今や17万7千人(※)の会員実績を持ち、多くの人の髪の悩みに応え続ける株式会社毛髪クリニックリーブ21®。代表取締役社長である岡村勝正氏が毛髪の研究に着手したのは、かつて営んでいたクリーニング店の職人と交わした「ある会話」がきっかけだった。
※ 2018年2月時点
“素人目線”だからこそ成功したクリーニング事業
1945年、岡村社長は山口県厚狭郡に生まれた。親族が経営する自動車修理事業を数年間手伝い、技術を磨いた後、25歳で大阪府八尾市にて「岡村板金」をオープンした。ただ、業績は思ったほど伸びなかったという。
事業の行く末を案じていた矢先、近所のクリーニング店のオーナーが「店舗を売却したい」と相談を持ち掛けてきた。クリーニングの経験はおろか、それまで特に洗濯などをあまりしたことがないにもかかわらず、クリーニング店のオーナーや知人の話を聞くうちに「自分でもできるかもしれない」と思うようになり買収を決意。板金塗装の事業を畳み、クリーニング「サンドライ」を開業することとなった。1972年、27歳の時だった。
当時日本で最も品質の良いとされた大手クリーニング企業を超える「日本一のクリーニング」を目指そうと決め、岡村社長をはじめ、職人やパートの従業員に至るまで、全員が並々ならぬ熱意を持って仕事に取り組んだ。
どんな品物であっても手を抜かず、細かいところまで丹念に染み抜きをしたり、仕上げを立体的に施したりするなど、当時のクリーニング業界の“常識”では考えられないほど、妥協を許さない姿勢。それは、岡村社長がクリーニング業界について“素人”だったからこそ成し得たことだと言う。
「業界の常識があったとしても、お客様は業界の目とは異なる目線で見ています。私は素人だったので“お客さんの目”しかわからない。それが良かった。」
クリーニング業界とは無縁の世界から業界に入ったということが功を奏し、顧客から圧倒的な支持を得ることに成功したのだ。
店から離れたところに住む年配のお客様でさえも、わざわざ重さのあるこたつ布団や毛布を岡村社長の店に出しにきたという。「もっと近くの店で出した方が楽ですよ」と提案するものの、「兄ちゃんに洗ってもらった布団は気持ちよく寝られるから」と、お客様は岡村社長の店に通った。
この絶対的な顧客との信頼関係があったからこそ、後に岡村社長が始めた発毛研究が進化することとなる。
発毛研究のきっかけとなった“Turning Day”
クリーニング業を始めてから4年後、1976年のことだった。事業は軌道に乗り、忙しさは年々増していた頃、工場でのクリーニング職人とのある会話が、岡村社長が発毛研究にのめりこむきっかけをつくることとなった。
「大分前に永久歯が抜けたところに、また生えてきたんですよ。」
そう嬉しそうに言う職人に、岡村社長は驚いて返した。
「そんなわけないだろう。乳歯ならともかく、永久歯は1度抜けたら2度と生えてこないよ。」
「いや、生えてきたんですよ。」
そこで、「永久歯は2度生えてくるのか、こないのか」という議論に発展。「生える」「生えない」の押し問答の中、岡村社長は自身の言葉にふと何かを感じた。
「永久歯はともかく、髪の毛は一度抜けても生えてくるなあ。」
髪の毛には毛周期というものがあり、その周期に従い生え変わるという。
「永久歯は1度抜けたら生えてこないというのは、遺伝子に書き込まれているだろう。でも、髪の毛が生えてこないのは、毛周期が止まっているだけで、その周期をもう1度回してあげれば生えてくるんじゃないだろうか。」
こうして、岡村社長は「毛生え薬」の開発に乗り出すこととなった。
自作の「毛生え薬」から誕生した『リーブ21』
クリーニング業は真夏と真冬は閑散期に当たる。この期間を利用して、当初は興味本位で「毛生え薬」の研究にとりかかった岡村社長。マムシ酒に着想を得て、身近にある薬草を摘み、乾燥させた後、焼酎に浸して成分を抽出した「試作品」を開発。薬草成分が染み出し、無色透明だった焼酎が2週間ほどで琥珀色に変わった。岡村社長は、それを自分の頭に塗ってみることにした。効果があるかどうかはわからない。
「とにかくやってみよう。」
朝晩、試作品の「毛生え薬」を頭皮に塗り、軽くマッサージを繰り返した。そして、毎朝抜け毛の本数を記録していったのだ。
