サラヤ株式会社 手洗い・うがい文化を浸透させた「サラヤ」次なる挑戦 サラヤ株式会社 代表取締役社長 更家 悠介  (2022年3月取材)

インタビュー内容

【ナレーター】
世界の「衛生・環境・健康」に貢献することを企業理念に掲げ、2022年に創業70周年を迎えたグローバルメーカー、サラヤ株式会社。

1952年、当時蔓延していた伝染病予防のため、手洗いと同時に殺菌・消毒ができる公定書外医薬品『パールパーム石けん液』を開発。

以降、50年以上のロングセラー商品『ヤシノミ洗剤』を始め、家庭用および業務用衛生用品や食品などを日本のみならず世界各国で販売しており、人々の健康を支え続けている。

近年では生活習慣病を予防し健康寿命を延ばすためのレストランやメディカルフィットネスジムを展開するなど、その事業領域を拡大させている。

今もなおさまざまな挑戦を続けている経営者が見据える未来像とは。

【ナレーター】
2020年から続くコロナ・ショックにより、手洗いやうがい、消毒関連商品の需要が急激に増加。サラヤも例外ではなく、この対応に日々追われることになる。当時の状況と得た学びについて、更家は次のように振り返る。

【更家】
とにかく工場を24時間稼働させたのは奏功しました。

2020年に入社した新卒社員は約50名で、通常なら研修を約4週間行う予定でしたが、工場の稼働を止めないよう工場研修として伊賀(三重県)の工場に留め置かせました。結果、相応の手当を支給して8週間の工場勤務をしていただきました。

これだけ社会的な“有事”があったときには、一企業として頑張る必要がある。それを伝える研修にはなったと思います。

【ナレーター】
更家の原点は、幼少期にまで遡る。小学校の頃の意外な経験をしたことが、今の自分にも影響を与えているという。

【更家】
小学校6年生のときに、福井県の永平寺に1週間預けられました。

そのお寺には、お坊さんが修行する際の指導者という立場、企業でいうと人事教育部長のような立場の方がいらっしゃいまして。その方が、自分を気遣って午後3時頃に部屋に呼んでくれるんですよ。

その後も交流があり、その方の本寺がある鳥取県の大樹寺に招かれました。座禅は組むのは苦手でしたがお話を聴きたいと思い、中学・高校時に行きました。

今にして思えば、他の同世代の人とは違った経験をしたというのが、今の自分にも影響を与えていると思います。

【ナレーター】
その後、大阪大学工学部を経て、カリフォルニア大学バークレー校へ留学。当時はアメリカで就職するつもりだったが、急遽サラヤへ入社することになったという。その経緯について次のように語る。

【更家】
当時、排水処理の設備をつくって海外に売ろうとしているアメリカの企業がありました。衛生工学でそういった分野に知見があり、なおかつ日本語と英語ができるという人材のニーズに自分がマッチしたんです。

「給料はいくらがいいか?」と言われ、周りに聞いてみると「2万5千ドルぐらいでいいのではないか」と言われたので、その金額を希望で出したら「ちょっと高いので2万3千ドルでどうですか?」と言われて。それならいいですよ、と。

当時はまだ1ドル300円で、1ドル2万3千ドルでも600万円ぐらいもらえるので「それならば」とアメリカに残ろうと思っていたら、家のほうから「いやいや、早く帰ってきてくれ」と連絡がありましてね。

当時はオイルショックがあり、原料を買いだめしていたのですが、原料の入れ間違えやコンタミネーションが相次いで起こったのです。

当社でも事故が起きており、労働基準監督署と監督官庁(当時は厚生労働省)の調査が入りました。

当時社長だった父は工場長を厳しく叱責したところ、「もう辞めます」と代わりの人材がいない中でその場で工場長が退職してしまったんです。

そのようなこともあり、存続の危機に瀕していた当社を立て直すために1975年1月に帰国し、入社後、経験がない中で即、工場長になりました。

最初は見よう見まねで、先輩社員に習いながら仕事を始めましたね。

【ナレーター】
会社の危機的状況を立て直すべく奮起した更家は、その後もキャリアを積み重ねる。

そして1994年、アメリカのある企業より合弁会社の立ち上げを提案され、創業者である父、更家章太氏とともにアメリカに渡る。当時のエピソードに迫った。

【更家】
「合弁会社でやりましょう、50:50でやりましょう」ということで始めたのですが、契約を締結して帰国する、というタイミングで急に父から「訳のわからないことへの投資はリスクがある。我々は撤退しよう」と言われました。

「契約を締結しているのでそれはダメです」と大喧嘩になりましてね。「よし、帰る!」「どうぞ帰ってください」と言い合いになって。

でもアメリカにいるものですから、すぐには帰れませんよね。それで次の日に気まずいながらも、黙って一緒に帰ってきたんです。

合弁会社はずっと続けていたのですが、最初はなかなかうまくいきませんでした。資本金だけではやっていけないので、増資、増資で経営していましたね。

うまく回ったり、赤字になったり、横ばいだったりと、しばらく業績は停滞していたのですが、2003年頃から本格的にまわり始めました。

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経営者プロフィール

氏名 更家 悠介
役職 代表取締役社長
生年月日 1951年5月30日
出身地 三重県
著書 『これからのビジネスは「きれいごと」の実践でうまくいく』(東洋経済新報社)
略歴
1951年生まれ。74年大阪大学工学部を卒業し、75年カリフォルニア大学バークレー校工学部衛生工学化修士課程修了。76年サラヤ株式会社に入社。工場長を経て98年に代表取締役社長に就任。現在に至る。

日本青年会議所会頭などを歴任。ゼリ・ジャパン理事長、大阪商工会議所常議員、関西経済同友会常任幹事、ボルネオ保全トラスト理事、日本WHO協副理事長、ウガンダ共和国名誉領事などを務める。2010年に藍綬褒章、14年に渋沢栄一賞受賞。

会社概要

社名 サラヤ株式会社
本社所在地 大阪府大阪市東住吉区湯里2-2-8
設立 1952
業種分類 化学工業
代表者名 更家 悠介
従業員数 2060人(グループ全体・2021年10月時点)
WEBサイト https://www.saraya.com/
事業概要 1.家庭用及び業務用洗浄剤・消毒剤・うがい薬等の衛生用品と薬液供給機器等の開発・製造・販売 2.食品衛生・環境衛生のコンサルティング 3.食品等の開発・製造・販売
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