ライフスタイルの変化や価格高騰による消費者の節約志向により、食品業界は利益獲得に苦戦している。
そんな中、海外製食品の自社輸入や、「バジルシードドリンク」など、独創性のある自社製品の開発を行っているのが、株式会社アシストバルールだ。
余剰在庫販売業からの事業転換で、世界中から買い付けた食品を商品開発し、プライベートブランドとして卸売までを一貫して手掛ける食品総合商社となった同社。その創業者である松原社長に思いを聞いた。
初めて夢中になれるものを見つけ、会社を起業
--前職での経験についてお聞かせください。
松原靖雄:
大学を卒業して大手商社に入社し、食品部門で営業をしていました。
当時の上司からは「相手と駆け引きしようと思うな。とにかく明るく素直でいること、すぐ行動に移すことが一番だ」と教わりました。
私は口が達者なやり手の営業マンというわけではありませんでしたが、とにかくお客様の話を聞くことを意識していました。
すると20人ぐらいいた同期の中で、トップの営業成績を収められたのです。
大学では留年するほど勉学に励まず、努力をしない人間だったのですが、営業の仕事はとにかく楽しくて、初めて夢中になれるものを見つけられたことが嬉しかったですね。
--そこからアシストバルールの前身となった会社を起業されたきっかけは何だったのでしょうか。
松原靖雄:
私自身は、会社を起業したいという強い思いがあったわけではありません。得意先の方から「君は商売の才能がある。そんなに営業が好きなら独立したらどうだ」という言葉をいただいたのがきっかけです。
身近に商売をしている人もいなかったですし、経営や経理の知識もないのに大丈夫かなと不安はありました。
けれど、冷静に考えてみたら会社の収支をきちんと把握し、赤字さえ出さなければ事業は成り立つはずだと思い直しました。
今振り返ってみると素人考えではありますが、物事をシンプルに捉えられたのはよかったと思います。
--創業当初は余剰在庫の販売をされていたそうですが、これは前職での経験をもとに始められたのでしょうか。
松原靖雄:
そうですね。処分品をディスカウント価格で買い取り、利益分を少し上乗せして販売していました。
前職で得た情報網を駆使してなるべく安く仕入れられる業者を探し、少しでも多く利益をあげられるよう工夫していました。
--創業時に苦労されたことなどはありましたか。
松原靖雄:
当時は人を信用することしか知らなかったので、来るもの拒まずというスタンスで取引をしていました。大きなトラブルもなくやって来られたのは、人に恵まれていたからでしょうね。
--リーマンショックなど経済環境の変化が起きたときはどうだったのでしょうか。
松原靖雄:
世の中の動きを予測するのは難しいですし、弊社で扱っている食品は日常的に消費されるものなので、変化が起きるのは当たり前だと思っています。
収入が減ったら支出を減らせばいいだけのことですし、個人的には売上が下がったとしてもまた明日から頑張ればいいやという考えですね。
輸入商品の販売と自社製品の開発へ事業転換した理由
--初期の事業モデルから今に至るまで、どのような変遷を辿られたのでしょうか。
松原靖雄:
事業を続ける中で、余剰在庫の販売は、商品が余らなかったら売るものが無いという「不安定さ」が怖いなと思っていたのです。
そこで、10年ほど前から徐々に海外商品の自社輸入にシフトしていき、自社製品の開発にも取り組み始めました。
自社製品を作り始めたきっかけは、子供とスーパーに行ったときに、在庫品として販売していた他社の商品を「お父さんが売っている商品だよ」と堂々と言えないもどかしさを感じたことです。
それから、自社の名前が書かれた商品が店頭に並べられたときは、誇らしい気分になりましたね。
--事業転換をされてからはどのような変化があったのでしょうか。
松原靖雄:
余剰在庫販売をしていたときもビジネスとしては成立していたものの、どうしても仕入れ先の状況に振り回され、将来のビジョンが見えない状態でした。
