急激な円安や原材料などのコスト上昇を受けて消費者の節約意識が強まり、100円均一ショップの需要が高まっている。
そんな中、100円均一商品をはじめとした日用品雑貨の卸業を行っているのが、株式会社ミツキだ。
前身企業である株式会社マコトは、100円均一業界で最も歴史のある企業の一つである。
9人体制で新会社をスタートし、業務のアウトソーシングと効率化に努めた結果、創業からわずか3年で以前の会社の業績を上回ったという。
事業を引き継ぎ、会社を新たに生まれ変わらせた中村社長の思いについてうかがった。
幼少期から前身の会社の事業を引き継ぐまで
--幼少期はどのようなお子さんだったのでしょうか。
中村喜吉治:
昔から負けず嫌いで「天下取ったるで」が口癖の生意気な子どもでした。みんなを引っ張る、いわゆるガキ大将だったので、人の下で立ち回るのが本当に苦手でしたね。
私はスポーツが好きなので今もダイビングやスノーボード、乗馬、野球、ボクシング、ゴルフなどを趣味にしているのですが、学校の部活動には一度も参加したことがありません。特に私が学生だった頃は上下関係が厳しくて、1学年違うだけで高圧的な態度をとられることが嫌でたまりませんでした。
そこで部活動をしない代わりに10歳のときに地域の野球チームを作り、中学校を卒業するまで練習に打ち込み、最近までそのチームで監督兼選手を続けていました。
また、年齢関係なく力がある者がのし上がれることに魅力を感じてボクシングを始め、29歳で競技を引退するまで勝ちにこだわりました。
--貴社の前身である株式会社マコトについてお聞かせください。
中村喜吉治:
弊社の前身である株式会社マコトは義父が経営していた会社です。少数でヘアアクセサリーを中心に製造・販売していました。
その頃はまだ100円均一ショップが認知されていない時代でした。あるお客様から、通常なら1ヶ月に数個しか売れない商品の注文が1週間に何度も入ったため、現場を見に行くことにしたのです。すると、他店で200円で売られていた商品を100円で売っていたことがわかりました。そこで「100円で売ると回転が速く薄利多売でもやっていける」と考え、当時円高だったことも追い風となって、100円商品だけを製造することにしたのです。
それから時代の流れと共に100円均一ショップの市場規模が拡大し、そのおかげで弊社への注文も多くなり、当時の社員達は2日や3日連続で会社に泊まり込みで働いたこともよくありました。その後も注文がどんどん増え、人員と商品を置く場所が必要となり、数年で従業員は70~80人、自社ビルも5~6棟になっていました。
--その後、新会社を立ち上げたきっかけは何だったのでしょうか。
中村喜吉治:
1990年代半ばに入りパソコンが普及し始めたのですが、当時の幹部たちは「機械に頼るのではなく人間の頭で考えなくてはダメだ」という考えで、在庫表や納品書もすべて手書きのままでした。
私はさすがに従来のやり方を続けるのは限界だろうと思い、パソコンの導入を提案し、会社の業務に支障が出たら全責任を負うという覚書を書いたうえでようやく承認されました。いざパソコンを導入してみると、こんなにも作業をスムーズに進められるのかと感動しましたね。
そしてどんどん仕事を任せられるようになってからは、デジタル技術を活用しながら仕事の効率化を進めていきました。
しかし、急速に効率化・近代化を進めていったことで、上の者との意見が合わなくなり、私は代表から外されてしまいました。昔ながらの働き方に戻り、次第に会社の売上は下がっていきます。残業をするのが当たり前の古い社内体質についていけないと、退職者も後を絶ちませんでした。
このままでは会社が倒産してしまうというところまで追い込まれました。倒産すればそれで会社は終わりですが、沢山の従業員やお客様、仕入れ様、横請け様等に多大な迷惑が掛かってしまいます。ですから私が新会社を立ち上げて全てを受け止めようと決心したのです。
そして2016年10月に株式会社マコトを廃業し株式会社ミツキを創業することになりました。前会社をたたむことになったので、苦汁を飲んでほとんどの従業員には辞めていただいたのですが、廃業するまでの間に新会社で活躍してくれそうな人材を見極め、声をかけていきました。
9人の少数精鋭メンバーで再始動した新会社では、物流は勿論、経理や商品デザインなどはすべてアウトソーシングし、とにかく効率を重視する体制を整えました。従業員全員が仕事と私生活の両方を楽しんで人生を充実できる会社を目指し、ここからが本当の経営者人生の始まりでした。
