国内において、多くの企業が新型コロナウイルス感染拡大の影響で、経済活動を停滞せざるを得ない状況となった。
建設業界も例外ではなく、北海道を中心に建設資材や基礎資材を扱う東証一部上場企業の株式会社クワザワでも、2020年2月下旬、開催を控えていた大規模な展示会を中止する決断を下した。
冷静かつスピーディな判断で対応できたのは、企業の存続に関わる大きな危機を乗り越えた経験からだという。
この危機を乗り越えたクワザワは、北海道を中心に業容を拡大、2019年3月に東証一部へと市場変更を果たした。
多くのメディアでリーマン・ショック以上の深刻な影響を与えると言われている、今回のコロナショック。7代目社長の桑澤 嘉英氏はどのように捉え、乗り越えようとしているのか、話を伺った。
一大イベントの中止決断の裏側
―北海道では早くからコロナウイルスの感染拡大が伝えられていました。御社も迅速な対応を迫られる場面もあったのではないでしょうか。
桑澤 嘉英:
当社は毎年、2月下旬に1年を通じた最大の建築資材展示会『住設建材フェアinほっかいどう』を開催しております。2020年も開催を計画し、2月26、27日に全国から約5千人の来場をお迎えする準備をしている真っ只中にありました。
パナソニック、 LIXIL、TOTOといった錚々たる住宅設備・建材メーカーが一堂に会し、新商品や一押しの商品を展示する大きなイベントとなります。当社はもちろん、建築業界においても非常に重要な位置づけを持つものです。
北海道で最初の感染者が出たのは、2月14日のことでした。しかし当時はまだ、感染防止に十分配慮した上で、開催したいと考えていました。ところがそれから3日後にはいきなり感染者が6人に増えてしまいます。
「これは一気に拡大するかもしれない」と初めて危機感を抱いたのがこの頃です。悩みに悩んだ結果、2月19日にイベントの中止を決断しました。開催直前の、ギリギリの判断でした。
―苦渋のご決断だったかと存じます。社を挙げてのイベントを中止するという決定に対し、従業員の皆様はどのような反応だったのでしょうか?
桑澤 嘉英:
お客様や関係者の皆様からは、「ビジネスの場は失ったけれども、あの時期の開催は見送って正解だった」とのお声をいただきました。ただ社内では意見が割れ、さまざまな議論を重ねて慎重に検討したのも事実です。
イベントには、北海道内以外に本州からもたくさんの方々が来場されます。大事なイベントがなくなるのに加えて、交通機関や、宿泊施設、会場のキャンセルにも費用が発生するためです。
しかし、1月24日~2月2日時点で、中国の旧正月にあたる春節に伴う観光客が約1万2900人、千歳空港に降り立っています。札幌冬のメインイベント、『さっぽろ雪まつり』も2月11日まで開催中でした。私達の展示会はその2週間後にあたります。クラスターが発生しないと断言できません。
実際、その後に開催された道内のとあるイベントでは、クラスターが発生する事案も報告されています。
結果的には、関係者の皆様、そして社員の健康を守るための最善策だったと思っています。また社を挙げて、感染対策を徹底する契機だと捉え、新型コロナウイルスの対策本部をすぐ立ち上げました。
有事に備えて策定していたBCP(事業継続計画)プロジェクトチームにも入ってもらい、私が対策本部長に就任しました。
自らが陣頭指揮を執り感染防止対策の徹底を呼びかけ
―桑澤社長自ら、感染防止対策を実践し、陣頭指揮を執られたとのことですが、実践した具体的な施策についてお聞かせください。
桑澤 嘉英:
まず、朝礼の場で私が感染防止のための手洗いを実演しました。グループ会社19社のうち、札幌近郊にあるグループ会社はすべて回り、対策の徹底を指示しました。東京や仙台など出向くのが難しいところにはテレビ会議で、対策の徹底を伝えています。
その他、デスクの間隔を広く取るなどオフィスのレイアウトの変更や換気の徹底、テレワークの導入などの防止策も講じました。交通機関を使わざるを得ない社員には時差出勤や期間限定での社用車の貸与等なども実施しています。
