全国の未契約の月極や個人所有の駐車場をオンライン予約し利用できる駐車場シェアリングサービスアプリ『akippa』。2014年にリリースされて以来、IVS 2014 Fall Launch Padで優勝を勝ち取るなど、『akippa』を開発したakippa株式会社(2015年2月より「株式会社ギャラクシーエージェンシー」から社名変更)は瞬く間に注目を集めた。代表取締役社長である金谷元気氏は、かつてサッカーの地域リーグでプレーしていた経験を持つ。意を決し、サッカーを引退して起業した後に陥った厳しい現実。そんな中、偶然起こったある出来事がきっかけとなり、自身の意識に大きな変化が起こった。その瞬間、『akippa』へと繋がる道が拓かれることとなる。金谷社長の仕事観が変わった“Turning Day”に起こったこととは―。
サッカーへの情熱をビジネスへ
1984年、大阪府出身。金谷社長は「世界一のサッカー選手」を目指し、日々、厳しい練習に明け暮れていた。大阪府立松原高校を卒業後、クラブチームに所属。関西リーグでプレーしながら母校のサッカー部の講師とアルバイトを掛け持ちし、生計を立てていた。しかし、飲食店のアルバイトをしていたとき、サッカーの試合や練習を優先するために繁忙期にシフトを入れることができなかったため、解雇を宣告されてしまう。
「どうにかして日銭を稼がなければ…。」
そこで、金谷社長は、傘の販売とイベント時のジュース販売を始めることにした。
100円で仕入れた傘を雨の日に傘を持っていない人に300円で売る。また、1本39円で仕入れたジュースをクーラーボックスでキンキンに冷やし、イベント時に1本150円で売る。安く仕入れて高く売れば利益が出るということを実感し始めた金谷社長は、「商売の面白さ」に目覚めたという。更に、20歳のとき、ライブドア創立者の堀江氏やサイバーエージェントの藤田氏の著書と出会い、本格的に起業への意欲が芽生えていった。そして2006年、個人事業主として求人チラシ事業を開始。この事業で月に30万円ほどの利益を得ることに成功したという。
当時21歳、幼い頃からの夢であった「世界一のサッカー選手」になるためには「22歳までにプロ契約」というのがひとつの指標となっていた。経営者として生きていくのか、このままサッカーを続けるのか。決断の時期は迫っていた。その後、遂にザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)の練習生となったものの、契約には至らず、2007年3月、金谷社長はサッカーを引退することを決意した。
「この頃の自分は認めていなかったのですが、当時、既にサッカーを凌駕するくらい、ビジネスに楽しさを感じていました」と語る金谷社長。
「同年代のクリスティアーノ・ロナウドは超えられなくても、マーク・ザッカーバーグには勝てる」と考え、それまでサッカーに捧げてきた情熱を全てビジネスに注ぎこむ覚悟をしたのだった。
会社の存在意義を考えるきっかけとなった言葉
引退後、約1年半、企業で営業の基礎を学び、2009年2月、akippaの前身となる合同会社ギャラクシーエージェンシーを設立。資本金5万円、自宅のワンルームからのスタートだった。ギャラクシーエージェンシーの事業は、主に求人広告。労働集約型のビジネスモデルだったということもあり、従業員を増やすほどに売り上げは増大していった。株式会社へと組織変更し、起業して2年半後には東京オフィスも立ち上げ、従業員は20名ほどになっていた。
そんな中、2013年、あるクレームがきっかけとなり、会社の存在価値を考えるようになる。
「こんな会社、続けていく意味があるんだろうか。」
ふと漏らした弱音に、取締役の松井氏が金谷社長に迫った。
「この会社のビジョンって、何なんですか?」
松井氏の直球の質問に、金谷社長はすぐに答えが出なかった。飾りではない、本当のビジョンとは何かを求められていた。戸惑いを隠すように、金谷社長は「ゆっくりと考えて来る」と声を絞り出し、会社を後にした。
金谷社長の“Turning Day”~突然の暗闇から差した一筋の光明~
「何のために、会社を経営していくのか。」
1人、自宅で松井氏に投げかけられた問いの答えを考えていたとき、急に停電が起こった。
