※本ページ内の情報は2024年1月時点のものです。

スリーエフはコンビニエンスストア業界での特異な立ち位置を確立している。スーパーのコンビニエンス事業部として始まり、青果や図書の販売などにも重点を置くことで、他にはない独自性を打ち出してきた。

しかし業績悪化に伴い、2016年4月にローソンと資本業務提携契約を締結。スリーエフの独自性も残しつつ、共同ブランドの開発に力を入れている。

「相手の幸せを優先して考える経営ポリシーは今後も変わることがない」という株式会社スリーエフ代表取締役社長の山口浩志氏。これまでの歩みと将来への展望を聞いた。

主婦層をターゲットに青果を販売

ーースリーエフの特徴を教えてください。

山口浩志:
スリーエフは、スーパーのコンビニエンス事業部として創業しました。最初の店舗は横浜市。純粋なコンビニエンスストアというより、ブック併設や青果の販売などを行う、ミニスーパーに近いスタイルでした。青果の販売にこだわりを持っていたことが当時からの特徴です。

コンビニエンスストアが増える中、他のコンビニとの差別化に取り組んだとき、主婦や自炊をする方々に向けてより便利に食材を揃えられる店舗づくりに注目したのです。原点はスーパーであるという強みを生かし、総菜やデリカ類、パンに力を入れ、現在も「gooz(グーツ)」という出来立ての総菜やパン、コーヒーにこだわった店舗を3店舗展開しています。

また、青果販売を強化するために市場から直接商品を店舗に配送しました。通常はセンターを経由するのですが、スリーエフでは市場から直接、新鮮な商品を提供する仕組みを整えました。セブンイレブンやローソン、ファミリーマートなどとは異なる顧客層の方々にターゲットを絞り、当社の顧客層を拡大することに注力したのです。

まだ発展途上で新しいものを作れる会社に興味を持った

ーー新卒時にスリーエフに入社してから、社長に就任するまでの経緯についてお聞かせください。

山口浩志:
私が入社したころはセブンイレブンが約4000店舗程度だった時代で、コンビニは小売業の主力といえるほどの規模ではありませんでした。小売業に携わることを希望する人は卒業後、百貨店や大手スーパーに就職することが一般的な時代でしたが、私はコンビニの利便性を学生時代から感じていたのでコンビニを選びました。既存の仕組みではなく、まだ発展途上で、新しいものを作れるという点に興味を持ち、また、神奈川出身で家から一番近かったコンビニだったという縁もあり、スリーエフに入社しました。

最初は店舗スタッフ、次にスーパーバイザーとして働き始めましたが、今までの経験の中で最も楽しかったですね。自分のアイデアを実現できる環境であり、お客様から直接感謝されることが、働く上での喜びでした。

社会人になる前は興味がなかったのですが、努力する目的が自分だけでなく、他の人や社会のためになったことが自分にとって大きな変化でした。他者のために頑張ることに目標を見出し、それを達成したときの喜びを感じるようになったのです。

その後、営業企画、販促、環境推進部など、さまざまな部署で経験を積み、のちに経営企画室、マーケティング部、商品本部を担当し、最終的に社長に就任しました。

相手の幸せを優先して考える経営ポリシー

ーー貴社のポリシーについて教えてください。

山口浩志:
「営業活動を通して、地域社会のより豊かな暮らしと幸福のためにご奉仕する」という理念はずっと変わることはないと思います。社是に根ざした経営を進める中で、奉仕という言葉についてよく考えたのです。

この「奉仕」とは、社会奉仕のような意味で、聖職者が神に仕えるような考えから発想された言葉です。これが私たちの出発点です。

創業者が選んだこの言葉には、相手の幸せを先に考えることが大切だという意味が込められています。相手に感謝されることを目指し、その後に利益が返ってくる仕組みを経営の柱としています。私が社長になったタイミングでもこの考えをさらに強く打ち出しました。自分たちの利益ではなく、相手のために何ができるかを最優先に考え、その後に利益が返ってくるような経営をする。社員にもこの考え方を共有しました。

論理的な判断と躊躇なき決断で生き延びる

ーーなぜ社長に就任することを決意したのですか。

山口浩志:
社長に選ばれたのは、正解かどうか分かりませんが、論理的に判断を下し、最善の決断に躊躇がないと思われていたからかもしれません。あまり感情を表に出さないとか、ドライだと言われることもあります。経営がうまくいかなくなり、先行きが見えなくなったときに、ローソンさんの全面的な協力を得ることに決めたのも私です。

最終的に、スリーエフはローソンさんとの提携を決断しましたが、この決断はスリーエフを存続させるための判断でした。結果として多くの従業員との別れを決断しなければならず、また、取引先の企業にも申し訳ない思いでいっぱいでした。しかし、この危機的な状況こそが、私が社長になるべき理由であり、新しいマインドセットが求められていたと感じています。

