株式会社タカラレーベン ~不動産の新しい価値を生み出し続ける「タカラレーベン」の成長戦略~

株式会社タカラレーベン  代表取締役 島田 和一  (2020年7月取材)

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【ナレーター】
不動産バブルやマンションブーム、そしてその終焉を幾度も経験してきた不動産業界。

時代の移り変わりとともに目まぐるしくプレーヤーが入れ替わるこの業界を生き抜くためには、たゆまぬ変化とともに独自の存在感を持つことが重要となる。

そんな中、財閥系デベロッパーがひしめく分譲マンション業界において、7年連続で供給戸数トップ10入りを果たすなど、躍進を続ける企業がある。株式会社タカラレーベンだ。

「幸せを考える。幸せをつくる。」を企業理念とする同社は、自社ブランド「LEBEN(レーベン)」シリーズなどマンション事業を主力に、地方都市の再開発、海外での分譲マンション開発、再生可能エネルギー発電事業など、時代背景を見据えた事業領域の拡大を積極的に推進。

住まいづくりに留まらない、新たなライフスタイルを創造する不動産総合デベロッパーとしてその存在感を際立たせている。

不動産の新しい価値を生み出し続けるタカラレーベンの、次なる成長戦略に迫る。

【ナレーター】
1987年のバブル全盛期に、現タカラレーベンである宝工務店に新卒で入社した島田。当時の会社の印象について、次のように語る。

【島田】
当時はザ・不動産屋のような、町のちょっと怪しい不動産屋というイメージ、少しおっかないイメージがありました。

入ってみるとその通りで、やばいところに入ってしまったと思いましたけどね。決して変な会社ではないのですけれども、当時の社員数は30人くらいですね。

ビジネスモデルを変革しながら伸びてきたのは、1995年以降です。第6次、第7次マンションブームみたいなものがありまして、2000年から2005年に向けて、かなりの数の同業者が成長していくことができたのです。当時が今に至る中の成長期と言えますね。

【ナレーター】
マンションブームも相まって事業は順調に推移していたが、2008年にリーマン・ショックが発生。不動産業界にとって最大とも言える危機をどう乗り越えるか、当時副社長であった島田は日々苦悩に苛まれていた。

【島田】
いい時が続くと必ず何か反動があります。その反動が2005年からにわかにくすぶり始め、2008年のリーマン・ショックが起こりました。

経営の立場になってからで言うと、やはりリーマン・ショックには戻りたくないですね。

朝、3時4時くらいから目が覚めてしまうんですよ。その日やらなくてはいけないことをどうやってやろうかと考えるのです。寝てもそんなに眠れず、お酒を飲んでも酔えない。

前の日から明日の予定を考えて、朝早くから今日はどういう交渉をしよう、何を言われるだろうか、怒鳴られるだろうか。そういうことが当時は連日続いていましたね。

【ナレーター】
苦悩の日々が続く中、島田はある言葉を自分に言い聞かせ続けていたという。

【島田】
やはり「逃げるな」ですよね。

確かに辛いんです。辛いとみんな逃げたいですよね。でも、やはり「逃げるな」、逃げちゃいかんなと。

もちろん大変ですよ。嫌ですよ。嫌だけど、ここはしっかり堂々と向き合って、なんとか乗り切れるだろうと自分に言い聞かせるしかないんですよね。

人として会社として裏切らなければ、またお客様といい関係が継続できます。すると大変な時を乗り越えた後には、また良いお付き合いの中で素敵な仕事ができるのです。

乗り越えた後で長くお付き合いしてくださっている人はたくさんいます。でもその時に逃げてしまったら終わりですから。それはとても、人として大切にしていました。

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社長プロフィール

President's profile
氏名 島田 和一
役職 代表取締役
生年月日 1965年12月4日
略歴 1987年、21歳で「宝工務店」(現:タカラレーベン)に入社。新規土地開発をメインに手腕を発揮。弱冠32歳にして取締役開発部長に就任。その後常務取締役開発本部長に就任する。

2006年に代表取締役副社長に就任。全国初の「ライツイシュー」の実施や、「タカラレーベン・インフラ投資法人」を立ち上げ、インフラファンド市場で第一号の上場を果たす。

2014年代表取締役社長に就任、現在に至る。
出身地 東京都
座右の銘 現状維持は後退だ。

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