※本ページ内の情報は2024年2月時点のものです。

株式会社千石(兼日本エー・アイ・シー)の調理家電アラジンは、兵庫県加西市のふるさと納税の返礼品としても人気を博し、同社はその活動を通じて地域への貢献を行っている。日本中で大人気の家電を手がけながらも地域愛を忘れない会社を率いるのは代表取締役の千石滋之氏。2023年に着任したばかりの新社長だ。

海外拠点での活動が長かった同氏は、帰国後も海外企業と積極的に協業を進め、そこで吸収したビジネス手法をどんどん社内に取り入れている。

外部から学ぶことの重要性を語る同氏に、自身のこれまでの経験とこれからの展望について話をうかがった。

自社ブランドを確立するまでの歩み

ーー貴社の事業について教えてください。

千石滋之:
弊社は創業から今年(2023年)でちょうど70年になります。2023年の2月に父である先代の社長が亡くなったのを機に、私が社長に就任しました。弊社は海外にある製造拠点や、販売会社、商社などを含めた計12社のグループ会社で成り立っています。

私たちの事業は主に3つのセグメントに分かれており、1つは部品事業で、残り2つが完成品事業です。完成品事業は、「アラジン」「センゴクアラジン」という自社ブランドとOEM製品に分かれています。

アラジンは、もともと私たちのブランドではなく、日本エー・アイ・シーという会社が所有していたもので、私たちがその会社を買収した際に引き継ぎました。現在は引き継いだブランドを積極的に発展させています。

これまでは中国やフィリピンなどに工場を作って生産していましたが、昨年、日本の本社から車で5分ほどのところにある工業団地に工場を建て、2023年から稼働しています。日本でも、ものづくりを見直す良い機会だと思っており、新工場では製造力の強化に注力していきます。

赴任先の中国で体感した日本との違い

ーーこれまでで印象に残っているエピソードはありますか?

千石滋之:
大学を卒業後、この会社に入社してすぐに中国の拠点に出向になりました。中国がどんどん成長していた2002年頃だったため、まさに右肩上がりに成長していく様子を目の当たりにしました。

日本には定期的に帰っていましたが、日本の人たちは「大変だ」と言いながら下を向いている印象でした。その後中国に戻ると、中国の人たちは上しか見ていないように見えました。そのような活気を中国で体験できたことは良かったと思います。

2019年に専務に就任した時に、ちょうどコロナショックが始まりました。コロナの間は出張や外部会議など対外的なものが一切なく、会社にいることしかできませんでしたが、本社で開催されるすべての会議に参加できたことは大変有益でした。このことがなければ、おそらく会社内のことを理解することは難しかったと思います。

海外企業から学んだ多くのこと

ーー外部から取り入れる姿勢を非常に大事にされているとお聞きしました。

千石滋之:
5年前ぐらい前に、アメリカブランドのOEMを受けました。当初は「アメリカだから日本のように細かいところまで要求されないだろう」と思って受けたのですが、実際は、見積もりの段階からとても厳しかったのです。

「さすがにそれはできない」と断わろうとしたところ、相手側から中国ローカルの材料メーカーを紹介する話を持ち掛けられました。それまでは仕入先の商社やメーカーには日系企業を選びがちでしたが、中国で作っているなら、中国メーカーの材料を使わないともったいないと先方から進言されました。

そこで、中国のメーカーを採用したところ、全く問題がなかったのです。そして結果的に要求コストに合わせられた上に、使用している鉄板やいろいろな電子部品が弊社の他のほとんどの商品にも使用できたため、当時使っていたものから順次そちらへ変えていき、弊社のアラジン商品の原価を低減できました。この経験は非常に勉強になりました。

そして、品質が日本のメーカー以上に厳しいところは目から鱗(うろこ)で、マーケティングの面でも製品を作りながら市場の声に対応していく力は素晴らしいと感じました。日本の場合、企画してから市場に出るまでに2年くらいかかりますが、その2年間で市場のトレンドは変わってしまいます。一方アメリカ企業では、半年ほどで市場調査用のテストサンプルを作り、そこから上がってきた声を量産品に反映してリリースできるのです。そのスピードにも私は驚きました。

多彩な人材が企業の強み

ーー貴社について好きなところや強みを教えてください。

千石滋之:
やはり人です。弊社の人材は海外工場も含めて非常に良いメンバーがそろっています。外からの人材を分け隔てなく受け入れてきたため、流通や銀行など、いろんな分野から人が来ています。そういう人たちが入り混じって非常に活気があります。

小さい会社なので、地元採用で入った人は製造から販売まで何でも経験しなくてはなりませんが、その方たちが40代50代になると、ビジネスで強いマルチな人材になっています。そして、そういった人たちが本部長クラスになり、社長を支えています。他には、変な意味で“ギラギラした”人材がいないことも特徴ですね。素朴でライバル心を燃やせる同志はいても、「その人が困っていたら助けよう」といった雰囲気がある温かい会社なのです。

外部企業から吸収できるものはまだまだある

ーー今後の展望についてお聞かせください。

千石滋之:
まずは、アラジンブランドをもっと拡大していきたいと考えています。弊社はもともと、ものづくり会社から始まり、自社工場を持っているため、そこを大事にしないといけません。ものづくりにこだわっていますが、それ以外は行わないわけではなく、もっと周りの企業と積極的に協業もしていきたいと思っています。

自社工場ではできないから外に出すのではなく、「自社工場の能力をさらに高めるために、外部交流を通じて得たものを会社に持ち帰る」という考えを持っています。そして、弊社が作れない技術や商品であれば、得意としている企業と協業したいとも思っています。

社員が歩きやすいよう、道を整備していきたい

ーー管理部門の体制強化はどのように進んでいますか。

千石滋之:
本当に良い会社で「どこにも負けていない」と思っているので、社内での情報発信はしっかりやっています。その中でも社内報を出したり、社内掲示を活発に行っているのは良い循環だと感じています。

調理家電や電気暖房機、給湯器など、弊社の製品は温めるものが圧倒的に多いので、温かい会社でいたいと思っています。

ーー取引先として業界のターゲットなどはありますか。

千石滋之:
どこの業界というのは特にありませんが、新規取引先にはいろんなことに気づかせてもらえるため、これからも開拓を進めていくつもりです。

自社だけでは最先端の技術開発にも限界がありますから、指導を受けながら私たちができる領域を今後も展開していきます。

デザインやアイディアを出すだけでなく、将来に向けた新しい技術のためにも、「声をかけてもらったときは積極的に応えていきたい」と思っています。

現在、さまざまな企業と契約を結んで共同研究を行っているので、何年か後には世間がびっくりするような新しいものを生み出せるかもしれません。

編集後記

協業企業から多くのものを学んできた株式会社千石が目指すのは企業のさらなるグローバル化と自社ブランドの発展。そのためには、外部とのさらなる共同開発が不可欠だ。今後どのような進化を見せてくれるのか、同社の動向に期待だ。

千石滋之(せんごく・しげゆき)/1976年、兵庫県加西市生まれ、大阪学院大学卒。
2001年、株式会社千石入社。2002年、千石の香港支店、支店長として駐在。2011年、株式会社千石、取締役就任。2015年、常務取締役就任。2019年、専務取締役就任。2023年、代表取締役就任。