冠婚葬祭業界の常識を打ち破った“揺るぎない信念”
株式会社レック 代表取締役 高橋 泉
低価格で温かなセレモニーが実現できると話題の、少人数専門『小さな結婚式』、1社独占だった電報業界への参入など、業界での「初」を多く生み出している企業がある。
ブライダル関連で複数の事業を展開する株式会社レック。その代表取締役の高橋 泉氏は、株式会社レックを含む冠婚葬祭業を基幹とするKSGグループのCEOも務め、女性ならではの視点で多くの事業を成功へと導いてきた。
そんな高橋社長に起業の経緯や、事業の概要、企業理念から今後の展望を伺った。
高橋 泉(たかはし いずみ)/兵庫県生まれ。芦屋女子短期大学卒業後、母親が経営する冠婚葬祭の会社に入社。結婚を機に退職し、双子の出産、破局を経て、1989年に株式会社レックを設立し代表取締役社長に就任。1995年の阪神・淡路大震災で壊滅的なダメージを受けながらも、見事に立ちあがり、デザインアルバム事業、小さな結婚式事業、ファミリー葬事業、メッセージ事業などを展開。KSGグループCEOも務める。
離婚を機に、28歳で起業
起業された経緯についてお聞かせ頂けますか?
高橋 泉:
大学を卒業してから、母が営む冠婚葬祭の会社に勤務していました。結婚を機に退職し、双子を出産しましたが、8ヶ月で離婚することになりました。離婚後、双子を育てるためにもしっかりと自分の足で立とうと、神戸でエステとパーティードレスのレンタル会社を立ち上げました。
どこかの会社に務めるという選択肢はなかったのかとよく聞かれますが、幼いころから商売をしている家系で育ったため、全くその選択肢は頭にありませんでした。
28歳での起業にあたって、どのような部分で苦労されましたか?
高橋 泉:
起業したときに、大きな目標を紙に書きました。売上100億円の企業にする、全国展開する、子どもを留学させる、母に大きな家をプレゼントするの4つです。
母の会社の退職金と、独身時代の貯金を元手に起業しましたが、さほど大きな問題もなく、着実に1店舗ずつ増やしていきました。ところが、毎日毎日さまざまなトラブルが起こるため、その対処に追われていましたね。立てた目標も忘れるくらいでした。もっとテンポよく展開していきたいという心の焦りは常にありました。
人生の大きな転機
1995年に阪神・淡路大震災が起こりました。
高橋 泉:
本当にこの阪神大震災で、大きく価値観が変わりました。壊滅的な被害を受け、会社も倒産しかけました。この震災のとき、母の会社の葬儀の手伝いにも行きましたが、犠牲になられた多くのご遺体を目の当たりにし、悲惨と言う2文字が全身を貫きました。
でも、この絶望の神戸から立ちあがる役目が私にはあると思ったのです。『ラヴィ・ファクトリー』の写真事業を始めたのはこの時期です。従来の型もの写真でなく、結婚式当日の新郎新婦に密着して撮影した写真を、ストーリー性のあるアルバムに仕上げていくものです。とにかく前に進むことで、この神戸の地で立ち上がることができました。そしてこの写真事業で全国展開も実現することができたのです。起業には動機が大事とよく言われますが、その通りだと実感しました。
他に、どのような価値観の変化があったのでしょうか?
高橋 泉:
震災後、国の補助金制度を利用してなんとか生き延びましたが、3年目ぐらいでその制度もなくなり、返済もあったので苦しかったですね。この時期はどの企業も厳しくて、リストラや賃下げなどを実施していました。
ここで私は全社員60名ほどを集めて、本音で話をしました。私達は競合先ではなく、世情との綱引きをやっているんだと。
「会社には『綱にぶら下がったり、逆方向に引く人』『綱を引いた振りをしている人』『綱を一生懸命に引いている人』の3種類の社員がいます。ぶら下がったり、逆方向に引く人は頼むから、邪魔だけはしないでください。引いた振りをしている人は本気で引いてください。そして一生懸命に引いている人は、更にいまの倍の力で引いてください。」
皆が少しずつ頑張れば、売り上げは今の2倍になるし、そうすればリストラもしないし、給料も下げないと約束しました。すると本当に皆が変わったのです。この時、本音でぶつかる方が伝わると感じ、それは今も実践しています。本音で語って助言して、それを社員が聞き入れることで、その人も成長していくと思いますので、本音で言うことにはこだわりを持っています。
“女性ならではの視点”で思考する
現在の御社の事業構成とその特徴についてお伺いできますか?