病院等でのクラスターの発表がなされると、その場所に出入りをしていた社員は、BCPチームに申告をもらい、状況を判断の上、自宅待機の指示をするなどの対応を取ってきましたので、今後もきめ細やかな対策を継続しておこなっていく予定です。
2代目の急逝から始まったクワザワ最大の危機
―新型コロナウイルス感染拡大防止のため、経済活動が制限され、その影響は多方面に及んでいます。創業から長い歴史を刻む御社では、これまでもさまざまな危機的状況に直面されたのではないでしょうか。
桑澤 嘉英:
今回のコロナショック以前の危機といえばリーマン・ショックが思い起こされます。
確かに当社も、当時売上が落ち込むなど少なからぬ影響を受けました。しかし当社には、それ以上の大きい危機的状況、まさに会社の存続が危ぶまれる危機に直面した過去があるのです。
私はもともと、東京海上火災株式会社(現:東京海上日動火災保険株式会社)に勤務しておりましたが、1976年5月、2代目である父が倒れたという一報を受けました。祖父から継承した当時従業員数15名前後の当社を大きくし、札幌証券取引所に上場するまでに引き上げた人物でした。父はまだ53歳と若く、社長としてこれからという時に急逝してしまったのです。
父の跡を受け、当時の専務がその後、社長に就任します。ところが折しもオイルショックの頃で、大黒柱を失った会社は動揺し、およそ5年もの間、数十億円の赤字を計上してしまいます。銀行からの融資も断られ、まさに会社がいつ倒産してもおかしくないような状況まで追い込まれました。
そこで、当時の最大の仕入先である日本セメント(現:太平洋セメント)に社長を担える人材を招へいしてくれないかと打診しました。結果、日本セメントから優秀な人材が社長として出向してくれることになるのですが、その際に「君もクワザワに戻ったほうがいい」とアドバイスされました。
私は当時の勤務先で充実した日々を過ごしていたので、大変悩みましたが、戻ることを決めました。
危機的状況を乗り越えられた2つの要因
―その後、最大の危機をどのように御社は乗り越えたのでしょうか。
桑澤 嘉英:
とにかく毎日、身を粉にして働きました。新社長は徹底的なコストカットを実行し、交際費も5400万円から400万円までに削減するなど、無駄を排除せざるを得なかったのです。
その頃の北海道の建設業界は、冬季がオフシーズンで、ほぼ収益がありませんでした。そこで知恵を絞り、スキー場に出稼ぎすることとなりました。
リフトのチケット切り、駐車場の誘導、レンタルスキーやトイレの掃除まですべて懸命にこなしました。一般社員から部長以上の役職者まで、皆が会社を立て直したいと必死でした。
しかし、その反面、ついていけそうにないと思った社員も少なからずいたようで、380名いた社員が、2年後には290名と、約4分の1の社員が退職してしまいました。
その後も必死に働き続けた結果、徐々に利益が出始め、会社存続への光が見えてきたのです。出向してきた社長は本当に厳しい方でしたが、私達社員と同じかそれ以上に死にものぐるいで働いていました。
その姿を目の当たりにしてきた290名の社員は、決して危機的状況から逃げることはありませんでした。この体験から、トップが必死で働いていれば皆もついてきてくれるのだということを学びました。それが、会社のピンチを切り抜けられた理由の1つだと考えています。
もう1つの理由は、会社の危機的状況を包み隠さず社員に公表した点です。トップがすべてをさらけ出し、真摯に会社の現状と社員に向き合った結果、弊社最大のピンチから脱出できたのだと実感しました。
「自分が燃えれば他人(ひと)も燃える」
―緊急事態宣言も解除され、今後はコロナと共に経済活動を行っていく新局面を迎えます。今回のご経験を今後にどう活かそうとお考えでしょうか。
桑澤 嘉英:
建築、住宅業界はあらかじめ工程が決まっている性質上、今すぐに厳しい状況となるわけではありません。しかし今後の需要減退を含め、これからの動向には注意していかなくてはならないでしょう。
先程お話した最大の危機の時と同じく、当社の一番の財産は社員、人財だということです。経済活動が制限されている中でもテレワークで研修を続けてきました。
