ワイジェイFX株式会社は、「外貨ex」、「オプトレ!」などの個人向け金融サービスを提供する、ネットサービス業の草分け的存在であるヤフー株式会社を親会社に持つ、国内FX取引量3位のネット証券会社だ。

同社を率いる代表取締役社長CEOの松本好史氏は、大手証券会社からインターネット証券会社の代表格であるマネックス証券株式会社へ転職し、その黎明期を支えた経歴を持つ金融のプロフェッショナルである。

「インターネットを使って誰もが気軽に金融取引が行える世界を創りたい」と語る松本氏。

描いている展望とこれまでの軌跡について、話を伺った。

※本ページ内の情報は2021年1月時点のものです。

導かれるようにして金融の道へ

―幼少期の経験で印象に残っていることはございますか。

松本好史:
自分で言うのも何なのですが小学校低学年までは、勉強も運動も音楽も得意な才能溢れる子どもでした。しかし、小学校4年生の頃に足の病気を患ってしまい、松葉杖生活を余儀なくされてしまいました。これが人生の中で最初に体験した挫折ですね。

学校に行かなくなり、当時マンションの5階に住んでいたのですが、1階まで降りるのも躊躇うような状態でした。

その後、そんな自分を心配してか、友人が私の家に来るようになったんです。それから徐々に登校するようになり、友人が私の代わりにプリントを取りに行ってくれたり、松葉杖を貸してと言ってくれたり、身体が不自由な自分を助けてくれるようになりました。

病気を患う前までは周りに頼らずに自分で何でもやろうとする子どもでしたが、そのときに「できないことがあったら人に任せてもいいんだ」と思うようになったのを覚えていますね。人とのつながりの大事さを感じた、貴重な経験でした。


―高校卒業後の進路選択はどのように決められたのでしょうか。

松本好史:
料理人の道へ進んでいた兄を慕って商業高校に入学したのですが、ふとこのまま兄と同じレールを進むのは何か違うなと思うようになり、大学に行こうと考えました。それが高校3年生の夏休みです。先生に相談すると「今さら、お前が推薦で入れる大学はないぞ」と言われ、その代わりに勧められたのが大和証券への就職でした。

私は大学に行きたかったのですが、面接だけでも受けてきなさいと言われたので、軽い気持ちで受けたところ、内定をいただけたのです。しかし私は大学進学を志望していたので、そのことを先生に言うと学校が大騒ぎになってしまいました。

先生からは「行かなければ次の年から大和証券から求人が来なくなる。3年働いたらすき焼きをご馳走するから行きなさい」と説得され(笑)、1989年に高校を卒業した後、そのまま大和証券へ入社しました。

雑用とも言える仕事内容がプラスに働いた理由

―大和証券へ入社後は、どのような仕事をされたのでしょうか。

松本好史:
本部の業務部という部署に配属されたのですが、役職者に新聞を配ったり、他の部署に書類を持っていったりと、今で言う雑用に近い仕事もしていました。大卒入社の新人であればやらないようなことでしょうね。ただ、いろいろな部署に出入りできましたし、顔と名前を覚えてもらえる機会が多かったので、結果的にはそれがよかったように思います。

退職引き止め後に与えられた会社存続に関わるミッション

―元々は3年で大和証券を退職するつもりだったと伺っています。その3年が経過して、実際にはどのようなキャリアを選ばれたのでしょうか。

松本好史:
入社時と思いは変わらず、3年で退職しようと思っていました。そのことを会社に伝えたら、人事担当の方から「ミッションを与えるからあと2年は頑張ってくれないか」と引き止められ、結局残ることになりました。

その後、財務や経理を経て経営企画室へと異動となり、大和証券の分社化に関わる仕事をミッションとして与えられました。当時、金融業界が混沌としており、経営環境が厳しくなる中で大和証券はどう生き残るかという、まさに分岐点に立っていました。

会社存続の危機に関わる大きな仕事を仰せつかったのですが、私は当時どちらかと言うと、仕事が終わった後の同僚や上司との交流をモチベーションにしていました。ですので、仕事自体にはあまり熱を持っていなかったように思います。

知られざるマネックス証券転職秘話

―次の転職先として選んだのがネット証券会社のマネックス証券株式会社と伺っておりますが、入社の経緯についてお聞かせいただけますか。

松本好史:
実はその後、仕事がそれなりに楽しくなってきたので、大和証券を辞めるという考えはなくなっていったんです。その中で、1999年の初め頃、当時設立間もないマネックス証券から、声を掛けてもらうようになりました。

丁重にお断りをしていたのですが、その後も何度か声を掛けられ、直接社長にお断りの旨を伝えようとマネックス証券へ面談に行くことにしました。今思うと、この時の行動が私の人生における転機だったと思います。

そこで当時の社長であり創業者の松本大さんと話をしたんですが、金融とはどういうことなのか、今は銀行にお金を預ける間接金融が中心だけど、これからは企業などに投資して体験を増やす直接金融が大事なんだ、世の中が変化する中でマネックス証券では、誰もが投資体験できる生活口座になりたいんだという話を聞かされました。

