
東京の木で家を建てる、地産地消の家づくりによるブランド「TOKYO WOOD」を展開する株式会社小嶋工務店。多摩地域の林業者や製材所などと一体となって活動している。国土交通省の長期優良住宅先導事業に採択されるなど、順調に歩んできたように見える。しかし、小嶋智明氏が代表を引き継いだときは、10億円の債権を抱え、倒産寸前の苦しい経営状況だった。今回は代表の小嶋智明氏に、経営状況をV字回復させた道のりや、独自のブランド戦略、今後の展望について話を聞いた。
16億円の負債を引き継いだ決断
ーー社長に就任するまでの流れを教えてください。
小嶋智明:
弊社は私の父が新潟県から上京して1965年に創業しました。法人化したのは1968年です。しかし、バブル崩壊やリーマンショックの波を受け、経営は決して順調ではありませんでした。私が社長に就任したのは、リーマンショック直後の2009年です。父から後を継ぐことを打診された際、当時の会社は借入金が16億円もあり、完全な債務超過の状態でした。地域での評判も地に落ちていました。最初は断りましたが、最終的には金融機関への返済計画の見直しや、私の経営に口を出さないことを条件に引き受けました。
ーー就任直後、会社はどのような状況でしたか。
小嶋智明:
まさに地獄のような日々でした。就任後の10年間は金融機関との戦いです。「あなたは不良債権だ」といった屈辱的な言葉を浴びせられながら、毎月多額の借金返済に追われました。資金ショートの恐怖で眠れなかった夜も数え切れません。
それでも心が折れずにいられたのは、父から受け継いだ「ピンチの時こそ前に出る」という精神が私の中にあったからです。創業者である父が生きているうちに会社を良くしたいと強く思っていたからです。小学3年生の頃、オイルショックで会社の経営が一気に傾いたことがありました。父の苦悩を子供ながらに感じ、「何か自分にできることはないか」と自転車でチラシ配りを手伝ったりもしました。
そんな金銭的にも精神的にも追い詰められた状況下で、父はなぜか「運動会をやる」と言い出したのです。周囲は「金もないのに何を考えているんだ」と呆れていました。しかし、なけなしの資金を投じて開催された運動会で、先頭に立って皆を盛り上げる父の姿を見たとき、幼いながらも私は誇りに思いました。多くの人はピンチになると下を向いてしまいますが、父は「苦しい時こそ一歩前に出る」ことを選んだのです。
ボクシングでもそうですが、ピンチの時に下がれば負けますが、前に出れば当たるチャンスが生まれます。かつては両親のケンカや職人の荒っぽい雰囲気を見て「絶対に建築屋にはならない」と思っていましたが、この時、目の前の困難に立ち向かい、人を笑顔にする父の姿を見て、建築という仕事に初めて興味を持ちました。「目の前の人を助けたい」という思いが芽生えた瞬間だったかもしれません。
その後、大学卒業後はすぐに家業に入らず、大手ハウスメーカーに入社して修行を積みました。外の世界で揉まれた後、父から何度も「手伝ってくれ」と請われ、小嶋工務店に入社することになったのです。
品質への根拠を追求する詳細設計

ーー社長就任後は、どのような部分を変えたのでしょうか。
小嶋智明:
まず、今の小嶋工務店の強みが何かを考えました。その時5つ、強みがあると認識しました。それは、「東京という場所で事業を行っていること」「外張り断熱の家づくりをしていること」「会社を好きでいてくれる社員がいること」「家が売れること」、そして「創業者が健在であること」の5点です。その上で、改善すべき点を200個以上書き出し、徹底的に改善しました。強みを実現するために、「なぜその部材なのか」という根拠をビス1本にまでこだわり、作り込みました。今ではすべての家づくり、部材に根拠があります。
さらに、すべての部材の違いを、社員がお客様に詳しく説明できるようになりました。同時に年に1つは賞を取って、小嶋工務店ブランドの評価を上げていく取り組みをしました。
その甲斐もあり、国土交通省の長期優良住宅先導事業に採択されたり、東京都で初めて長寿命住宅システムの認定を受けたりするなど、成果を得られました。これらの取り組みの過程で社員にも自信がつき、キャリアを積めたと思います。
ーー社内の人間関係はどのような状況でしたか。
小嶋智明:
私が社長に就任した当時は、営業・設計・建設の関係性があまりよくありませんでした。そこで、部門の垣根を越えたプロジェクトチームを作りました。話し合える場を作ったことで、意思疎通ができるようになりました。
ーー集客面では、何か変化はありましたか。
小嶋智明:
ご契約いただいたお客様のきっかけは、かつては展示場へのご来場が約70%を占めておりましたが、現在は体感として約30%ほどになっています。近年は、まずインターネットで丁寧に情報収集をされたうえでご検討される方が増えており、集客の形も大きく変化してきました。
とはいえ、展示場の役割がなくなったわけではありません。事前に調べてからご来場くださり、実際に無垢材に触れ、その質感や空気感に感動してくださるお客様も多くいらっしゃいます。
また、近年はSNSをご覧になったことをきっかけにご来店くださる方が確実に増えています。コロナ禍やウッドショックなど厳しい環境の中でも、動画やInstagramなどを通じて情報発信を続けてきたことで、私たちの家づくりに共感してくださるお客様とのご縁を多くいただくことができました。
そして、今も昔も変わらず大切にしているのは、信用と信頼です。日々の取り組みを積み重ねる中で、「良い建物を丁寧につくる会社」とお客様からお声をいただけるようになったことは、何よりの励みです。
地元の森林を活用する価値の創造