仕事と生活の両方を楽しむ
--9名体制になってからは社内体制をガラッと変えられたのですね。
中村喜吉治:
従業員が70~80人いたところから9人に減ったので、少人数でも業務をまかなえるよう在庫と取引先を以前の半分以下にしました。作業の効率化を徹底した結果、創業からわずか3年で前の会社の業績を上回り、今なお成長を続けております。
こうして少ない人数で十分な利益を出せるようになったので、社員全員に特別賞与として還元しています。
さらに「親御さんを温泉旅行に連れて行った」「配偶者にプレゼントをした」など、身内のために何か行動をしたという話を聞いたら、賞与を支払うときに金額を上乗せします。全員に公表しながら支給しますので最近では皆が親孝行、家族孝行するようになりました。
その他にも「元気良くあいさつをしてくれたな」「電話の対応が良くて気持ちがいいな」など、日頃の勤務態度を見て「いいな」と思ったときにも賞与に反映させています。
--その他にも中村社長が行ってきた社内改革はありますか。
中村喜吉治:
会社を立ち上げたときに社員には週休4日を目指そうと伝えていて、今では全員の休暇取得率が3.5日ぐらいだと思います。
これは前身の会社が、同じ職場で長時間労働している人と、定時で帰って休日もしっかり休んでいる人に分かれていたため「一部の人が疲弊する環境を改善しよう」と思ったのがきっかけです。
そこで、まとまった休みを利用して旅行に出かけるなど、社員全員がそれぞれの人生を思い切り楽しめるよう、週休4日制の導入目標に至りました。
--週休4日制を目指している企業は珍しいと思うのですが、休日を増やされたのはなぜでしょうか。
中村喜吉治:
何時間も働いた上に1、2時間かけて通勤するとなると、睡眠時間を引いたら自由に使える時間は1日にほんの数時間だけですよね。このように仕事に追われる生活を続けていたら、生涯で楽しい思い出なんてほとんど残らないでしょう。
そこで弊社では休日をしっかり確保するようにしていて、私も全力で遊んでいます。昨年の何月はどこに出かけて、こんなことをしたという楽しい思い出がいくつも思い浮かびますよ。
--先進的な働き方ですね。
中村喜吉治:
時代の進むスピードはとても速いので、この体制はすでに古いと思っています。私自身は決して今の体制に満足していないですし、まだまだ改善する余地もたくさんあります。
人生のうちのほとんどは仕事をしているわけですから、仕事が楽しくなければ人生も楽しくないですよね。
社員たちには一生懸命仕事に打ち込み、休日は全力で楽しんでもらうために、楽しく働ける環境を作って私生活も充実できる給料を支給したいと思っています。
同業者同士が協力し合って100円均一市場を支えていきたい
--貴社のホームページに「現在、新規取引は受け付けておりません」と書かれていましたが、取引先を増やすことは検討されていないのでしょうか。
中村喜吉治:
少人数でまかなえる業務量は限られているので、これ以上増やすことは考えていないですね。
前身の会社で働き始めた頃は、電話帳で見込み客を探しては1件1件営業電話をかけ、全国各地に足を運んで顧客リストを作り、他社に負けるものかと闘志を燃やしていました。それから100円均一ショップの規模は一気に拡大し、各店舗の取り扱い商品は数万点以上になりました。
しかし、当時自社で扱っている商品は300点ほどだったので、あるとき「自分たちだけでは扱いきれないな」と悟ったのです。そこで仲良くなった同業者の営業マンに、会社の宝ともいえる顧客リストを配り、自社の取引先を紹介するようにしました。
こうした経緯から、弊社だけで利益を独占しようという考えはなくなり、「100円均一商品を扱っている会社同士助け合っていきたい」と思うようになりました。
編集後記
従業員数が70~80人、自社ビルも複数所有していたところから、事業を引き継いだ後は社員9名でコンパクトなオフィスに移転し、再スタートを切った中村社長。とにかく効率を重視して積極的にアウトソーシングを行った結果、限られたマンパワーで前社の業績を上回った。社員がそれぞれの人生も楽しめるよう働き方改革を行い、同業者と助け合いながら業界を支える株式会社ミツキを、今後の日本企業のロールモデルとして心から応援していきたい。
中村喜吉治(なかむら・きよはる)/1965年6月2日生まれ、大阪府出身。私立此花学院高等学校(現大阪偕星学園高等学校)卒業後、白蟻駆除会社や電話工事会社を経て1991年にミツキの前身である株式会社マコトに入社、2016年8月株式会社ミツキを設立し代表取締役に就任。