当時の自分は大和証券で働くことは好きだったのですが、金融が好きというわけではなかった。しかし、松本大さんと話したことで、それまで知らなかった金融の本質がズドンと自分の中に入ってきたんです。帰るときに「君の席はここだよ」と既に用意されており、面談したその日に入社を決意しました。


―当時はまだ大企業からベンチャー企業への転職というのは、なかなか難しかったのではないかと存じますが、実際はどうだったのでしょうか。

松本好史:
退職すると伝えた時、ありがたいことに全員に止められました。私のことを思って言ってくれたと思うのですが、「ベンチャー?マネックス?そんな会社は止めておけ、すぐにつぶれるぞ」と、転職に賛成する人は誰もいませんでしたね。

しかし、松本大さんに言われた言葉が忘れられず、私の考えは揺るぎませんでした。とはいえ、大変良くしてもらいましたし、喧嘩別れのようなことは絶対にしたくなかったので、転職するギリギリまで大和証券で働いていました。

マネックス証券での仕事を通じて改めて感じたこと

―マネックス証券ではどのような仕事をされていらっしゃったのでしょうか。

松本好史:
マネックスでは経理・財務・経営管理などの仕事がメインだったのですが、手を上げれば何でもチャレンジさせてくれましたね。特に、今までに無い個人のお客様向けサービスを任されたことが成長を実感できた仕事で、今では競合他社でもサービスとして提供し、ネット証券のポピュラーなサービスに成長したので、大変、大きな仕事でやり遂げたという実感があります。

誰かを喜ばせたいということ、マネックスのみんなや松本大さんの期待に応えたいという想いが当時の仕事のモチベーションになっていました。世の中にないビジネスを立ち上げて、プレスリリースに日本一や世界一と発信できる喜びを感じながら働いていましたね。

小学校時代の原体験でも感じたことですが、やはり自分の中では人とのつながりが一番大事なのだと改めて感じました。

金融の新しい未来をつくるため、ヤフーへの転職を決断

―その後もマネックス証券でキャリアを積まれたかと思いますが、現在代表を務めているワイジェイFX株式会社とはどのようなきっかけで出会われたのでしょうか。

松本好史:
マネックス証券で働いていた頃に、ヤフーと共同でプロジェクトをやろうと動き始めていました。そこにマネックス証券からも私を含めて何人か参加していて、そこでヤフーの担当の方たちと親しくなりました。

プロジェクト終了後疎遠になったのですが、数年後、その出会いがご縁でヤフーに来ないかと誘われるようになったのがきっかけですね。私はマネックスを辞める気はなかったので、その誘いは丁重にお断りしたのですが、その後も熱烈なアプローチが2年ほど続きました。今思えばありがたいことでしたね。

そんな状態が続いていたときに、当時ヤフーの社長だった宮坂学さんに会って話す機会がありました。そこで、これからの金融の方向性についてお話させていただき、またお話を伺いました。

その時の金融で作る未来が「誰でも、簡単に、便利に」ということでした。その話を聞いて、新しい分野で金融の新しい未来をつくっていくことにチャレンジしようと思いました。その後2016年にマネックスを退職し、ワイジェイFXへ転職することを決めました。

誰もが利用しやすいサービスを提供する

―そして2019年に代表取締役へご就任されました。ワイジェイFXの強みと今後の展望についてお聞かせください。

松本好史:
弊社の強みは、これまでの証券会社のように取引所を経由することなく、直接お客様とやり取りを行い、適正な商品を適正な価格でタイムリーにお客様に提示できる技術とノウハウを有していることです。

お客様は弊社が提示する価格で売買するかどうかを判断します。それが仮に適正でなければ、以降の取引はしてもらえなくなり、会社の信用にも関わってきますよね。ですので、弊社ではリアルタイムでの適正価格の提示はもちろん、お客様がスムーズに取引ができるよう環境を整備しています。


―今後の展望についてお聞かせください。

松本好史:
証券会社は今後、お客様から取引の手数料を徴収するようなブローカレッジビジネスからの転換が求められると考えています。そんなとき、適正な情報や適正な価格をリアルタイムにお客様に提供できる私たちの価値は高まると考えており、今は為替に強い証券会社ですが、その商品のラインナップを、為替に限らず他の金融商品やモノやサービス、そして情報などでも同じように提供できると思っています。

この取り組みによって、より金融というものが皆様にとって身近な存在になると考えております。この変化を足がかりにして、弊社サービスを利用いただくことによる付加価値を高めていき、経営理念に掲げております「金融にインテロバングをつけてゆく」ことを推進していきたいと思っています。

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編集後記

幼少期から「人とのつながり」を一貫して大事にしてきた松本社長。その想いが現在のキャリアや、新しい金融の世界をつくりたいという夢にもつながっているように思う。

アフターコロナでの新しい金融の未来を模索し続けるワイジェイFX。今後も、我々の生活に根付くような「誰もが気軽に利用できる」金融サービスを提供してくれるに違いない。

松本好史(まつもと よしふみ)/1970年、東京都生まれ。1989年に大和証券株式会社へ入社。2000年にマネックス証券株式会社へ入社。2011年に株式会社マネックスFXへ出向、同社取締役就任。2016年にヤフー株式会社へ入社、ワイジェイFX株式会社へ出向。2019年に同社代表取締役就任。