【ナレーター】
少子高齢化等により、国内消費量が減少傾向にある酒造業界。日本酒の出荷量は昭和のピーク時と比較し3割以下に減少。さらに2020年は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により飲食店の需要が低下し、国内の酒造メーカーは一段と厳しい状況下に置かれている。
そんな中、後発ながら業界初の生原酒ボトル缶シリーズや、酒造りを由来とする化粧品事業を展開し、業界に新風を巻き起こす企業がある。日本盛株式会社だ。
2019年に創業130周年を迎え、「もっと、美味しく、美しく。」をスローガンに掲げる同社は、酒造りと化粧品を両輪とした事業を展開。時代の変化やニーズの多様化に対応し、新たな取り組みに積極的に挑み続けている。
コロナ禍に代表へ就任した新社長の軌跡と、新生日本盛の次なる挑戦に迫る。
【ナレーター】
大学時代はヨットに打ち込み、全国2位の成績を修めた森本。しかしマイナー競技のため、セカンドキャリアのビジョンが見えず、大手商社へと就職。当時の仕事ぶりについて次のように振り返る。
【森本】
2003年から2005年まで住友商事にいたのですが、結局、お客様の懐に入り、どのように信頼してもらい、どのように注文をもらうかという営業活動が一番大事でした。
そのようなことをしていたので、平日はもちろん、週末も使ってお客様とリレーションをつくっていき、売上自体は2倍近くまで伸ばしたと思います。
【ナレーター】
順調にキャリアを積んだ森本だったが、2004年に1つ目の転機が訪れる。
【森本】
2004年にアテネオリンピックが開催されました。
そのアテネオリンピックに大学時代の一つ上の先輩が日本代表で出ることになりまして、ずっと一緒に合宿してきたよく知っている先輩が、壮行会で大勢の人の中心にいて、日の丸のユニホームを着ている。そんな姿がとても格好良かったんです。
それまでオリンピックは、柔道の柔ちゃん(元金メダリストの田村亮子氏)など有名選手が活躍し、それを応援するものだと思っていました。
しかし、身近な人が日本代表になってオリンピックに出るのを目の当たりにしたときに、オリンピックは観るものではなく出るものなんだということをとても感じたんです。
だからと言ってすぐにできるわけではないですが、でもそれがきっかけでオリンピックに強い想いを持ちました。
その後、オリンピックが終わった翌年に、パートナーを組むことになる先輩から電話かかってきて、一緒に北京オリンピック目指さないかと誘われました。
やはり皆反対でしたね。「そんな夢みたいなこというな」と。「無理に決まっているじゃないか」ということもたくさん言ってもらって、本当に心配してもらったと思います。
しかし自分で決めることですから、上司に「すみません、辞めます」と言いに行って決めました。
【ナレーター】
オリンピック出場という夢に向かって挑戦することを決めた森本は、大学時代の先輩とともに全国を行脚し、大会に参加を続ける。
その中で、オリンピックへの出場権がかかった世界大会でのエピソードに迫った。
【森本】
オーストラリアの世界大会だったのですが、当時大本命と言われていた、アテネオリンピックで銅メダルを獲った方が、その大会では相当なプレッシャーがあったのか、朝から表情が硬く、いつもと様子が明らかに違いました。
よくよく考えてみると、恐らく勝って当然、オリンピックに行って当然というプレッシャーと戦っていたのだと思います。
そんな中でレースをしても、自分の実力はなかなか出せませんよね。結果的に、私たちが日本代表にならせてもらいました。
人が緊張していると、こちらは冷静になりますよね。当時は特に守るものがなく、皆も行けたらいいねくらいに思っていました。
ですからおそらく、オリンピックは1回目より2回目のほうが周りから結果を求められるので緊張すると思います。そういった意味では私は1回だけの出場で終わりにしたので気楽でしたね。
【ナレーター】
そして2008年、森本は北京オリンピックのセーリングで7位入賞を果たす。しかし森本はビジネスの道へ戻ることを決断。競技者へ転向することも叶うであろう成績を残しながら、なぜビジネスの道を選んだのか。
【森本】
当時オリンピックに未練があって、チャレンジをして、結果を出して、私なりにはその目標を達成できました。
一方で、仕事の面白みもわかっていたつもりです。ひとつオリンピックで目標達成したので、次は仕事で新しい目標を立てて進みたいと思い、うまく切り替えることができました。
【ナレーター】
その後、森本は当時の先輩や同僚に勧められ、以前勤めていた大手商社へと再入社。広報部を経て、海外工業団地部へ配属。
ベトナムの工業団地を担当していた森本は、研修のために日本に来た現地スタッフの観光地巡りに付き添うこともあったという。その中で訪れた2つ目の転機とは。
【森本】
日本に来たベトナムの社員から観光中、これはどんな文化があるのか、どんな背景があるのかなど、日本のことを聞かれたのです。
なぜ日本人なのに日本のことを聞かれて答えられないのかと、自分をとても恥ずかしく思いました。それがきっかけで、日本のことをもっと知らなくては、知りたいという思いが出てきたのです。
そんなことから数カ月したときに、ちょうど縁談のお話がありました。転職を前提としており、それは自分で足りないと思ったことにチャレンジするいい機会だと思い、転職を決めました。
【ナレーター】
日本盛へ入社後は会社としても初の取り組みとなる、中期経営計画の策定の任を受ける。この経験から得た学びとは。
【森本】
各事業部の責任者と膝を突き合わせて、ああだこうだと色々な計画を組んでいきました。
なかでも一番ぶつかったといいますか、言い合いした人が、今では一番の理解者です。雨降って地固まるではありませんが、紆余曲折も経て、大変でしたがいい経験だったと思います。
あきらめることは簡単だと思います。しかしおそらく、あきらめてもいつかその壁にぶつかるので、やはり今、目の前にあることに正面から向き合わなくてはいけません。
お互いが正しいことを言い合っている時は、場合によってはどこか譲歩も必要なのでしょうが、ちゃんと自分の想いを伝えれば相手は理解してくれます。
自分が逃げたり、すぐに妥協したりするよりは、ちゃんと言うべきことを言うほうが信頼関係ができるのかなと思います。