※本ページ内の情報は2025年3月時点のものです。

株式会社アペックスコーポレーションは、ラーメン店・コメダ珈琲店(FC)・カラオケ店・美容室の経営や、製麺事業・ラーメン通販事業・不動産事業など、多角的に事業を展開する成長企業だ。特に自社ブランドの豚骨ラーメン店「龍の家」は、久留米市の上津本店から始まり、現在は九州を中心に東京とアメリカにも店舗をオープンし、話題となっている。

同社に入社後、ラーメン店をオープンさせ、現在は代表取締役を務めている梶原氏に、これまでの経緯や今後の展望などについてお話をうかがった。

逆境を糧に!挑戦と決断が生んだビジネススタートのきっかけ

ーーまず、貴社に入社するまでのご経歴を教えてください。

梶原龍太:
父が会社を経営していたため、大学生の頃は漠然と「大学を卒業したら、父の会社に入るのだろうな」と思っていました。しかし、大学4年生の時に父から突然「就職先は見つかったか?」と聞かれたのです。それから焦って就職活動を始めました。

無事に就職先が決まり大手ディスカウントストアへの入社後、200人もの同期がいる中で、新入社員研修の成績順に大型店舗への配属が発表されました。私が配属されたのは、当時一番小さい店舗でした。悔しい思いをしましたが、その気持ちをバネに必死で頑張った結果、新型テレビの販売実績において、全社員750名の中で1位を獲得したのです。このことが本部で話題になり、その1年半後、大型の新規店舗へ異動になりました。頑張りが評価されたと感じ、この時はとても嬉しかったですね。

ーーその後のキャリアはどのように変化したのでしょうか。

梶原龍太:
就職して久留米を離れ、大型店へ異動した頃には、結婚して子どもが生まれていました。目の前のことを本気で頑張るのが性分で、何事も真剣に取り組みました。入社4年目にはそろそろ昇進か、というタイミングになりましたが、いずれは地元の久留米に戻りたいと考えていたので、ここで退職を決めました。私の性格上、新たなポジションに就けば、そこでまた結果を残すまで必死に頑張ってしまうと思ったからです。その後ディスカウントストアを退職し、久留米に戻りました。

ディスカウントストアで結果を出したこともあり、父が経営する会社に入社しました。しかし当時、会社の主力だった「レンタルビデオ事業」が下火になっていたのです。すぐに新たな事業を立ち上げる必要があり、社内でさまざまな事業の検討を重ねて決定したのがラーメン事業です。

ラーメン店を選択したのは、一風堂の河原成美社長から「ラーメンというアイテムの価値をもっと高めたい。飲食店の中でもラーメン店は単価も安く、学生さんが就職したら親御さんから『あんたをラーメン屋にするために大学まで行かせたんじゃない』と言われるような業界。このラーメン業界を、胸を張って『俺はラーメン屋だ!』と誇れるような業界にかえてみせる。」というラーメンに懸ける思いをうかがい、尊敬の念が湧き起こり、「これだ!俺はラーメン屋をやる!」と決断し、河原社長のもとで学ばせていただきました。

接客へのこだわり、譲れない料金設定で結果を示す

ーーラーメン店「龍の家」を開業した当時の様子について教えてください。

梶原龍太:
初出店は、豚骨ラーメン発祥と言われている久留米市です。近くには有名店があり、そこではラーメン1杯を400円台で提供していましたし、他にも200円台のラーメンを提供している店もありました。そんな中で、私は1杯520円でラーメンを提供すると決めたのです。お客様はもちろん、共に働く従業員にまで「高い」と言われましたが、私は「龍の家のラーメン一杯、つまりお客様からいただいているお金には、こだわりの空間や接客も含まれている。なにより皆の笑顔と元気があるじゃないか!最高の接客をすれば、絶対に高くない」と説明し、自らも行動で示し続けました。

