質の高い技術と製品で生産現場を支えてきた日本の製造業。
しかし新型コロナウイルスの感染拡大は企業活動に大きな打撃を与えており、その影響を乗り越えるには、独自の技術力や発想力を駆使した新しいモノづくりを実現することが求められる。
そんな折、樹脂部品を主とした製造業からスタートし、テクノロジーを取り入れながら独自のブランドを発展させてきた企業のひとつが、株式会社益基樹脂(マスキジュシ)だ。
企画・デザイン・設計・製造・販売を一気通貫できる工房を持ち、アクリル素材をベースとした現代感覚の小物やエンターテインメント性あふれるカプセルマシン、IOT機器開発など多様な事業を展開。2020年内には東京駅内に新店舗、静岡県伊東市に新事業『海と空の現代アートミュージアム(仮称)』のオープンを予定している。
従業員数30人の自社を、”創造力というエネルギーで結びついた小規模コングロマリット(複合)企業”と称する代表取締役・吉田 崇氏。その言葉から、「アフターコロナ」を生き抜くヒントを探る。
大口顧客の倒産で必然となった事業の転換
-吉田社長は、幼少期から後継者となることを意識されていたのでしょうか?
吉田 崇:
益基樹脂はもともと私の父が創業した会社で、光ファイバー網に必要な基地局などの樹脂部品の制作をメインに行っていました。しかし、元々は父子ともに家業を継ぐことは考えていなかったと思います。
実は私は建築家志望で、専門学校卒業後はアトリエ系建築設計事務所への就職を目指していました。しかし就職難の折で、ポートフォリオを見てもらうこともできません。
そんな時、家業の作業を手伝いながら、余ったプラスチック片で模型をつくっている私を見た父が、「モノづくりに向いているから、本格的にやってみないか」と入社を勧めてくれたのです。しかし当時は「30歳になったら建築家として独立しよう」と考えていました。
-ご入社後、なぜ工業部品の制作から装飾系部品へのモノづくりに転換されていったのでしょうか。
吉田 崇:
20歳で入社して3年後くらいに、弊社が工業製品から装飾系製品へシフトするきっかけとなる出来事がありました。これまで売上の7割以上を占めていた顧客が倒産してしまったのです。
新たな事業展開として検討したのが、化粧品などのディスプレイでした。繁忙期や作業時間が不規則になりがちな分野なので父は当初は反対しましたが、店舗や建築に関わる仕事をすることが、建築家という私の夢につながるのではと、決断してくれました。
それまではほぼ家族経営でしたが、ディスプレイ事業を始めてからは社内体制を整え、新卒採用や都内にオフィスを構えたりしました。当初から人材育成にも事業計画にも経理、財務にも携わっていたので、28歳のときに親から社長就任を打診されたときには、自然な流れで受け入れていました。
オリジナルブランド立ち上げの理由
-シャネルや資生堂など高級ブランドのディスプレイといった大型案件も手掛けるなか、オリジナルブランドを立ち上げられたのはなぜでしょうか。
吉田 崇:
ハイブランドの仕事に携わることは、業界のステータスではあります。しかし、私は自分たち自身が『シャネル』のような比類ない存在になりたいという想いがありました。ですから、2009年に独自のブランドを立ち上げたのです。
2011年には初めてのデザイン雑貨販売の直営店『toumei 2k540店』をオープンしました。店舗の一角につくったオフィスで仕事をしていると、商品を手に取るお客様の反応をダイレクトに知ることが出来て、BtoCのサービスにさらに魅力を感じるようになりました。
製造業から始まった私たちは、企画からデザイン、製造、陳列、販売までを一貫して手掛けることができる、稀にみる企業です。アイディアを自ら形にし、世に送りだせる「創造力」が、私たちの強みになっていきました。
コロナ不況を乗り切るための「複合力」とは
-新型コロナウイルスによる影響で様々な施設が休業となり、御社の店舗も大きな影響を受けているのではないでしょうか。
吉田 崇:
確かに実店舗は営業を自粛しているので、その間の売上はありません。ただ、私たちは”小規模コングロマリット企業”として、開発や卸売、デジタルテクノロジー事業なども手掛けているので、直営店の休業ですぐに屋台骨が揺らぐことは全くありません。
また、店舗のスタッフたちは在宅勤務となっても、オンラインストアでキャンペーンを行ったりSNSで情報発信したりと、自分たちで考えてこれまで以上にEC関連の売上げを伸ばしてくれています。
実は、私はこれまで売上目標やノルマを立てたことがないのです。自分がスタッフだったら嫌だと思いますからね。でも、「誰かに必要とされるから仕事がある」というのが私の基本方針です。スタッフにはオンラインでも、とにかくユーザーとコミュニケーションを取るようにと伝えています。
-家で過ごす時間が増えたことで、御社の商品のように美しく温かみのあるアイテムを身近に置くなど、住み心地をよくしたいといった要望が増えてきているように思います。非常時だからこそ、企業は新たな事業を展開しようと模索するのでしょうか。
吉田 崇:
そうですね。これまで実店舗だけでできるサービスや雰囲気に価値をつけていたようなビジネスでは、外出自粛が続けば新たな価値の提供方法を考える必要があるでしょう。
何を媒介にしていても、商いは人間と人間とのやり取りだという視点を忘れなければ、様々な手段が取れるのではないでしょうか。
ただ、今はソーシャルディスタンスが叫ばれていますが、私はいずれ新型コロナウイルスが収束すれば、人の動きはあっという間に戻ると思っています。人は人とのふれあいを求めるものだし、止められるものではありません。
挑戦と創造に特化し続ける
-新型コロナウイルス収束後は、どのような事業戦略を考えられていますか?
吉田 崇:
基本的にはこれまで通り、東京駅の新店舗と静岡のアートミュージアムのオープンに注力し、そしてこれまで通り色々なものに挑戦して行きます。
私たちは、製造だけでなく梱包も発送もあらゆることを全て自社で手掛けているので、広告戦略により爆発的に売れても対応できませんし、一時だけ話題になって廃れてしまう商品を創りたいとも思いません。
それに、当社は他所から受注したものをつくるのではなく、自分たちの疑問や興味から生まれたものを創っているので、プロジェクトは自然に増えていくのです。
会社として最低限の利益は必要ですが、自分たちの感覚に忠実に、新しいことに挑戦し、新たな創造を続けることに特化した企業のままでいることは、これからも間違いないですね。
編集後記
日本のモノづくりを土台としながら、様々な業態へのチャレンジを止めない吉田社長。今はかつてないアートミュージアムの開館に奔走しつつ、すでにバイオテクノロジーやエネルギーといった新たな分野の開拓を視野に入れているという。
ダイバーシティを意識する吉田社長率いる益基樹脂には、今後も製造業の枠を飛び出したさらなる活躍が期待できそうだ。
吉田 崇(よしだ・たかし)/1973年、東京都出身。専門学校卒業後、父を創業者とする有限会社益基樹脂(当時)に入社し、工業製品から装飾系製品への事業転換を手掛ける。2001年、代表取締役就任。2009年よりオリジナルブランド事業展開を開始。2020年には東京駅グランスタ内『toumei 東京駅店』、『海と空の現代アートミュージアム(仮称)』オープン予定。