高橋 泉:
デザインアルバム事業が約50億円、小さな結婚式が42億円、メッセージ事業部が11億円、ファミリー葬などの葬儀事業や貿易事業などで35億円です。前期の売上は、連結で138億円でした。
震災後から、新規の事業を行う際に3つのポリシーを定めました。それは、社会的価値があるか、時代の流れにマッチしているか、誰もやっていないかです。これらの基準に合えば、新規事業を立ち上げます。メッセージ事業部では、一社独占だった電報の分野に新規参入するなど、業界の常識を打ち破るものを作ってきたつもりです。
また、私は女性ですし、ケンカや競り合いはしたくないので、他のブライダル会社さんがされていなかった小さな結婚式を始めました。すべて結果論ですが、女性の感覚でやってきたことが、見事にニッチ産業に当てはまっていましたね。物事の発想や角度が男性経営者とは違いますので、それが大きな強みとなっています。
御社の今後の課題には、どのようなものがありますか?
高橋 泉:
社員構成は6割が女性で、4割が男性ですが、幹部となるとほとんどが男性です。もっと女性の幹部を増やしたいと考えています。結婚して2人目の子どもができると辞めていくケースが多いんです。やはりお客様に合わせて仕事しないといけないので、両立が難しいです。現在、テストケースですが、残業や早出なしでお客様の担当にもつかず、電話応対などをする部署をつくりました。これにより、会社に残ってくれる女性社員も増えてきました。
社員から話を聞き、新事業を生み出すのは私の役割なのですが、皆が新事業を生み出せるような社風にならないといけないと思います。どうしても事業ごとに分かれてしまい、会社全体を見渡せる人も少ないのが現状です。全体をまとめる役割を担う存在も育てていかなくてはなりません。さらに子会社のトップとなるような代表格の人間を生みだすことも必要です。
また、人材育成に力を入れるべく、今年KSGアカデミーを設立しました。外部の専門会社に入ってもらい教育プログラムを作成し、全社員が随時研修を受け、人間学や経営や冠婚葬祭の知識などを学びます。これを受けることで、社員に会社の目指すものがより伝わるかなと期待しています。
お客様に喜んでいただけることを追求する
御社で活躍できる人材とは、どのような人でしょうか?
高橋 泉:
意見をはっきり言う人ですね。そして、上司は部下を勝たせるためにいるという考えが浸透しているため、出世をしても威張っている上司はうちにはいません。
また、私は強い組織とは派閥がないことだと考えていますので、特定の上司についていくのではなく、会社の考え方、ビジョンについていかせることを心がけています。わが社の考え方に賛同する人は、この指とまれという方式ですね。たとえ社長が変わっても、考え方は変わらず生き残ることができます。その考え方に基づいて、善悪を判断できるような、自ら考えられる社員が増えるとも思います。ですので、いくら私が考えたアイデアでも、会社の考え方との整合性がないと社員から指摘されることもありますね。
採用にあたっては、素直さを重視しています。年功序列などは関係なく、私達と一緒になって頑張ることができる人が必要です。
高橋 泉:
今後の目標として売上300億円を目指していますが、社員の数は少数精鋭で少ない方が良いと考えています。そのかわり給料は一流企業並みに出します。ですが、うちは学歴優先ではなく、「知識を知恵に出来る人」を重視します。そして「会社のための社員ではなく、社員のための会社にする」、「一様性ではなく多様性」を大切にいろいろな個性を認めていきましょうという「3つの転換」を基軸としています。
先程の、派閥を作らせないというところでは、自分の持っているエネルギーを内部のいざこざに使うより、お客様に喜ばれることに全力で使うべきです。そして、与えられる職責より、自ら願ってそのポジションに就く人を増やす。そのためには、社員の能力を信頼する社風をつくることが大切です。
このたび、経済産業省から「①社員の意欲と能力を最大限に引き出し、②地域・社会との関わりを大切にしながら、③顧客に対して高付加価値・差別化サービスを提供する経営」を実践する「おもてなし経営企業」に選出されました。
当社のビジョンにはすべて28歳のときに定めた目標が根底にあり、理想と現実の違いに落胆しながらも、一貫してやってきました。震災の時に約束してから、これまで一度も給料を下げたり、リストラをしたこともありません。この賞をいただき、大変うれしく思っております。
御社の今後の展望についてお聞かせください。
高橋 泉:
小さな結婚式は100万人規模の都市からスタートし、今は地方にも展開を始めました。またファミリー葬では、神戸・大阪での展開を行っています。葬儀業界への参入も増えてきましたが、私はマイペースで、競合は意識しません。私達にできることで、お客様に喜んでいただけることを追求することこそが大切です。
結婚式もお葬式も一生に一回だからこそ、お一人から高い金額を頂くのではなく、リピーターを重視しています。今や結婚式も2回目や3回目もありますし、家族単位でみればお葬式もリピーターが発生します。新たな業者が参入してくれば、一旦はそちらに流れますが、最後には必ずうちに戻ってこられるケースが多いです。
値段をはっきりと決めていて、その中で利益が出るように考えています。真面目に、お客様に喜んでいただけることを一生懸命やっていれば生き残れると思っていますので、今後も全力で取り組んで参ります。
編集後記
取材では、高橋社長が28歳のときに定めた目標や考えを一貫してきたという強い意志が感じられた。「もし自分が○○をするのだったら」という女性ならではの視点で、今後も業界の常識を打ち破る事業を展開してくれることだろう。