※本ページ内の情報は2025年8月時点のものです。

高校中退、俳優志望、そして名優の付き人へ。MED Holdings株式会社の代表取締役、佐々木洋寧氏は、異色の経歴を経てビジネスの世界に飛び込んだ。入社後は営業としてすぐに頭角を現し、経営陣の一員として会社の成長を牽引。その道のりでは行政指導、大震災、コロナ禍と数々の危機に直面した。しかし、佐々木氏は「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」という哲学で乗り越え、会社を成長させてきた。その根幹にあるのは「社員とその家族の幸せが第一」という揺るぎない信念だ。波乱万丈のキャリアで培われた独自の経営論に迫る。

俳優志望から営業の世界へ 異色のキャリアの幕開け

ーー現在に至るまでのご経歴についてお聞かせください。

佐々木洋寧:
出身は北海道で、高校を中退し、塗装業で働いていました。冬は大雪で仕事がなくなるため兵庫へ出稼ぎに行った経験もあります。出稼ぎの帰りに立ち寄った東京に魅了され、そのまま住み着いてしまったのが始まりです。

そこから時代劇に興味を持ち、日光江戸村のキャストとして2年半ほど活動しました。そして、本場で勝負したいと思い、当時大活躍されていた松方弘樹さんの付き人になろうと決意したのです。テレビ局に直接乗り込んで楽屋で直談判し、押し問答の末に弟子入りを認めていただきました。

ーー俳優の道を離れ、貴社に入社された経緯をおうかがいできますか。

佐々木洋寧:
付き人として働く中で、10年、15年先輩の姿に自分の将来を重ね、このままで良いのかと疑問を抱くようになりました。悩んだ結果、「やはり違う道で生きよう」と半年で見切りをつけ、東京に戻りました。そこで現在の会社の前身となる企業の求人広告を偶然見つけ、1993年に入社した次第です。

私にとって、俳優も営業も「表現する仕事」という点では同じでした。自分の表現によってお客様に商品の価値が伝わり、ご納得いただけた結果として「ありがとう」と感謝される。この一連のプロセスに大きなやりがいと達成感を感じたのです。早期に成果も上がり、不安定な芸能界よりも自分に合っている仕事だとすぐに確信しました。

私が新横浜支店のオープニングスタッフとして入社した頃、全社員は20人に満たない規模でした。しかし、会社は順調に拡大し、すぐに役職が上がっていきました。

「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」経営者への道

ーーキャリアにおける大きな転機について教えてください。

佐々木洋寧:
最初の転機は2003年です。当時、行き過ぎた営業手法が原因で、会社が東京都から業務改善命令を受けました。常務取締役だった私は、社員とその家族を守るために必死でした。改善計画を立て、営業組織の過度な成果主義を見直し、立て直しを図ったのです。

2回目の転機は2011年の東日本大震災です。主力商品の部品供給が停止する危機に陥りました。しかし、被災地のリフォーム需要に活路を見出し、リフォーム事業を立ち上げることに成功しました。当時、リフォームの需要は非常に高く、事業を短期間で軌道に乗せることができたのです。

ーー近年で、他に事業の転機となった出来事はありましたか。

佐々木洋寧:
世の中が自粛ムードの中、弊社では「営業を止めるな」と逆の判断を下しました。品薄だったマスクを配って戸別訪問を続けた結果、在宅率の高さを逆手にとって売上を大きく伸ばすことができたのです。これらの経験から、まさに「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」と実感しています。

社員ファーストを貫く独自の組織づくりと事業の強み

ーー改めて、貴社の事業の強みについて教えていただけますか。

佐々木洋寧:
提案から工事、アフターサービスまで自社で完結させる「住宅のワンストップサービス」が特徴です。また、提携企業の顧客フォローも担い、そこで見つかる潜在ニーズに応えることで、継続的に収益を生む独自のビジネスモデルを展開しています。

何よりの強みは、24時間365日、必ず人が電話に出るコールセンターです。この血の通った対応が、お客様からの信頼につながっていると考えています。

ーー事業を運営する上で、最も大切にされている理念は何ですか。

佐々木洋寧:
何よりもまず、社員とその家族の幸せです。これが第一にあって、その上でお客様への貢献、社会への貢献がある。この順番は決して揺らぎません。社員を本当の家族と捉え、入社式を「結婚式」、内定式を「結納式」と呼んでいるのも、その思いの表れです。

具体的には、支店ごとの食事会や社員旅行など、コミュニケーションを大切にしています。内定者キャンプといった独自の研修を通じて、強いチームワークを育んでいることも特徴です。仕事は大変ですが、こうした取り組みで生まれる一体感が組織の強さになっています。

M&Aを加速させ独自性を追求する今後の展望

ーー今後のビジョンについてお聞かせください。

佐々木洋寧:
今期は年商200億円を見込んでおり、今後はM&Aをさらに加速させます。弊社はM&Aを「マリッジ&アライアンス」と捉え、1+1が3以上になる相乗効果を生むことを目指しています。他社と比べる「差別化」ではなく、私たち自身のありたい姿を追求する「独自性」をさらにアップデートしていきたいです。

ーー最後に、貴社で働く魅力について教えてください。

佐々木洋寧:
他社で3年から5年かけて学ぶことを1年で経験できる、密度の濃い環境があります。年功序列は一切なく、実力さえあれば若くして責任あるポジションに挑戦できます。実際に2年目で高収入を得る社員や、女性初の支店長も誕生しています。プロの世界の厳しさと、それに見合う成長とチャンスがここにはあります。

編集後記

「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」。佐々木氏が語ったこの言葉は、単なる精神論ではない。行政指導や大震災といった危機を、事業転換の好機へと昇華させた経営判断がそれを証明している。俳優志望から名優の付き人へ、そして営業の世界へ。異色のキャリアで培われた「表現者」としての視点が、人を惹きつける独自の経営スタイルを育んだのだろう。その根底に流れる「社員とその家族が第一」という温かい信念。これこそが、幾多の荒波を乗り越える組織の強さの源泉なのだと確信した。

佐々木洋寧/1968年、北海道名寄市生まれ。高校中退後、塗装職人やウェイターとして働きながら俳優を志す。その後、日光江戸村のキャストや松方弘樹氏の付き人として活動。その後、俳優業の厳しさを実感し断念。1993年にMED Communications株式会社へ入社し、半年でトップ営業マンとして頭角を現す。支店長、営業部長を経て、2003年11月1日より2代目代表取締役社長に就任。2010年に持ち株会社としてMED Holdings株式会社を設立し、代表取締役に就任。現在に至る。