秘話

―お義父様が築かれた既存の運送事業から、事業転換され、現在のCBcloudを立ち上げるまでの経緯についてお聞かせください。

松本 隆一:
安定してドライバーの仕事を増やしていきたいと考えたら、やはり営業をしなければなりません。営業先で告げられるのは、「他社よりも安くしてくれれば考えます」という話ばかりでした。

安くすれば新規の仕事は取れるのかも知れないけれど、結局はドライバーの価値を下げているわけです。それは本末転倒で、義父が目指していたところとも違うし、誰も守れない。

そこで、別の価値を営業していけたらいいと考えたのです。適正な運賃は保ちながら「うちには効率化したシステムがあり、品質も担保できます」と売り込んでいきました。

そうして新規開拓をしていくうちに、これは私たちの会社だけの問題ではないと考えるようになりました。

当時、義父の会社で取引していたドライバーは約50人前後でしたが、調べてみると国内には15万人もの個人事業主ドライバーがいたのです。

今のまま50人という規模を少しずつ増やすのではなく、この15万人に対して何ができるのだろうか、この15万人すべてを守ることが物流業界を変えることなのではないかと思い始めたのです。

かなり悩みましたが、既存の運送事業を売却し、売上をゼロにして、配送クラウドソーシング事業を行うCBcloudを立ち上げました。

ドライバーの社会的な価値を高める

主力事業の『PickGo』の他、物流現場の業務を効率化するクラウド型業務システム群『SmaRyu』など様々なサービスを展開。今後は物流のみならず、流通や小売の分野にも事業領域を拡大させる。

―CBcloudを立ち上げ後、荷物を届けたい人とフリーランスドライバーをつなぐマッチングプラットフォーム『PickGo(ピックゴー)』の他、ドライバーを含めて物流現場の業務を効率化するクラウド型業務システム群『SmaRyu(スマリュー)』などさまざまなサービスをリリースされていますね。

松本 隆一:
現在2万5000人以上(※)のPickGo パートナーに登録していただいております。
※2020年12月末時点

これまでは荷物を運んでほしい人や企業とドライバーをつなぐというマッチングに注力してきました。また、キャッシュフローの整備も実施しています。

実は、物流業界では、従来のアナログな仕組みが原因で、燃料費や高速代のような必要経費を請求してもすぐに入金されず、30、60日後、下手をすると120日後ということがザラにありました。

この問題をクリアにするため、銀行とタッグを組んで、即日入金を可能にする仕組みを整備しました。単に案件を供給するだけではなく、パートナーたちの立場に経ち、生活を含めた課題を可視化し、解決できる形に導く姿勢が支持されているのだと考えています。

一方で、物流業界ではアナログな環境で業務が属人的になりやすいという構造的な課題があります。配送マッチングだけではドライバーの処遇改善や価値向上にはつながらず、物流現場の環境を根本的に改善する必要があると考えました。

そこで、2020年3月に”物流を現場からスマートに”変革する新ブランド『SmaRyu』をリリースしました。これは主に、『SmaRyu Post(スマリュー ポスト)』と『SmaRyu Truck(スマリュートラック)』という、2つのSaaSで構成されています。

『SmaRyu Post』は、宅配業務に必要なルーティングや荷積みなどの熟練ドライバーのノウハウを、スマートフォンを用いて共有し、配送業務を一気通貫でサポートしてくれるシステムで、現在、日本郵便の200局に導入され、今後さらに導入を拡大していく予定です。

『SmaRyu Truck』は、運送会社が日々行なっている案件の管理や、請求までをまとめてデジタルで管理する、運送に関わる様々な業務を効率化するシステムです。

2020年には期間限定キャンペーンを実施し、おかげ様で問い合わせ数、導入企業数も増えておりますので、今後は導入企業様にもご意見を伺いながら、より現場の環境改善につなげられるようシステムをアップデートしていくつもりです。


―新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、物流業界の重要性をあらためて意識した方も多いと思います。今後の展望についてお聞かせください。

松本 隆一:
これまでも『PickGo』で、個人のお客様の「買い物」を請け負うサービスを展開してきましたが、お客様がお支払い手続きを済ませた商品の「受取り」サービスも開始し、より1人1人に寄り添うサービスにリブランディングさせたところです。

法人向けの『PickGo for Business』、配送パートナー向けの『PickGo for Partner』とともに、ITの力を活用し、それぞれのユーザー視点での配送ソリューションを展開していきたいと考えております。

事業は物流のみならず、流通や小売の分野での困りごとを解決するためにどんどん拡大を続けています。ただ1つ、ずっと軸として持ち続けていきたいのは、ドライバーたちの社会的な価値を上げていきたいという点です。

車を運転して荷物を運ぶだけの人ではなく、多くの人々をつなぐ価値ある存在であるということをもっと広く浸透させていければと考えています。子どもたちが「PickGoのパートナーをやりたい」と思ってくれるような存在にできるように提案を続けていきたいですね。

編集後記

20代で義父の後を引き継ぎ、さらに事業を拡大すべく走り続けてきた松本社長。スマートな語り口からは感じられないが、多くの苦難を乗り越えてきたことは想像に難くない。

多岐にわたる業界とコラボしたり、個人事業主向けのプラットフォームの展開など柔軟な発想で新しいソリューションの提案を続けたりしているが、基軸にあるのは「ドライバー(ユーザー)視点」だと語る。

ブレない強い信念を武器に、物流業界の新たな未来を切り拓いていくCBcloud株式会社から目が離せない。

松本 隆一(まつもと・りゅういち)/1988年沖縄県生まれ。高校時代に独学でプログラミングを修得。高校卒業後、航空保安大学校を経て国土交通省に入省。航空管制官として羽田空港に勤務した後、2013年に退省。他界した義父の運送業を継ぎ、同年にCBcloud株式会社を設立。配送ドライバーを経験し、業務改善に余力がない物流業界の現状を実感。自身の会社のみならず、ドライバーや物流現場の課題を改善することで物流業界全体のボトムアップを図るべく、ITによる業界変革を決意。