※本ページ内の情報は2024年1月時点のものです。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、工期遅れや受注減により一時的に打撃を受けた土木業界も、長期的にはインフラ設備の老朽化による改修工事や大阪万博、国土強靭化基本計画などのビッグプロジェクトにより堅調な推移を見せている。

和歌山県に本社を置く三笠建設株式会社も、道路・上下水道・鉄道などの土木工事をメインとし、順調に業績を伸ばし続けている企業の1つである。

創業者が50年間守り続けた同社を受け継いだのは、息子である村山宣義氏だ。大学卒業後から2022年に同社へ入社するまでの間、長年にわたり西日本旅客鉄道株式会社で活躍していた。

前の会社に在籍中、村山氏は大規模な工事に携わるかたわら、3つの論文を公表した。「難題の解決に喜びを見出す気質のため、今も昔も、過酷な環境にこそ生かされていると実感します」と語る。

順調に活躍していた村山氏が、実家を継ぐに至った経緯とは。さらに、同社の強みや採用状況についてうかがった。

社長を志すターニングポイントとなった1冊の本

ーー会社を継ぐ気はなかったとお聞きしましたが、社長就任を決意したきっかけは何ですか?

村山宣義:
実際に社長になろうと思ったのは、同じ東京工業大学の先輩であり、東芝の社長・会長を歴任し経団連4代目会長にも就任された土光敏夫さんに関する著書を読み返したことがきっかけです。

母である土光登美さんが、男尊女卑の厳しい時代に70歳で橘学苑(旧橘女学校)を立ち上げたことや、土光敏夫さん本人も86歳で政治の世界で活躍されたというエピソードを読み、「流されるまま安定を求めるよりも、鬼の口に飛び込むようなことを人生1度はやってみたい」と心が奮い立ちました。

これまで社会資本整備に情熱を燃やしてきた経験を社会に還元するには、社長というポジション以外は考えられませんでした。三笠建設は2024年2月で創立50周年の節目を迎えるのですが、会社を継続していく上で、外部の会社を経験し、後継のノウハウがある私が社長になるのがふさわしいのではと思い、入社を考えた時点で社長を志しました。

ーー社長就任までのエピソードをお聞かせください。

村山宣義:
小さい頃から父に「会社を継いでほしい」と言われたことはありませんでした。実際には他の人に継いでもらう準備をするでもなく、会社を畳む気配もないので、心のどこかで私に継いでほしいと考えていたのかもしれませんが、父としては息子に将来のレールを敷くのをはばかっていたのでしょう。私が前職を辞めると父に伝えたときも、「ええよ」の一言のみで、「戻ってこい」という言葉はありませんでした。

2022年の7月に入社した後は、社員の顔も分からない状態でしたので、まずは社員の名簿プレートを配る仕事を1ヶ月やりました。その後は1年かけて下水道工事の監督として、社員と外注業者など全ての関係者と顔を合わせてプロジェクトを完遂しました。

その後、2ヶ月間の事務所作業を通してスタッフ部門の支援方法や経営ビジョンを策定しました。準備を整えたところで2023年の8月に社長就任しました。まだ代表権はもらっておりませんので、たすきをしっかり受け取れるよう注意深く進めているところです。

50年間信頼を積み上げてきた会社の強みと弱み

ーー前職から学んだ経営のノウハウなどはありますか。

村山宣義:
西日本旅客鉄道は大企業なので、さまざまな方法論を学んできました。しかし、大企業がやっていることが全て正しいわけではなく、それぞれの会社の規模と複雑な事情によって最適解は異なります。

会社の収益を上げる原動力となる部分、コアコンピタンスを見極めるために、会社の強みと弱みを抽出していく必要があります。弊社の場合、時代に取り残されている部分が多いことが弱みでした。

強みは、50年かけて培ってきた技術と誠意です。弊社が1番強いのは土木工事の分野なのですが、ショベルカーやブルドーザーなどで土を動かす「一般工事」と、杭を打ったり薬液注入をしたりする技術が必要な「専門工事」に分かれます。

弊社の施工を見たお客様からは「三笠建設さんの仕事は一般工事どころではなく、専門工事だと言えるくらい素晴らしいものだ」とお褒めの言葉をいただきました。技術もさることながら、50年間お客様の信頼を勝ち取ってこられたのは、仕事に対する誠意を感じ取っていただけたからです。

弊社の創業者がよく口にしていた「苦しみに負けるものあり、苦しみを乗り越えるものあり」という言葉があるのですが、長きにわたり困難に立ち向かい、会社一丸となって乗り越えてきた結晶が、誠意として仕事に反映しているのだと思います。

社員とのコミュニケーションから生まれた制度改革

ーー社長就任後に行われた改革などはありますか。

村山宣義:
私が就任してからは、多くの制度を明文化しました。資格支援制度として、資格取得した方には一時金を出します。資格勉強や技術取得に集中できるよう、家庭環境のサポートとして慶弔金や災害時の復旧一時金などの制度も整えました。時代に取り残されないようDXにも取り組んでいきたいと考えています。

こうした制度をつくるにあたって、私が大切にしているのは社員とのコミュニケーションです。社員の声をしっかりキャッチアップできるように、あえて社長室を設けず、社員と同じ環境で働いています。

極力現場にも出るようにし、夜間作業などで少し時間に余裕があるときは社員となるべく話をして、社内での心理的不安をなくせるように心がけています。

ーー採用についてはどうお考えですか。

村山宣義:
採用は現場監督と作業員を募集しています。理想の人材などというものはなく、和歌山で活躍したい方や、土木に少しでも興味を持っている方がいれば、まずは弊社に来てください。全力でバックアップし、皆さんの成長を応援します。

現場での丁寧な指導はもちろん、会社の支援で資格も積極的に取得できます。昨今の傾向として数年のうちに転職する方も多いですが、たとえ弊社を離れてしまったとしても、「三笠建設を経由したことで成長し、さらに良い職場に就くことができた」と思ってもらえる会社にしたいと考えています。

ーー若い世代の方に向けてメッセージをお願いします。

村山宣義:
悔いのない人生を送るために、やりたいことを存分にやった方が良いと思います。私たちの時代は大企業に就職し、定年まで勤め上げるために、たくさんの犠牲を払ってきました。

時代は変わり、今の若い人たちには多少の犠牲を払ってでもやりたいと思うことを見つけてほしいと思います。転職の多い時代ですが、私が知る限り、成功する人は転職しながらでも常に自分を磨き、落ち着いたところで活躍しています。

編集後記

土木業界の深刻な問題として挙げられるのが、慢性的な人材不足だ。過酷な労働環境や制度の整っていない企業も多く、特に若手労働者の確保に苦難している。

同社は各制度の明文化やDXに加え、業界に根付いていない週休2日制度の導入にも力を入れ、既に実施している。「私が社長に就任したからには、2〜3年で制度を整え、より働きやすい環境をつくってみせます。一緒に成長していきましょう」と村山氏は力強く語った。三笠建設の躍進に今後も注目していきたい。

村山宣義(むらやま・のぶよし)/1969年生まれ、大阪府出身。1994年東京工業大学大学院理工学研究科卒業後、西日本旅客鉄道株式会社に入社。2022年7月三笠建設株式会社に入社し、2023年8月取締役社長に就任、技術士(総合技術監理部門、建設部門)。