しかし、自分たちで商品を取り扱うようになってからは、仕入れる量を調整したりラインナップを変更したりと、自由に販売戦略を立てられるようになりました。
事業転換前は社員が30名で年商が13億円だったのですが、現在では社員18名で年商40億円にまで伸びています。
--ここまで売上が伸びた主な要因は何だと思われますか。
松原靖雄:
食品関連は保守的な業界なので、大阪市内にビルを持っていて、30年間さまざまな企業と取引があるという理由で信用を得られたことが大きいと思いますね。
ここ数年で全国展開している大手スーパーにも認知されるようになり、販売する商品を選びに海外出張に行くときも同行してくれています。
自社工場を持っている企業と関係を構築できれば、自分たちで工場を持つ必要もないので、こうした太いパイプを持っておくのは重要です。
また、弊社のような商売をしている会社はたくさんありますが、現地の工場に直接足を運んでまでチェックしているところは少ないのではないでしょうか。
学び直しのため大学へ再入学
--大学に再入学されたきっかけについて教えていただけますか。
松原靖雄:
それまで我流で商売をしてきたので「経営について体系的に学びたいな」と思い、40歳のときに京都大学のMBAスクールに入りました。
--その後、芦屋大学で経営教育学部の特任教授として教鞭をとられたのですね。
松原靖雄:
2016年から一昨年ぐらいまで、中小企業論などの講義を担当していました。
これまでの経験をもとに、中小企業の社員は専門領域に特化するのではなく「何でもできるスーパーマンでないといけない」と、学生たちに教えてきました。
--これまでの経験で培われた営業のコツなどがあればお教えいただけますか。
松原靖雄:
格闘技の必殺技のように「殺し文句」を繰り出して商品を売り込もうとするのではなく、お客様の代わりに店舗に並べる商品を選ぶくらいの気持ちでいた方がいいのではないでしょうか。
これまでの営業マンは話上手で一方的にしゃべるイメージだったと思いますが、今は相手の話を聞ける積極的な受け身の姿勢が重要です。
営業マンは専門知識を持ったスペシャリストではなく、幅広い知識を持っていて柔軟な対応ができるゼネラリストであるべきだと思いますね。
アシストバルールの今後のビジョン
--貴社の今後の目標についてお聞かせください。
松原靖雄:
5年後に年商100億円を達成したいと思っているので、売上規模の拡大に合わせて社員数も今の倍くらいに増やしていきたいですね。
年商が22億円だったときに、将来100億円まで伸ばすという目標を立て、3年で40億まで来ました。あと5年あれば年商100億は可能であると見込んでいます。
新たな自社ブランド商品の開発よりも、販売ボリュームがある高品質なオーガニック食品を多く取りそろえ、食品商社としてさらに規模を拡大していきたいと考えています。
--これからどのような価値観を大切にして組織を作っていきたいと思われていますか。
松原靖雄:
一人ひとりが自由な発想を持ち、自分の意志で動ける組織にしていきたいですね。
私たちの仲間になってくれる人には、上からの指示を待つのではなく、自分の頭で考えられる自立した人になってほしいと期待しています。
編集後記
学生時代は「何に対してもやる気がなかった」と語る松原社長。しかし、社会人になってから営業の楽しさに目覚め、相手が何を望んでいるかを汲み取り、即行動に移すことで多くの人々の信用を得てきた。これまでに築き上げた人脈を活かし、さらなる発展を目指す株式会社アシストバルールの今後に期待だ。
松原 靖雄(まつばら・やすお)/1989年に関西大学を卒業後、大手商社で食品部門の営業を務める。1992年28歳のときに独立し、総合食品卸マツバラを創業。1人で経営する個人商店でありながら、2年目にして売上7億円を達成する。1994年に事業拡大を見据えて株式会社アシストバルール設立。京大ベンチャーファンドNVCC第一号投資案件に選ばれ、『バジルシードドリンク』などを販売。京都大学経営管理大学院修了後、芦屋大学経営教育学部特任教授に就任(現在は退任)。