製薬業界を取り巻く環境はいっそう厳しさを増している。
超高齢社会では、患者が医療費の増加を嫌って薬代を抑える動きが出るといった逆風のせいだ。
近年、業容を縮小している“配置薬業界”も例外ではない。配置薬とは、家庭や企業に対して救急箱を設置し、利用した分だけを清算するビジネスモデルで、数多くのビジネスモデルで応用された『先用後利』の元祖というべき業態だ。医薬品市場の中では、1%のシェアも持たない小さな業界になっている。
1882年に配置薬の販売で創業したワキ製薬は、1950年代、 ミミズの漢方生薬「地龍(じりゅ)エキス」を利用した風邪薬『みみとん』の製造販売を開始し、その後ミミズという生物にこだわり続けている少し変わった製薬メーカーだ。1990年代には世界初となるミミズの酵素を粉末化した『Lumbrokinase』を開発し、現在では世界9ヵ国に流通している。
ミミズという未利用生物にこだわり続け、次々とミミズに関する新たな研究結果を発表し続ける斬新な企業だが、平成の時代に低迷を経験している。
大スランプ期に家業を継いだ代表取締役社長の脇本真之介氏は、大胆な立て直し戦略で就任時の社員数を6名から70名超に増やし、業績も増収増益を続けている。
現在では配置薬にとどまらず、ドラッグストア業界、通販業界、医療業界まで市場を拡大し、さらには品質改良したミミズ酵素原料を開発し世界各国に輸出を進める同社。次世代に向けて革新を指揮する脇本社長はどんな人物か、話を聞いてみた。
倒産寸前から立て直しを成し遂げた社長の印象的なエピソード
――社長になった当初を振り返って、印象に残るエピソードがあれば聞かせてください。
脇本真之介:
順風満帆なときに会社を継ぐ方も多いですが、私の場合は倒産寸前の状態で継ぐことになりましたので、苦労も多かったです。
祖父が宮崎県の教授と共同で 酵素粉末を研究開発した のですが、グループ会社が取った特許が切れたことで競争が激化して在庫が膨らみ、資金繰りが悪化したんです。
その直後に冷たくなった取引銀行の変貌ぶりは、まるでドラマのようでしたよ(笑)。
立て直しの矢先、ショックを受けた出来事がありました。
私が小学生のころから働いていた工場長が突然、脳卒中で亡くなったんです。
当時、社長に就任して最初に行ったのは「役職の一時リセット」でした。それまで働いた期間など関係なく全員平社員にして、これから会社のために稼いでくれる方を評価するという改革を実施しました。
同時に、何をするにしても数字で定量的に確認し、会社の業績を上げていくことに専念していました。
そんな最中に突然、工場長の不幸が襲いました。
亡くなった日に自宅に駆けつけたとき、「自分の知らないところで社員はこんなに頑張っていたのか」と苦労が目に浮かび、身につまされる気がしました。
それからは数字だけを追うのはやめました。「人として正しい道」あってこその会社であり経営ですから、それまで以上に働く人を大切に思うようになりました。
若手社員とゲームの話ができるほど風通しはいい
――貴社の自慢はどんなところですか?
脇本真之介:
弊社は風通しのいい会社だと思っています。立て直し時に人が少なかったこともあり、皆で対話しながら大きくなってきたので、自然と意見を言い合える環境になったのでしょう。
何でも遠慮なく言葉を発してコミュニケーションを取りやすいのは大きな強みです。
有休も平時から取りやすく、バースデー休暇も設けています。アットホームな会社ですから、懇親会に社員の家族が参加することもあります。
自慢といえば手前みそですが、利益率は銀行に褒められるほど高水準を保っています。多くの利益が出れば、それは従業員の努力の結果ですので、内部留保もしっかりと確保しつつ、従業員の皆さんにも還元するべきと考えています。 そのためここ最近は、ボーナスを年3回支給しています。
ほかにも新卒の薬剤師さん対象の制度で、総額300万円の奨学金返済の支援を行っています。薬剤師は製薬会社には欠かせない資格者であり、高い志を持った方を支援したいという取り組みです。
海外への輸出を推し進めるも拡大路線に偏ることはない
――ミミズ製品を中心とした今後の戦略について教えてください。
脇本真之介:
ミミズ由来の医薬品・サプリメントの海外輸出の拡大が念頭にあります。
世界には栄養不良で5歳を待たずに亡くなる子供がたくさんいます。そうした栄養補給の改善に少しでもお役に立ち、子供たちをミミズで救うという夢を実現したいと思います。
――生産面での対応はいかがでしょうか。
脇本真之介:
現状、県内3ヵ所ある工場の生産キャパは限界を迎えています。
自社工場を拡大して行くのか、M&Aするのか方向性を決めて生産体制を見直していく方針です。
だからといって拡大路線に傾倒するつもりはありません。
余裕が生まれれば、むしろ社員に還元したいと思います。会社の規模拡大も必要に迫られてのことで、第一に自分がお金を持つことにあまり興味ないので……。
「社長と一緒に仕事ができて良かった」と言ってもらえるのが一番ですから。
編集後記
成功の秘訣を聞くと「成功はしていません。まだまだ勉強不足です」と謙虚な姿勢をくずさなかった。
京セラ創業者の稲盛和夫氏に影響を受け、経営に道徳観を取り入れたスタイルが印象的だ。
一方で「50歳で別の会社を創業したい」と、一経営者としての高いモチベーションも垣間見える。
まだ底を見せていない新時代のワキ製薬と脇本氏の今後に目が離せない。
脇本真之介(わきもと・しんのすけ)/1976年奈良県大和高田市生まれ。明治期創業のワキ製薬5代目代表取締役社長。他社の営業でトップセールスを記録したのち製薬家業を継ぐ。