全ての電気が使えない状態だ。夕暮れ時に近づいてきた窓から差し込む光は、徐々に弱まってくる。近くの物は見えにくいし、携帯電話の充電もできない。テレビは見れず、ウォーターサーバーも使えない。この時、金谷社長は電気のありがたみを改めて感じた。そしてその瞬間、探し求めていた答えが見つかったのだ。
「電気のように世の中の人に必要とされるものをつくりたい!」
これがakippaの「“なくてはならぬ”をつくる」というビジョンが生まれるきっかけとなった。
その後、「世の中の困り事を解消する」というテーマを掲げ、当時の会社のメンバーとともに新たなサービスの検討を開始した金谷社長。メンバーたちに実生活で困っていることを書き出してもらった。その数は200個にも及んだという。そしてそこから、様々なサービスの原案が出てきた。
「飲食店の食材の余りをどうにかしたい」という困り事からは、「余った食材で作った食事を、個人宅に届ける」という新たな出前の形態に繋がるアイデアが発案された。「ゴルフのレッスン代が高い」という困り事に対しては「ゴルフのレッスンを上級者に教えてもらうことで、レッスン代の代わりにコース代を支払う」という、コースでプレーしたい上級者にとっても、通常よりも割安でレッスンを受けられる初心者にとってもメリットのある案が挙がるなど、200個の困り事からは数えきれないくらいの解決策が考え出された。
そんな中、1つの“困り事”が金谷社長の運命を変えた。「コインパーキングは現地に行ってから空車か満車かを知るしかない」という話だった。そこから駐車場シェアリングサービス『akippa』が誕生することとなる。
サッカー選手時代の経験が変えた『akippa』の運命
『akippa』やその他、いくつかの新たなサービス案がある程度形になった時、金谷社長はあるベンチャーのプレゼンテーションイベントに出席することを決めた。著名な経営者が来るということもあり、自分たちが考えたサービスがどう評価されるか、腕試しをしてみようと考えたのだ。
実は、金谷社長はもともと、飲食店の残り物を活用した食事サービスのプレゼンテーションを行うつもりでいた。しかし、発表の直前、「『akippa』のことを話そう」と考えを変えたという。まさに直感だった。長年、サッカーで勝機を瞬間的に見出す力を培ってきた金谷社長ならではの“嗅覚”が働いたのだろうか。結果として、『akippa』のプレゼンは大成功し、「君の会社にすぐにでも10億円の評価がつく」とまで絶賛された。
そうして、2015年2月、社名をサービス名と同じakippa株式会社に変更し、事業の一本化を決めた。
現在、akippaは駐車場を起点としたモビリティ系サービスを推進している。現時点では『akippa』に登録する駐車場の数を増やすことに注力しているが、後々、その駐車場をEV車や自動運転の車が利用する充電スポットとして活用することを視野に入れているという。
「地方では、移動の手段がなく、なかなか外出できずに困っているお年寄りの方もいらっしゃいます。いずれ、そういう方に利用していただけるような自動運転の車が登場した際、『akippa』がそのプラットフォームになることを目指しています。」
そのために、akippaではゼロからイチをつくることのできる人材、そして、周りの人を助けられるフォロワーシップのある人物を求めているという。
「大志を抱けるということは大切です。世の中を良くするために“困り事解決企業”が世界一を獲る必要がある。そのためにも、チームで勝つという意識を持ち、誰かのために動ける人かどうかという点を採用では重視しています。」
地方の住宅供給公社やレンタカー企業とも連携し、『akippa』のサービスは現在、拡大の一途を辿っている。停電が起こったあの日、金谷社長の運命の歯車は大きく動き出した。
『“なくてはならぬ”をつくる』
akippaの快進撃はこれからも続く。
金谷 元気(かなや・げんき)/1984年生まれ、大阪府出身。大阪府立松原高等学校を卒業後、関西サッカーリーグのクラブに所属。ザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)の練習生となるが、2007年3月、引退を決意。同年、株式会社エフティコミュニケーションズ(現:エフティグループ)に入社。2009年、同社を退職し、合同会社ギャラクシーエージェンシーを設立、代表取締役社長となる。2011年、株式会社へと組織変更。2014年4月、駐車場シェアリングサービス『akippa』を開始。2015年、社名をakippa株式会社へと変更した。