
人々の暮らしに安心と安全を提供する株式会社木村工業は、水道施設のメンテナンスや道路の舗装など、生活の基盤となるライフラインの管理事業を手がけている会社だ。
2007年から同社の代表取締役を務めている木村晃一氏は、現場監督の職を長きにわたり務めてきた。現場での豊富な経験を持つ同氏だが、代表取締役になってから、すべてが順風満帆だったわけではないと語る。その理由や、組織づくり、今後挑戦したい事業などを木村氏に聞いた。
高校中退後は多数の会社で社会人修行。現場で経験を積んでから45歳で代表に
ーー今までの経歴を教えてください。
木村晃一:
高校を中退後、さまざまな職種の会社で働き、経験を積みました。学校に行く必要もなければ、親元に住んでいるわけでもない。とにかく自由な毎日だったので、最初は会社を継ぐ意志はありませんでした。
家業である木村工業に入社することになったのは、自身の結婚を機に責任感が芽生え、「自分が会社を継いだ方が良いのでは」と考えるようになったからです。会社を辞めて家業を継ぐ友人も周りにおり、それに影響されたというのもあります。
入社後1〜2年は現場で土木作業をしていましたが、ケガをしてしまい、それから現場監督の仕事を任されるようになりました。当時は「自分が社員を引っ張っていくんだ」という強い気持ちから、現場で声を荒らげてしまうことも多々ありましたね。現場監督の仕事を20年ほど務めた後、45歳のときに代表取締役に就任しました。
朝礼や合宿を通して経営理念の共有を図り、社員との信頼関係を構築した

ーー事業内容について教えてください。
木村晃一:
弊社は、道路の舗装工事や都水道維持工事、東京都及び大田区の緊急工事、公共の公園、多摩川河川敷のスポーツ施設、緑地施設など、さまざまな場所や物の維持管理を行う会社です。9割が行政の仕事で、1割が民間の仕事です。
弊社は土木の会社ではありますが、土木といった1つの業種にとらわれず、既存の社員と資機材の設備で何ができるかを考えながら、さまざまな事業に挑戦しています。
ーー代表に就任後、どのような取り組みから始めましたか。
木村晃一:
リーマン・ショックの影響を受け、会社の資金繰りは苦しい状況にありました。2か所あった拠点の1つを売り、どうにか資金繰りを楽にしたのが、代表としての最初の仕事です。
ただ、資金面は改善したものの、経営の知識がないまま代表になったため、決算書を読むことすらできません。また、現場監督の頃は声を荒らげて指導してしまうことが多かったため、社員たちもなかなか付いてきてくれません。離職者も多く、社内は苦しい状況でした。
この状況をどうにかしようと通い始めたのが、東京中小企業家同友会です。この会で経営について学び、まずは社員たちに認めてもらうために新たに経営理念を創りました。そして、社員一人ひとりと毎日会話し、新たに朝礼も始めるようにしました。
そのほか、年に2回の合宿で社員たちに『「共に育ち、共に活き、共に発展」安全を社会の安心に広げ、未来を創造してゆく木村工業』という経営理念を共有し、半期目標を設定するといった取り組みも実施するようにしたのです。このような地道な取り組みで社内の意識が変わり、10年ほどかけてようやく経営理念の存在が共有され、社員たちも心を許してくれるようになりました。
「こどもまんなか社会」への貢献としてフードバンク事業を進めていく
ーー今後の展望を聞かせてください。
木村晃一:
メイン事業である舗装工事や土木業以外で、昨年立ち上げたフードバンク事業の推進を考えています。フードバンクとは、企業や家庭から不要な食品を集めて、食事に困っている家庭へ配布する活動のことです。1軒ずつ家庭を回るのは大変なので、どこか拠点に食品を集めて、食品をとりに来てもらう仕組みを構築しようと考えています。
また、この活動のつながりで、石焼き芋屋を開業し、地域のこどもの居場所をつくる活動も開始しました。石焼き芋屋は、学習支援のクラスもあり子どもたちが社会に出るまでに、キャリア発達支援の場にできたらと思っています。
政府は現在、子どもや若者の権利を保障し、成長を社会全体で後押しする「こどもまんなか社会」を掲げています。弊社としてもこの政府の考えを受けて、フードバンク事業で物流の側面から、子どもたちの貧困を止めるSDGsの取り組みも行っていく予定です。
編集後記
「最初は社員が心を許してくれなかった」と語る木村氏だが、そんなときでも自分の考えを社員に押し付けるのではなく、寄り添ったからこそ、結果として会社を良い方向に向かわせることができたのだろう。
土木という業種にとらわれず、別の切り口からも社会を変えようとしている同社。これからさらに力を入れるというフードバンク事業は、きっと子どもたちの未来を変え、日本の未来をより明るいものにしてくれるに違いない。

木村晃一/1962年、東京都大田区生まれ。1978年、高校中退後、社会人修行として複数社を経験。1987年、株式会社木村工業に入社。土工、施工管理と現場を経験し、2007年に45歳で同社代表取締役就任。現在は、「こどもまんなか社会」の実現にも注力している。