お取り寄せ情報ポータルサイト『おとりよせネット』、料理ブログのポータルサイト『レシピブログ』、そして「朝時間」の過ごし方を提案する朝のライフスタイルマガジン『朝時間.jp』。アイランド株式会社が運用するこれらのサイトは、全て同ジャンルにおいて日本最大級の規模を誇っている。同社を率いるのは、日経ウーマン誌「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」(2000年度・ネット部門)で第1位を獲得した注目の女性起業家、粟飯原理咲氏だ。

NTTコミュニケーションズ株式会社に入社して2年目で、ECサイトの専門家として社内外で注目されるようになり、その後、株式会社リクルートを経て起業の道に進んだ粟飯原氏。しかし、意外にも社会人としては「落ちこぼれ」からのスタートだったという。

そんな粟飯原氏がいかにして成長を続けるアイランドを創り上げたのか。その軌跡を追った。

「『MacOS』って何ですか?」から始まった新入社員時代

―就職活動の際は、どういったことに重点を置いて企業選択をされましたか?

粟飯原 理咲:
私が就職活動をしていた時期は、Windows95が上陸した翌年で、これからインターネットやデジタルの時代が来るという話でもちきりでした。当時はそれを「マルチメディア時代の到来」と言っていました。大学時代、ケーブルテレビの制作アルバイトをしていた中で、そうした用語は耳に入っていましたので、メディア業界か、メディアを新しくする業界、そのどちらかの世界に行きたいと考え、テレビ局や出版社など、メディアに関する業界は幅広く検討しました。その中で、当時NTTコミュニケーションズが「マルチメディア人材大募集」と謳って新卒募集をしていたので、「新しいマルチメディアの事業に携われる」と思い、入社を決めました。


―NTTコミュニケーションズではどのようなお仕事に携わられていたのでしょうか?

粟飯原 理咲:
念願叶ってマルチメディア事業の部署に配属になったのですが、実は、当時私は「マルチメディア」のことを、今で言うところの「動画メディア」のようなものだと勘違いしていたんです。ところが、実際は、プログラムをかいてECサイトなどをつくるのが、その部署の主な事業でした。同期は、学生時代からプログラム開発をしていた人や、その業界では既に名の知られているような人ばかり。一方、私は全くのパソコン初心者で、ブラインドタッチさえできない。「どうしよう」と焦りましたね。

部署ではMacintoshを使用していました。本配属となって、職場で初めてパソコンを起動させたら、画面に「MacOS」と表示されるわけです。そこで、パッと手を挙げて、先輩に「すみません!“マッコス”って書いてあるんですけど、何のことですか?」と質問してしまいました(笑)周りは皆、シーンとなって、「変な新人が入ってきたけど大丈夫かな?」という空気になりましたね。本当に、超落ちこぼれからのスタートでした。

“初心者”という弱みを強みに変えたエピソード

―そんな中、入社2年目には既にメディアに注目されるほどに成長されたと伺っております。そこに至る経緯についてお聞かせいただけますか?

粟飯原 理咲:
「落ちこぼれ」として入社したことで、逆に“弱みが強み変わる”ということを経験しました。あまりに初心者過ぎて、当時業界で開発されていたオンラインショッピングシステムを、開発者の視点ではなく、一般ユーザーの視点で見ることができたのです。「これではお買い物しにくいと思う」「ここの画面をこうした方がより使いやすい」など、それが技術的に可能かどうかを考えないからこそ、素朴な疑問を持つことができました。ただ、そうした「使いにくい」という意見を、新入社員がいきなり言うのもはばかられますよね。そのことを知り合いに相談したところ、「それなら、買い物する側の人の声を集める取り組みをしてみたら?」とアドバイスされたのです。