ーー「TOKYO WOOD」について教えてください。
小嶋智明:
「TOKYO WOOD」は、東京の木・多摩産材を用いた、私たちの家づくりのブランドです。大都市という印象の強い東京ですが、実は面積の約4割が森林に覆われています。その森で何十年もかけて育った木を、東京に暮らす人の住まいに活かす。それが、私たちの考える地産地消の家づくりです。
しかし、私たちのこだわりは“東京の木を使うこと”だけではありません。森で育った木が、本当に住まいを支える強さを持っているのか。その答えを曖昧にしないために、一本一本すべての柱に対して、強度や含水率を測定するグレーディングマシンによる品質検査を行っています。
産地を語るだけではなく、科学的な裏付けを持った確かな性能で選び抜く。自然の恵みと、技術の目。その両方を通過した木だけが、私たちの住まいを支えます。建築現場に足を運ばれたお客様が、「ヒノキの香りが心地いいですね」と笑顔で話してくださる瞬間があります。
その言葉を聞くたびに、森と住まいが確かにつながっていることを実感します。一本の柱に、森の時間と、私たちの責任が宿る。それが「TOKYO WOOD」の品質の証です。
ーー性能面でのこだわりはありますか。
小嶋智明:
特に「温熱環境」には強いこだわりがあります。私が社長になった頃の住宅は、冬場の室温が5度程度まで下がることも珍しくありませんでした。現在でも、大手ハウスメーカーの標準的な家は13度程度まで下がることがあります。しかしWHOによれば、室温が18度を下回ると健康リスクが高まると言われ、体温が1度下がれば免疫力は大きく下がります。
「床暖房があるから暖かい」といった表面的な言葉ではなく、いい家の根拠をしっかりと示すことができる住宅を私はつくりたいと思っています。
ブランド化と社名消滅という究極の目標
ーー今後の課題はどのようなことがありますか。
小嶋智明:
入社から5年以内の社員が増えたことで、経営状況が苦しかったときの思いを知らない社員が多くなっています。その結果、経営状況が良くなってから入ってきた社員と、苦しい状況から積み上げてきた社員とで、意識の差が出てきました。
新しい社員でスキルの高い人もいますが、やはり会社に対する愛をもっと持ってもらえるように頑張っていきたい。会社を好きになってほしいと思っています。この意識の差を埋めなければなりません。
若手社員には常々、「まずはやってみなさい」「どんどん挑戦しなさい」と伝えています。大多数の中の一人ではなく、あなたにしかできないヒーローになって欲しいと思っています。彼らが成長し、自立することが組織の強さにつながると信じています。
ーー今後のビジョンについてお聞かせください。
小嶋智明:
私が思い描いているのは、「小嶋工務店」という社名を超えて、「TOKYO WOOD」というブランドそのものが社会に根づいていく未来です。
TOKYO WOODの名のもとに、林業会社、製材所、プレカット、そして工務店が集い、
それぞれの役割を越えて、一つの理念でつながる。住宅をつくるだけではなく、暮らしを支え、森を守り、環境を次の世代へつないでいく。この営みを、一過性ではなく、永く続く事業にしていきたい。それが私の夢です。
TOKYO WOODという言葉が地域に定着し、お客様から「あの会社があって良かった」と自然に語っていただける存在になること。それは単に企業規模の話ではなく、地域の風景の一部になるということだと思っています。
「東京で育てた森の木を使った地産地消の家づくり」。それは、家を建てるという行為を超えた挑戦です。循環型林業を通じて森を守り、自然素材の住まいで住まい手の健康を守り、都市と山をつなぎ直す。時代を先取りするのではなく、本来あるべき姿に立ち返る。地域にとってなくてはならない存在であり続けること。その未来を、TOKYO WOODとともに描いています。
ーー最後に若い人たちにメッセージをお願いします。
小嶋智明:
私たちが20代のときよりも、今の20代の方がはるかに頭が良いと感じています。スキルも全く違います。私が25年かけてやってきたことを、彼らはもっと早い段階でできるはずです。
これからの厳しい時代で、自分の考えを持って行動していく人材は貴重だと感じています。継承するだけでなく進化させていく人、我々が考えたアイデアの上をいく人を見てみたいです。そういう方にはぜひ入社してほしいと思っています。
編集後記
小嶋工務店は、小嶋氏が代表を受け継いでから、細部にまでこだわり、第三者の評価を得ることで経営状況を大きく改善した。「室温15度以下になる家は作らない」という言葉に象徴される品質への執念と、東京の木を東京で使うという、地元の工務店だからこそ可能な戦略で成長を続けていく。地産地消を進めるブランド「TOKYO WOOD」の今後に期待したい。

小嶋智明/大手ハウスメーカーで営業・現場監督を経験したのち、小嶋工務店へ入社。2009年、経営が低迷していた株式会社小嶋工務店の代表に就任。債務超過という厳しい状況の中、「家づくりの本質に立ち返る」ことから再出発。ビス1本に至るまで根拠を問い、ディテールを徹底的に見直すことで品質を高め、信頼を積み重ね、経営を改善した。多摩地域の林業者や製材所と連携し、東京の木を東京で使う地産地消のブランド「TOKYO WOOD」を推進。林業から工務店までが一体となる循環型の家づくりを広げている。目指しているのは、数字だけの成長ではない。会社の存在価値を高め、職人を育て、東京の環境に貢献し、社員が誇りを持って働ける組織をつくること。品質への妥協なき姿勢と地域への想いを軸に、歩みを続けている。