そのままスリーエフ単独で続ける選択肢もありました。ですが、いずれ行き詰まり、スリーエフ事業の存続が難しくなることが見込まれたため、ダブルブランド「ローソン・スリーエフ」での事業継続を選択しました。

業務提携が決定された際、ありがたいことにローソンさんからも、スリーエフの強みを残すマーチャンダイジング(商品化計画)を発揮してほしいとの方向性も頂けたことで、先に述べた「青果」「BOOK」「チルド弁当」「焼き鳥」「デザートのもちぽにょ」が、今もローソン・スリーエフの独自商品として生き続けています。

スリーエフらしいオリジナル商品で売り上げに貢献

ーースリーエフとローソンの関係について教えていただけますか。

山口浩志:
ローソン・スリーエフの商品構成に関しては、結果として6%の商品の調達をスリーエフが行っており、スリーエフのお弁当とチルド寿司、焼き鳥などはローソン・スリーエフにのみ供給しています。

一般的なコンビニチェーンの焼き鳥は電子レンジで調理した商品です。しかし、当社の焼き鳥は実際にお店で専用の調理器で焼いて提供しています。香ばしく、お客様がイメージする焼き鳥に近いものを提供できているのではないでしょうか。また、弁当・惣菜関連では、ローソンさんがカバーできない部分の商品を開発・提供しています。

オリジナル商品の開発にも力を入れ、存在感を発揮させることで、「スリーエフである意義」をお客様にも実感してもらえます。ローソンさんで提供される商品・サービスにスリーエフらしい付加価値を加えられます。当社が提供するオリジナルのおせち料理も、自慢の商品です。商品は他社に負けない品質と自負しています。

そして、ダブルブランドに誇りを持ちながらビジネスを展開しています。ローソンさんと足並みを揃えつつ、当社独自の付加価値を提供していくことが大切ですね。

独自性を大事にしながらフランチャイズ展開を目指す

ーー別ブランド店「gooz(グーツ)」は、今後店舗を増やしていく計画はありますか。

山口浩志:
まだ具体的な話はありませんが、インストアファーストフードに力を入れているgoozは現在直営店舗で展開していますが、今後フランチャイズ展開も検討していきたいです。

小売や飲食店の経営実績がある企業にノウハウを提供し、将来的に拡大する可能性を考えています。ただ今、戦略を再検討している段階です。

店舗ごとの収益性は、通常のコンビニと直接比較することは難しいでしょう。パンやお総菜、コーヒー、お弁当、おにぎりなど売り上げの半分以上が店内で調理しているものです。売り上げの1/5がたばこという典型的なコンビニと比べ、収益性の仕組みが大きく異なります。

人が多くいる場所に出店したからといって売れるわけではなく、賃料があまりにも高いと店舗内で厨房を運営するのが困難になります。特にオフィス街に店を出すと、土日は広大な厨房スペースが活用できません。今は高速道路のサービスエリアやパーキングエリアなどとの相性の良さは証明されていますが、他にも適する立地があると考えています。

ーー今後の展望についてお聞かせください。

山口浩志:
ローソン・スリーエフになって、私たちは2回目の人生をいただいたと思っているんです。一般的にビジネスで行き詰まると再起するのは容易ではありません。失敗から学び、同じ間違いを繰り返したくないという気持ちが、経営における強みのひとつだと思うのです。

ローソンさんのような大手の仕組みを持つ安心感、スリーエフが持つ中小企業のような親近感の二面性を持っていることが重要だと思っています。私たちは加盟店と密接に連携し、加盟店のみなさんと同じ目線で末永くお店を見つめることができる。大手企業と中堅企業の良さを兼ね備えた事業を展開し続けていきたいと思います。

編集後記

スリーエフは創業から現在まで、数多くの変遷をたどっている。

生鮮食品を扱うスーパーのようなコンビニとしてスタートし、主婦や自炊派をターゲットに展開。危機に直面した際は、論理的な判断と果敢な決断で山口氏はその独自性を死守した。

顧客の幸せを第一に考え、それを利益につなげることを経営ポリシーとし、オリジナル商品の開発に意欲を示し、フランチャイズにも焦点を当てる。

失敗から学び、その経験を生かすことの大切さを強調する山口氏。率直なリーダーシップと経験が、業界における独自性を保つ重要な要素となるはずだ。今後もスリーエフの発展に期待したい。

山口浩志(やまぐち・ひろし)/1967年生まれ、神奈川県出身。1992年東京経済大学経済学部卒業後、株式会社スリーエフに入社。経営企画室長、マーケティング部長、執行役員マーチャンダイジング本部長、取締役同本部長などを経て2016年5月、代表取締役社長に就任。