2代目が掲げた「自分が燃えれば他人(ひと)も燃える」のスローガンのもと、会社と社員が共に成長し、今後も一丸となってアフターコロナの時代を切り抜ける新規開拓に邁進していきたいと思っています。
「自分が燃えれば他人(ひと)も燃える」というのは、まずは何にでも自らが本気になることの大切さを説いています。自分が本気になって、相手にお願いする、それでこそ相手も「燃える」のだと。
当社の社員は真面目で素直、中堅以上の社員はチャレンジ精神が旺盛な人財が揃っています。お客様への対応はもちろん、上司や同僚、部下も含め、会社として「燃える」姿勢で積極的に業務に取り組んでいきたいですね。
地域で「ダントツ」の存在になる
―北海道外にも拠点を拡大されていますが、クワザワの目指す未来像をお聞かせください。
桑澤 嘉英:
今の時代は、通信網も発達していますから、「全国展開」も以前ほどは難しくないのかもしれません。ただ建設業というのは、地域に根ざした業種です。北海道エリアのお客様のために、どんな提案ができるのか、この地域で「ダントツ」の存在でありたいのです。
例えば当社の生コン(生コンクリート)の取り扱いシェアは道内で3割、ダントツの自信があります。こういった部分をどんどん大きく広げていきたいですね。
さらに、当社は北海道に軸足を置きながら、日本全国津々浦々、沖縄まで展開している商品もあります。一例が米国デュポン社の「タイベック®」という高密度ポリエチレン不織布です。
一見するとポリエチレンの簡単なシートなんですが、外からの雨風は全てシャットアウト、家の中で出た水蒸気を外に逃がす特性を持っています。
現在、新型コロナウイルスの治療に当たる医療従事者が使用する防護服にも用いられています。当社はいち早くその特性に着目し、住宅用に全国の木造住宅への採用活動を続けてきました。
雨風をシャットアウトし壁体内の水蒸気を外に排出しますから、結露は起こりにくくなります。
今でこそ、注目されている素材ですが、当社がタイベック®と出会ったのは1985年、私がまだ住宅資材営業の責任者を務めていた頃のことです。
私は当時からこの素材は今後住宅に欠かせなくなると読み、日本用のカタログもない時代から英語の販促ビデオを翻訳、素材のメリットを理解してくれた社員と工務店さんに出向き、1棟1棟、説明して回ったものです。
現在、全国で木造住宅が51万戸ぐらい建設されているのですが、そのうちの2割である約11万戸に当社がこの素材を供給しています。こういった全国で通用する商品を武器に、北海道外にも業容をどんどん拡大していきたいと考えています。
―M&Aについても、積極的におこなっていると伺っています。
桑澤 嘉英:
当社は建設資材を扱う「総合商社」でありながら、多くの工事も手掛けており、グループ全体としては完全な技能集団だと自負しております。
今後は北海道外へ拠点拡大をしつつ、施工力や工事力を持つ企業に、弊グループに参画してもらい、マンションの大規模修繕など新たな工事分野にも積極的に進出し、ピンチをものともしない「ダントツ」の企業を目指していきます。
編集後記
建築・土木資材の総合商社でありながら、工事力を兼ね備えた職人集団でもあるクワザワ。桑澤社長の視点はまずは日本で「ダントツ」となる方向に向いている。
一方で医療従事者への基金『エールを北の医療へ!』への寄付、札幌で開催される『YOSAKOIソーラン祭り』チームのスポンサーなど、北海道への地域貢献も常に意識する。
顧客や関係者、そして社員への感謝もてらいなく口にするその姿勢は、苦境に追い込まれても同社を支える源となっているように感じた。
桑澤 嘉英(くわざわ よしひで)/1976年東京海上火災株式会社(現:東京海上日動火災保険株式会社)に入社。2代目である父の急逝により、1981年に株式会社クワザワへ入社。札幌建材支店長、東京本部本部長などを歴任し、1997年同社代表取締役社長に就任。北海道内の建設資材の販売、工事の請負施工、資材運送など、関連分野の業容拡大に努め、さらなる事業展開を予定。グループ会社は19社にのぼる。