※本ページ内の情報は2024年12月時点のものです。

1967年に設立された野々山建設株式会社。愛知県内の公共工事をはじめ、水素ステーションや携帯電話基地局といった特殊な施設に対する民間工事で地域を支えるほか、野々山ゴルフセンターを運営するなど事業の幅を広げている。代表取締役社長の野々山正春氏に、これまでの歩みや会社の強み、今後の展望をうかがった。

負債8億円という崖っぷちを乗り越えた「野々山マジック」

ーー入社から現在に至る経緯をお話しいただけますか。

野々山正春:
工業大学を卒業後、設計事務所で6年ほど修業しました。退職後は建設業で独立する予定でしたが、経営不振に陥った父の会社に入り、二人三脚でがんばろうと決意します。当時、会社は8億2000万円の負債を抱えている状態でした。

いよいよ倒産しかけた時、奇跡が起きました。父に借りた資金で起業に成功した方が、「恩返し」として不渡りを乗り越えるチャンスをくださったのです。その後も、設計事務所でお世話になった先輩の自宅兼アトリエを作ったり、立て続けに案件が決まったり、会社がなんとか回るようになりました。本当に多くの皆さんに助けていただき、今があります。

父が末期がんで亡くなる前に3億円を返済しましたが、僕が代表取締役に就くことを報告した銀行の支店長には「こんな会社を継いで存続できるのか」と怪しまれたものです。絶対に諦めないと誓った上で2019年に完済し、近年は売上が10億を超える会社に成長しました。

ーーどのように経営を立て直したのでしょうか?

野々山正春:
いろいろな方に声をかけ、呼ばれたら毎日のように顔を出していたところ、仕事をいただけるようになりました。会社が危うい一方で、世間がバブル景気の頂点だったことは幸運だったと思います。横柄な態度になる業者が多い中で僕は低姿勢を貫き、ご縁を繋げていきました。

設計事務所で身につけた知識を活かし、減価償却や節税による資産形成をしたこともポイントです。利益はあまり変わらないのに毎月返済できる状況について、銀行では「野々山マジックですね」と驚かれました。僕は、目先の利益を追うだけでは、後で絶対にしっぺ返しがくると思っていたのです。負債を減らしながら、会社に体力をつけることが重要でした。

上場水準の企業評価に各種メディアが注目

ーー業績以外で会社が変化した点はありますか?

野々山正春:
各種メディアの取材を受ける機会が増えましたね。東京リサーチが発行する「エラベル」という情報誌では、6年連続で弊社がクローズアップされています。企業情報を発信する帝国データバンクは、点数制で各社の業績や活力を評価します。弊社がいつつぶれてもおかしくなかった頃は、100点満点中32点でしたが、現在は60点以上に到達しました。

東京商工リサーチの評点も含めて、一般的に「50点以上が優良企業」と言われる中、60点以上を取れるのは日本企業の上位2%です。上場企業ばかりの「2%」に、弊社のような中小企業が単独で加わっていることは異例だとして、テレビ出演の依頼もありました。

名古屋テレビが制作する企業人向けの番組で、トップバッターに選ばれたのです。僕は人前で喋ることが大の苦手ですが、何事も一生懸命になれば目標を達成できると思い、素の部分に好感を持っていただけるように努めました。わからないことは臆せず人に聞き、時には相談に乗ってもらいながら「自分ができること」を的確に見つけています。

「非住宅」に特化した事業展開で安定経営、人材を育てるステージへ

ーー他社との差別化ポイントをお聞かせください。

野々山正春:
「この分野でなら一番になれる」という事業を伸ばすことで、競合との差別化を図ってきました。建築業全体の8割強が住宅系ですが、弊社は「非住宅」に特化した多数の柱を展開しています。例えば、ゴルフ練習場にある鉄塔・打席などです。ゴルフ場が新設される機会は減ったものの、営業している施設にとって設備を改修する業者は不可欠なのです。

倉庫型店舗の駐車場にある自家給油所(ガソリンスタンド)をはじめ、名古屋の商業施設やガス会社の水素ステーション、県の公共工事と土木工事も手がけています。クリニックや調剤薬局、グループホーム・老人ホーム、保育園などの非住宅でも売上を上げられるように精進しております。

建築工事の入札に参加できる「Aランク企業」という強みを活かし、特殊物件に注力した結果、業界全体が不景気と言われる中でも仕事を取りやすい状況にあると言えます。

ーー今後の展望をお話しいただければと思います。

野々山正春:
土木・建築部門にとらわれず事業を展開していけば、5年後には売上20億円、10年後には30億円を達成できる会社だと思っています。現在の課題は人手不足であり、優秀な監督員さえ増やせれば「20億」という数字はそれほど難しい話ではありません。

建築業界内で分業化や外注化が進み、上級資格を保有する一方で技術力を磨けずにいる人材が増えていますが、弊社は、やる気のある若手人材をゼロから育てた方が会社のためになると考えています。今後、自社だけで仕事が回るように各分野の人材を育てていく必要がありますね。

編集後記

「人前で話すことが苦手」だと笑いながらも、波乱万丈の道のりを熱く語ってくれた野々山社長。そこには「父親に託された会社」を守るという強い意志と、相手の心を開くコミュニケーション力の高さがうかがえた。中小企業ゆえに「競争しない」という手段を選び、コツコツと努力を積み重ねてきた野々山建設の地盤は、まさに独自の強度があると言える。

野々山正春/1956年、愛知県生まれ。大同大学を卒業後、株式会社渡辺設計に6年間勤務。その後、野々山建設株式会社へ入社。1992年に専務取締役、1994年に代表取締役社長に就任。