そこで、入社1年目の冬くらいから、当時インターネットを積極的に利用していた女性たちに片っ端から声をかけ、生活者の視点からオンラインショップやECを考える消費者ネットワークをつくりました。ネットワークに参加する人数は、最盛期には1,000人にも及び、結果的に私が会社に意見を言うのにも、そのネットワークでの意見を総括して提案することで、「粟飯原は新入社員だけれども、マーケティングのコミュニティを持っていて、きちんとそこで得たエビデンスをもとに提案してくれている」と考えてもらえるようになり、意見も通りやすくなっていきました。

そうしたコミュニティ自体が、ほかにはなかったということもあり、社内外で評判になって、入社2年目の時に東洋経済新報社さんから『成功するオンラインショップ』という、コミュニティで話し合ったことをまとめた書籍が出版されました。それがまた「新卒2年目の社員がECの専門家として、主宰しているコミュニティから本を出している」ということで、書籍とあわせて私自身を認識してくれる人が増えていき、「技術自体は詳しくないけど、生活者マーケティングに詳しい人」というポジションを社内で確立することができました。


―技術的な面で不安もある中、事業運営はスムーズに行えましたか?

粟飯原 理咲:
社内の本流業務でなく、新人が単独で進めている社外の方を巻き込んだプロジェクトにもかかわらず、「全面協力するから」と、会社のサーバーを貸してくださったり、わからないことを色々教えてくださったり、先輩や上司には非常に助けていただきました。今思い返すと、あまりにも落ちこぼれすぎて無我夢中でやっていたのだと思います。「教えてください」と、先輩たちに対して100%の状態でぶつかっていました。この経験がきっかけとなって、自分が弱いところは実は強みでもあり、立ち位置を理解してマーケティングすれば、社内外で役に立つことができると知りました。その後も、自分がやりたいことがあれば、「これは社内で提案するのがいいのか」、それとも「社外でやって社外から社内にプレゼンするほうがいいのか」、どちらが良いかを考えた上で、色々な事業にチャレンジしていきました。

失敗を恐れなくなった友人の一言

―事業を通して失敗して落ち込んだ経験などはありましたか?

粟飯原 理咲:
社会人1年目でコミュニティを立ち上げた時、たくさんの人が参加しているフォーラムでコミュニティのプレゼンテーションをする機会があったのですが、頭が真っ白になってほぼ何も話せないで終わってしまい、本当に落ち込みました。恥ずかしくて、主催者の方にも申し訳ない気持ちでした。ただ、その時同期の1人から、「ほかにも大きなカンファレンスがいくつもあるこのフォーラムで、誰もお前のことなんて注目していないし、覚えてもいない」と言われて、「そうか、自分にとっては初めての大舞台で失敗した経験だけど、多くの人にとっては記憶にも残らないのか」と思ったら、途端に気が軽くなって「失敗してもいいか」と思えたのです。それまでは気負っていたのかもしれませんが、「無駄な自尊心はいらない」と、その言葉が教えてくれました。その同期は、今でも私のことを応援してくれています。

上司の大叱責をバネに変え、学び続けたリクルート時代

―その後、新たな挑戦をしたいと2000年にリクルートへの転職を決意されました。リクルートではどのようなキャリアを積まれたのでしょうか?

粟飯原 理咲:
プロフェッショナル人材としてスカウトいただいて採用されたのですが、最初の1年間は散々な状態でした。次世代事業開発室に配属されて、ユニークユーザー1,000万人のメディアをつくるための企画書を提出するよう指示されました。1週間後、企画書を持っていったのですが、それを読んだ上司の第一声が「これで1,000万人集まると思うのか」でした。「集まったらいいな、と思います…」と答えると「そんな中途半端な想いでやる奴は、俺の下にいらない」と大激怒されました。思うように成果を出せず、悔しくて泣きたくなるのですが、会社で涙を見せるのは卑怯だと思っていたので、帰りのタクシーで泣いた日もありましたね。それでも、企画を考えること自体が楽しくて、夢中で仕事をしていました。

その後、株式会社リクルート・アバウトドットコム・ジャパンに出向し、『All About』のマーケティングプランナーとして2001年から2003年まで、同社の上場に向けて仕事に邁進しました。常に前向きな株式会社オールアバウトの江幡社長の背中を見て、「経営者というのはこういう人でなければならない」と学んだ時期でもあります。

「お取り寄せ」ビジネスで起業した理由

アイランドの運営サイトで取り扱っている商品。「お取り寄せ大賞」を受賞し、雑誌へ掲載された。

―起業に至ったきっかけは何だったのでしょうか?

