2024年で創業45年を迎えた株式会社ぴえろは、日本のアニメーション制作を牽引してきた存在だ。1980年代には『ニルスのふしぎな旅』や『うる星やつら』をはじめとする時代の代表作、そして近年では『NARUTO-ナルト-』シリーズなど、数々のアニメ作品を世に送り出してきた。
そんな同社を率いるのは、1983年に株式会社スタジオぴえろ(現・株式会社ぴえろ)に入社した代表取締役社長の本間道幸氏だ。日本のアニメーションを世界へとさらに広げている同社の、経営戦略や思いについて聞いた。
「いいアニメをつくりたい」という情熱に触れて変わった私の人生
ーー本間社長がアニメ業界に入ったきっかけを教えてください。
本間道幸:
山形県で長男として生まれ、東京の大学に進学。卒業後は地元に戻り、役所や地元の銀行などに入るという人生に何の疑問も抱いていませんでした。
大学4年時、単位を取り終え、クラブ活動も引退したときに、時間を持て余してさまざまなアルバイトを経験しました。飲食店などいろいろな仕事をしましたが、ふと「普通の会社でアルバイトをしてみたい」と思って足を運んだのが、スタジオぴえろです。そこでカルチャーショックを受けました。
アルバイト4名採用の枠に、何と応募者は270名。面接会場である小金井市の公民館に志願者が大量に集まっていることに「何なんだ、この会社は」と驚きました。
その時に初めて、スタジオぴえろがどんな会社なのかを知ったわけです。当時は『うる星やつら』を「絶賛制作中」と打ち出すなど話題で持ちきりで、私はそのときに初めて漫画を借りて読ませてもらいました。そんな私が、なぜか3次面接までクリアして、無事にアルバイトとして採用されることになったのです。ここから私の人生は、大きく変わりました。
ーースタジオぴえろとの出会いは、社長にとってどんなものだったのでしょうか。
本間道幸:
当時の弊社は、社員数20名ほどの規模でしたが、すさまじい才能と情熱を持ったクリエイターや、プロデューサーが在籍していました。私はそういった方々と寝食をともにしながら仕事をしていました。
そこで、今まで自分が出会ったことがないアニメーションを生み出すエネルギーに触れ、自分自身の人生や仕事を見直さなければいけないという思いに駆られてしまったのです。自分の将来、とりわけ仕事に関しては何の疑問も持たずにスタジオぴえろを選んだことによって、価値観が揺らぐほどのインパクトでしたね。
改めて代理店やテレビ局、制作会社などいろいろな会社を比較したいと就職活動を始めたのですが、それが頓挫してしまう出来事がありました。
ーーそれは一体どんな出来事だったのでしょうか?
本間道幸:
当時、スタジオぴえろに在籍していた押井守さんの『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の制作現場に触れたことです。
押井さんをはじめとしたアニメーターの方々のひたむきな姿を見て、「この人たちのためなら、何日徹夜してもいい」と感化され、就職活動どころではなくなってしまいました。夢を持った人たちが集まるこの現場に居続けたいと思うようになり、アニメーション業界に身を置く決断をしました。
そして更にはスタジオぴえろ創業者の布川郁司との出会いが私にとって大きな出来事でした。彼が創業間もない頃、20代の私たちに対して夢を語り「一緒にやっていこう」と言い続けてくれたからこそ、今の私があると思っています。
プロダクションとして「制作を1週も落とさない」という覚悟が会社を強くした
ーー2012年に社長に就任されて以来、苦労されたことを教えてください。
本間道幸:
私が社長に就任することが決まっていたのが2011年。折しもそのタイミングで東日本大震災が発生し、アニメーションの放映が一時ストップした放送作品もありました。「あと2ヶ月中止が続いたら、会社は持たない」と覚悟した時期もあります。
そんな時、助けてくれたのがクリエイターやテレビ局、出版社の方々でした。当時は「命を優先するべきなのでは」「今、アニメをつくっている場合ではないのでは」など、いろいろな声がありました。
「ここで踏ん張って仕事をすることが、会社を守り、ひいては社員の命を守ることにもつながる」と仲間たちに何度も話し、何とか持ちこたえたという経験があります。
ーー制作会社として存続するために取り組んできたことをお聞かせください。
本間道幸:
毎週放送を楽しみにしてくださる方のために、「1週たりとも放送を落とさない(期日に間に合わせる)」という姿勢です。たとえば、あるシリーズはTVアニメだけでも1,000話以上。これだけの作品を1週も休まずにオンエアできたのは、弊社だからだと思っています。
ひとつの作品に対してどれだけ丁寧に、末長くファンの方々にお見せできるかという姿勢は、戦略というよりは私たちの意志です。プロダクションとしての生命線だと考えています。もちろん、エピソード数の多い作品を生み出すことは、海外展開においても有利に働きます。
海外展開と技術革新を進め、アニメ業界を目指す人が人生を描ける世界に
ーー今後の展望についてお聞かせください。
本間道幸:
まず、弊社が考えているのは海外展開です。比較的著作権に対する意識が強い欧米は、アニメーション映像や商品を展開することで収益がしっかりと得られる風土です。「作品にはきちんとお金を払う」という文化があるからこそ、欧米市場からの収益は大きなウエイトになっています。
世界180数カ国のうち、2022年アニメ人気ランキングのトップテンに入る作品がいくつもある私たちにとって、欧米以外の地域にどう展開するかは大きな課題です。
そして中国は今や欧米に次ぐ大きな市場になっています。これから、他の地域の配信事業やモバイルゲームなどの市場にどうアプローチしていくかを、積極的に考えています。
また、今アニメーション業界は、技術革新が求められています。
最初から最後までデジタルで制作することが不可能ではなくなっている今だからこそ、動画の中割り(原画と原画の間をつなぐこと)、色付け、仕上げ、撮影、進行管理などの制作工程を全てデジタルで管理でできれば、制作が効率化しコストダウンにもつながるはずです。
私たちはこうしたデジタル制作が担える人材を採用・育成していきたいと思っています。
今までのアニメーション業界は、長時間労働や低賃金などのイメージがつき、なかなか人材が集まらない現場でした。クリエイターが「会社に所属しても、人生設計が不安だ」と考えてしまっているのです。「アニメでは食えない」というイメージが払拭できなければ、業界は衰退してしまいます。
アニメーション業界においても、この業界にいて自分の人生を考えられ将来をイメージできるようにするべきですね。そのために、私は業界を変えていきたいと思います。
編集後記
日本のアニメーション業界を常に牽引してきた株式会社ぴえろ。数々のヒット作を生み出してきたその背景に、クリエイターとしての思いと信念を感じた。ただつくるだけでなく、その先にしっかりと利益を生み出すことの大切さを話す、本間社長の戦略と業界への熱い思いが印象的なインタビューとなった。
本間道幸/1961年生まれ、山形県鶴岡市出身。1983年日本大学経済学部経済学科卒業後、株式会社スタジオぴえろに入社。制作プロデューサー、営業部本部長として数々のアニメ作品を手がける。常務取締役、専務取締役を経て2012年7月同社代表取締役社長に就任し現在に至る。一般社団法人日本動画協会理事、一般社団法人2.5次元ミュージカル協会理事を兼任し、アニメ業界の発展に取り組んでいる。