実験を始めて3、4ヶ月が過ぎたころ、抜け毛が微妙に減っていることを感じるようになった。その後も研究を重ね、自分自身で試すことを続けるうち、抜け毛が減っていると確認できた試作品をクリーニングに来たお客様に無償で使用してもらうことを始めた。
通常、クリーニングの店主が自作した「毛生え薬」を試そうという顧客はなかなかいないかもしれない。しかし、岡村社長と顧客との間にはクリーニング業で培った信頼関係があった。だからこそ、顧客は「それならちょっと試してみようか」と気安く手に取ってくれたのだ。
また、週1回や月1回、定期的に来店するというクリーニングのサイクルも研究には利点となった。来店時に感想を聞くと「抜け毛が減った」「かゆみが取れた」「コシが出た」という声が聞かれるようになっていき、データを蓄積することができた。
ただ、全ての人に同様の効果が出たわけではない。カウンセリングをしていく中で、徐々に毛量が増加していく人もいれば、いくら使っても効果が出ない人も現れるようになった。
「なぜだ。なぜ、うまくいかないんだ。」
そこで、もしかしたら他にも要因があるのかもしれない、例えば脱毛原因は体質とストレスが関与しているのでは、と考えた岡村社長は、そのお客様に「1週間分の食事をカメラに収めてきてほしい」と頼んだ。そうすると、高脂質な食事が続いていたり、お酒やタバコの量が多かったりといった、生活習慣での問題点が見えてきたのだ。
「頭皮の健康のためには、全身の状態が良くなくてはならないはず。」
そこで体質改善のアドバイスを続け、1つ1つ、効果が出ない要因を探り改善方法を模索していった。
いくどもの試作やカウンセリングを経て実績を重ね、1991年、トータルケアによる発毛システムを完成させ、1993年11月、遂に株式会社毛髪クリニックリーブ21®を設立することとなった。48歳からの新たな挑戦が幕を開けた瞬間だ。
その後は「薬」にこだわらず、低周波と高周波を使用した「毛髪発毛育毛装置」で特許を取得するなど、幅広いヘアケアの方法を開発。そして今日まで、リーブ21は発毛・育毛業界の第一線を走り続けている。
“素直”“本気”“感謝”を徹底すれば“縁”が“運”を運んでくる
成功するかどうかもわからない中、たった1人で始めた「毛生え薬」の研究。もし仮に、当時の自分自身に向けて声をかけるとしたら、どんな言葉をかけたいかという質問に、岡村社長はこう答えた。
「大事なのは“素直”と“本気”と“感謝”だと思います。この3つを“馬鹿”がつくほどにやり切る。そうすることで、色々な良い縁に恵まれ、その縁が、自分では思いもかけない“運”を運んできてくれるはずです。」
素人ゆえに、真面目に、そして正直に商品やお客様の声に耳を傾けたからこそ得られた信頼。そして、その“縁”こそが研究の進化に繋がり、今のリーブ21の基礎を築き上げることとなった。結果がわからない中でも目の前のことを懸命にやり続けた岡村社長の行動が成功に繋がったのだ。
仕事一筋で生きてきた岡村社長は、引退後、自給自足の生活をしてみたいと語る。自然の中に溶けこんだ生活を送ることが夢だという。とはいえ、まだ岡村社長のビジネスパーソンとしての夢は尽きない。
「抗がん剤治療による脱毛症の予防を実現できる医療機器の開発と認可の取得を急ピッチで進めています。抗がん剤で髪が抜けることを危惧し、中には治療を断念する患者さんもいらっしゃるといいます。この機器があれば、抗がん剤による脱毛の悩みが大幅に減るだろうと期待しています。」
全ての人の毛髪の悩みを解決すべく、全身全霊をかけてきた岡村社長。その目の奥に宿る情熱の炎は、まだ燃え続けている。
岡村 勝正(おかむら・かつまさ)/1945年、山口県生まれ。70年に大阪府八尾市にて岡村板金を設立。72年に板金業を閉鎖し、クリーニング業「サンドライ」を設立した。76年、クリーニング工場での職人との会話をきっかけに「毛生え薬」の研究を開始。93年3月、第1号となるオペレーションセンターを岡山市にオープン。同年11月、株式会社毛髪クリニックリーブ21®を設立し、同社代表取締役社長となる。以降、リーブ21の事業に専念し、99年には低周波と高周波を使った『毛髪発毛育毛装置』の特許を取得するなど、様々な角度から多く人の悩み解消に尽力している。また、自社の毛髪研究所では最先端の発毛研究開発に取り組み、他社に圧倒的な優位性を誇る完成度高い自社製品を更に向上させ卓越の発毛促進を実現している。