粟飯原 理咲:
リクルート時代に、「お取り寄せ」サービスに興味を抱きました。今でこそ一般的な用語になっていますが、その頃、まだ日本では「お取り寄せ」自体が浸透しているとはいえない状態でした。ただ、当時、友人と共に食べ歩きのサイトと3万人規模の読者がいるメールマガジンを運営していたのですが、そこで展開するお取り寄せコーナーへの反響が非常に高かったので、オンラインショップの隆盛とともに、これから必ずブームが来るだろうと予測できました。しかし、リターンがどれだけ見込めるかわらかないため、会社の事業としてやるのではなく、個人で挑戦すべきだと考え、2003年10月に仲間とサービスをスタートしました。起業したばかりの頃は、専従者は私だけで、他のスタッフたちはほぼボランティアでお手伝いしてくれました。オフィスもなかったので、会議はファーストフード店などで行っていましたね。

求めているのは“思いを形にできる人”

―現在の事業や、求める人材についてお教えください。

粟飯原 理咲:
当社は“場を創造し続ける”というビジョンを掲げ、『おとりよせネット』、『レシピブログ』、『朝時間.jp』など、女性向けライフスタイルメディアや、キッチン付きイベントスペースの運営など、これまでも様々な“新しい場”を創造してきました。3つのメディアは、いずれもそのジャンルにおいて日本最大級を誇り、成長を続けています。また、3年前に立ち上げた料理インスタグラマーのコミュニティ「クッキングラム」も、今は月間3億リーチを超える日本最大級の料理インスタグラムコミュニティとして急伸しています。現在、これらの主要サービスを通じて、食品ECサイトの集客や販促支援食を軸とした地域創生支援事業、料理インフルエンサーのプロモーションやマーケティングなども行っています。事業展開をする上で大切にしているのは、ユーザーの声やユーザーとの接点です。今後も新しいウェブメディアをつくるだけではなく、リアルと融合したものを発展させていきたいと考えています。

求める人材については、思ったことを形にして発信できる人物ですね。アイデアだけではなく、それを事業プランに落とし込めるような「形にできる」力がポイントになってくると思います。また、当社のビジョンや事業に対して共感していただけるということを大切にしています。

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編集後記

非常にパワフルで前向きに、様々な困難を乗り越えてきた粟飯原氏。自分の弱い部分を認めることは、難しいと感じる人も多いのではないだろうか。しかし、粟飯原氏は「だからこそ何ができるか」という、別の視点から物事を見る目を持っていた。弱みをさらけ出す強さと、そこを前向きにとらえ、行動できる信念が、こうした革新的な事業をつくりだす1つの要因になっているのだろうと感じた。

粟飯原 理咲(あいはら・りさ)/1996年、国立筑波大学卒業後、同年4月よりNTTコミュニケーションズ株式会社に就職。先端ビジネス開発センタにてマルチメディア事業に携わる。2000年より株式会社リクルート次世代事業開発室・事業統括マネジメント室勤務、総合情報サイト『All About』マーケティングプランナーを経て、2003年7月、アイランド株式会社代表取締役兼インターネットサービスプロデューサーに就任。日経ウーマン誌選出「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」2000年度ネット部門第1位、2003年度同賞キャリアクリエイト部門第6位受賞。『朝美人の練習帖』(朝日新聞社)及び、『気分転換&リラックスのコツ81』(大和書房)を監修。2011年より日経産業新聞にて「風を読む」コラム担当。

※本ページ内の情報は2018年10月時点のものです。