ラーメンのおいしさはもちろんですが、接客には特に気を配りました。心がけたのはお客様の立場にたった接客です。「自分がお客様だったら」と常に考え、行動しました。

あるとき、サラリーマンのお客様が来店され、半分ほど召し上がったタイミングで仕事の電話が掛かってきたことがありました。店の外に出てお話をされると、席に戻ってこられたときにはスープは冷え、麺は伸びてしまっています。私は「お客様に最高の一杯を召し上がっていただきたい」と思い、ラーメンをつくり直してまた新たな1杯をご提供しました。そうした接客が徐々に受け入れられて、2店舗目・3店舗目の出店へと繋がっていきました。

社内外で感動を連鎖させるための採用・育成

ーー従業員の方には、普段どのように接していますか。

梶原龍太:
従業員には、私のことを「社長」ではなく「大将」と呼んでもらっています。遠い存在の社長ではなく、身近にいて、目標となる存在でいたいからです。

昔も今も変わらない思いに、「従業員の手本になるような社長で居続ける」ということがあります。私の仕事ぶりやお客様への接し方、立ち居振る舞いを見て、「かっこいい、こんな人になりたい」と思って、頑張ってもらえるような存在でいたいです。

私は一風堂の河原社長を尊敬していて、よく著書も拝読していますが、考え方や行動など、全てに学びがあります。私も従業員にとってそうした存在になれたら嬉しいですね。

ーー今後の事業展開について教えてください。

梶原龍太:
今後さらに、事業を拡大していきたいです。ラーメン店を創業して25年が経ち、弊社も新たなフェーズに入りました。会社の規模が3倍になれば、出店のペースも加速していきます。すでに弊社は、東京やアメリカでも店舗を運営していますが、直近では東京を中心に出店を進める方針です。多くの方に龍の家のラーメンを楽しんでもらいたいですね。また、心のこもった接客で、お客様に笑顔になっていただきたいと考えています。まずは東京に10店舗、さらに国内外に50店舗の出店を目指しています。

そのためにも、弊社は採用に力を入れなければなりません。現在の社員数は、すべての事業をあわせて約70名ですが、店舗が増えれば、当然もっとたくさんの仲間が必要です。人材さえいれば、出店できる。新規事業も始められる。そうした理由から、次代を担う方の採用・育成に注力していきたいと考えています。

ーーどんな方と一緒に働きたいですか。

梶原龍太:
私が大切にしている言葉に「形に心」というものがあります。「心が形にあらわれる」という意味の言葉です。人から指示されて行うことと、自ら考え、気付いて能動的に行うこととでは、動きもそこに込められる思いも違います。結果として行動の成果や相手の受ける印象が変わります。

たとえば、上司にいわれて掃除するのと、「汚れているな」と気づき、自ら率先して掃除するのとでは、仕上がりに差が出るでしょう。掃除を例に出しましたが、どんな仕事であっても「心を込める」ことが重要です。心を込めて仕事をすることでお客様に伝わり、笑顔になったお客様をみた従業員が、その後の仕事に心を込めて打ち込む、そのような好循環をつくっていきたいですね。

これまでの仕事で人に誇れるような経験をしていなくても、何度転職を繰り返していても、私たちのこの考え方に共感してくれたら、きっと長く勤められてキャリアアップしていけます。私と関わる方全員に「会えて良かった」と思っていただけたら本当に嬉しいですね。

編集後記

上場企業の社員を経験した後、家族経営の会社の社員になり、その後は社長に就任した梶原社長。立場は異なっても、自分にできる最大の努力を常に行い、周囲の人を驚かせ、影響を与え続けてきた。現在も従業員から「大将」と呼ばれ、身近な存在として目標にされている存在だ。これまでの同社の成長は、形だけではなく中身も伴ったものだった。従業員と心をひとつにして事業拡大を続ける同社は、今後ますます成長していくことだろう。

梶原龍太/1972年生まれ、福岡県久留米市出身。九州産業大学商学部商学科卒業。大手ディスカウントストアに勤務後、1998年株式会社アペックスに入社。同年にラーメン事業のアペックスフーズを立ち上げ、1999年に事業の創業店となる「ラーメン龍の家上津本店」を開業。2006年に同社代表取締役社長、2013年にアペックスグループ(現・株式会社アペックスコーポレーション)の代表に就く。