業歴50年にわたって料理に添えられる「大根のツマ」を提供している株式会社駿河屋。役職者でもない一般社員であった富成悟氏が、突如社長に就任したのは30歳を目前にした頃であった。マネジメントを学んだこともない状況で、社長業として最初に取り組んだことは、一人ひとりの社員と正面から向き合うこと。経営の基盤にあるのは、顧客と顔を合わせ、顧客が求めるものを知るという姿勢だ。
「無理な背伸びをするな」という先代社長の教えを胸に組織を束ね、青果を最良の状態で顧客に提供し続ける富成社長に、同社の事業内容や今後の展望についてうかがった。
食卓の脇役でも素材の品質と安全にとことんこだわるのが流儀
ーーはじめに貴社の事業内容をお聞かせください。
富成悟:
弊社は、主に刺身に添える「大根のツマ」を製造、販売しています。他にも刺身に添えるしその葉、穂しそ、小菊、わさび、野菜や果物など、幅広く扱っています。ルーツをたどれば江戸時代には日本橋市場で、関東大震災後は築地市場で、青果と生麩を扱っていましたが、1967年に株式会社を設立し、今の業態に移行しました。
ーー貴社ならではのこだわり、強みは何でしょうか。
富成悟:
食べておいしいと思える大根のツマを提供しているのが、弊社のこだわりです。ツマに使う大根は、身が硬くて水分が少ない方が良いので、産地、品種、それに種子も厳選しています。産地は、季節ごとに北海道、青森、鹿児島と変えていき、農地に蒔く種子はその土地の栽培農家と相談し、5種類くらいの大根を育てていただいています。
そして、食の安心にもこだわっています。大根の場合、切り口は滅菌消毒を行い、その後は無添加で袋詰めして出荷します。
退職を考えていた矢先に先代から突然伝えられた、想定外の後継者任命!
ーー社長就任までの経緯を教えていただけますか?
富成悟:
先代は実に厳しい人でしたが、尊敬できる経営者でもありました。正直なところ、先代が引退したら、私も辞めようと考えていたのです。
ところが、ある日突然、先代から「あと1年で引退するから社長になれ」と言われたのです。当時、私はまだ30歳前で、役員でも部長でもない一般社員で、10人程度の社員の一番下にいました。驚きのあまり、最初は「無理です」と断りましたが、その後も折に触れ、考え直すように何度もお話をいただき、とうとう代表取締役に就くことになりました。
ーー今、振り返ってみて後継者に選ばれた理由は何だと思いますか?
富成悟:
先代からは常々「自分で買ってきたものは自分の責任で売り切れ」と教えられていました。私も「自分で仕入れたものは絶対に全部売ってやる」という意地がありましたので、それを貫いていた部分が評価されたと考えています。
私は、生まれも育ちも月島です。当時の築地市場には同級生や先輩後輩など知人が多くいたため、他とは違った珍しい食材も、知人を通して仕入れることができました。
いつも順調に売れたわけではありませんが、自分が仕入れたものが売れるとうれしくて、客商売が好きだったこともあり、仕事が面白いと感じるようになりました。その積み重ねが成果につながり、結果的に先代から評価されたのかもしれません。
ーー実際に社長になって苦労したこともありますか?
富成悟:
下っ端だった私が、先輩社員に指示を出す立場になったので、やはり戸惑いはありました。おそらく、先輩社員も不満を抱いていたことでしょう。
とはいえ、「任せる!」と言われた以上は、腹を決めて進むしかありません。私が社長になって最初に取り組んだのは、社員一人ひとりと率直に話をすることでした。お互いにどんなに厳しい内容でも「率直に話し合うべきだ」と伝えたのです。その積み重ねによって、次第に関係性に良い変化が生まれ、結果的に、会社を去った社員は一人もいませんでした。あのときに妥協していたら、今の弊社はなかったかもしれません。
食品廃棄物の有効活用と機械の導入で、社員と地球環境の負担を減らしたい
ーー事業の方はいかがでしたか?
富成悟:
事業のスキームはある程度整っていましたが、廃棄物の処理が課題でした。10トンの大根でツマをつくると、約3トンの不要部分が排出されるので、廃棄するには経費がかさみます。
大根の廃棄部分は、今のところは家畜の飼料に使ってもらっていますが、全体の3分の1くらいしか処理できていません。経費の負担を減らすためにも、弊社だけでなく他の事業者と連携しながら食品廃棄物の堆肥化などの活用方法を検討しているところです。
ーーその他の課題はありますか?
富成悟:
製造工程の効率化です。絶対に人間の手が必要な部分以外は機械化したいと考えています。大根のツマはバブル洗浄をした後に脱水機に入れるのですが、社員にとって大きな負担になっているので、このような作業を機械化したいですね。
ただ、機械化にもデメリットがあります。刺身のツマをつくる業者数は多くないため、機械をゼロから設計する委託生産になり、コストも時間もかかってしまうのです。
お客さまの生の声を反映して、国内外でも高品質の商品を届したい
ーー5年後、10年後の貴社について、どのような構想をお持ちですか?
富成悟:
お客さまの生の声を聞いて、本当に求められているものを知るという姿勢がなかったら、商売なんて成り立ちません。現在、弊社は商社を経由して、青果を香港、マカオ、台湾、シンガポールに輸出していますが、海外への展開はもっと伸ばしていきたいと考えています。
また、先代の教えですが、売上の伸びだけを目指すような仕事の仕方だと、いずれ商売が廃れるので、売上も儲けもいい塩梅(あんばい)にして、自社の足元を見失わないことも重要だと考えています。これはお客さまと社員を守るためでもあります。
同じ豊洲市場で活躍する先輩社長からも、商売が「商い」と呼ばれる理由は、「飽きてはいけないから」だと教えられました。
お客さまとの付き合いが5年後、10年後も続き、社員も健康で元気に働けることを大事にしていきたいですね。
社員が和気あいあいと楽しく働く職場で、質の良い商品をお客さまに提供して喜んでもらうことをこれからも目指すとともに、一日一日、一分一秒を大切にしながら、お客さまからも社員からも信頼されるリーダーでいたいと考えています。
編集後記
事業の後継者に指名されたことは、富成社長にとって想定外だったようだ。しかし、社員と向き合い率直に話し合う姿勢、顧客に対する誠実さ、現状に対する問題意識など、経営者としての器を備えているのがうかがえる。顧客と社員の双方が満足できるように努める心意気は、先代社長のDNAとして今でも生きている。
富成悟/1975年東京都生まれ。高校卒業後、約1年間トラックの運転に従事。1995年、株式会社駿河屋に入社。2006年、同社代表取締役に就任。刺身の大根ツマをメインに、豊富な種類の野菜や果物をロットの大小を問わず提供している。先代社長の教えである「いい塩梅」をマネジメントの基本に据え、顧客も従業員も満足できる経営を追求している。