※本ページ内の情報は2026年8月時点のものです。

建設現場を支える施工管理技術者や技能労働者の不足は深刻化しており、建設業従事者の29歳以下の割合は1割まで落ち込んでいる。1958年に京都で創業し、公共工事と民間工事において土木や建築など、幅広く請け負っているのが、株式会社朝日組だ。同社の代表取締役である中務了夫氏に、入社から社長就任に至るまでの道のりや、同社の社長就任から30年にわたり堅実な経営を貫いてきた背景、ICTを活用した新たな働き方、そして次世代への事業承継に向けた展望についてうかがった。

土木の道を離れたときにつながった朝日組との縁

ーーいつ頃から土木の仕事に関心を抱いたのですか。

中務了夫:
もともと勉強が嫌いで家も裕福ではなかったので、高校を卒業したらすぐに働こうと考えていました。高校進学時、中学校の先生に「確実に合格できる」といわれたことから土木科を選びましたが、特別に土木の仕事に興味があったというわけではありませんでした。

ーー貴社に入社し、社長に就任するまでの経緯を教えてください。

中務了夫:
高校卒業後、新日本土木株式会社で2〜3年働きましたが、20歳前後の自分にとって土木の仕事は危険でしんどいという気持ちのほうが強かったのです。そこで、思い切って退職し、生まれ育った岡山県で1年ほど過ごしました。

そんな時、朝日組に勤めていた同級生から「手伝いに来てほしい」と言われたことをきっかけに、弊社で働き始めました。もともと社長になりたいという願望はなかったのですが、縁あって創業者の娘である妻と結婚しました。その後、会社を継ぐはずだった創業者のご子息が先に亡くなられ、1996年に創業者も他界してしまったのです。その結果、当時専務を務めていた私が会社を継ぐことになりました。

社員の生活を守るための事業展開と目標

ーー改めて貴社の事業内容を教えてください。

中務了夫:
弊社は京都と滋賀を中心とした土木工事をメイン事業としており、現在の事業割合は公共工事が30%、民間工事が70%ほどです。創業から68年になりますが、当初はゼネコンの協力会社として業務を請け負っていました。しかし、利益をしっかりと確保していくために、50年ほど前から公共工事の直接受注にも力を入れるようになりました。

現在の公共工事の入札では、業者ごとのランクに応じて受注できる工事金額が決まっています。インターネット経由の「電子入札」に参加する仕組みが多く取り入れられているのです。弊社は京都市の土木工事の等級ではAクラスを取得していますが、同クラスに約30社がひしめく中で、毎回受注できる保証はありません。

一方、7割を占める民間事業では、互いの専門分野を尊重した協調的な事業展開がなされています。特定の顧客や領域に集中することで、各社の強みや専門性を活かすことができるのです。

ーー貴社の強みはどのようなところでしょうか。

中務了夫:
弊社には29名の社員が在籍しており、現場においても自社社員を一定数配置できる体制を整えています。現場を自社社員が主導することでコミュニケーションが円滑になり、スタッフ全員が同じベクトルで業務に取り組むことができます。結果として、現場での方針や考え方が統一されやすく、安定して高い施工品質を維持できるのです。

こうした密な連携と統一された現場管理は、安全面にも大きく寄与しています。事実、弊社ではここ数年にわたり無事故・無災害を継続しています。

ーー会社を長く存続させる上で、最も重視している目標を教えてください。

中務了夫:
一番大切にしているのは、働いている社員が安定して生活できることです。従業員は会社の財産ですから、人並みの生活ができることが何よりも重要です。そのためには、創業者から引き継いだ堅実さをもって、今の状態を安定的に維持していかなければなりません。京都は市場が狭く業者数も多いため、無理な経営をするとどこかで破綻してしまいます。安定経営を維持できる状態をしっかりと確保し、社員を守り抜くことが何よりの目標ですね。

日々安全に作業を行うことへの強い思い

ーー経営を続ける中で、これまでにどのような困難がありましたか。

中務了夫:
私が社長に就任した1996年頃はバブルが完全に弾け、世の中が一気に下り調子へ向かっていく非常に重苦しい時代でした。好景気に沸いていた頃、周囲の同業他社は本業以外の不動産投資などさまざまな事業に広く手を出していました。しかし、バブル崩壊とともにそうした会社は軒並み巨額の赤字を抱え、倒産に追い込まれたり経営者がいなくなったりと、悲惨な現実をたくさん目の当たりにしたのです。

しかし、そんな激動の時代にあっても、弊社の創業者は周囲に流されることなく、一切そうした投機的なものには手を出しませんでした。ひたすら真面目にコツコツと商売を続け、きちんと納税をしていく姿勢を愚直なまでに貫いたのです。創業者が遺してくれた堅実さというぶれない地盤があったからこそ、荒波に飲み込まれずに舵取りをすることができました。今こうして弊社が創業68年目を迎えられているのも、誘惑に負けず、真面目に本業を貫く精神を引き継いでこられたからだと、しみじみと感じています。

ーー危険と隣り合わせの建設現場において、最も大切にしている考えは何ですか。

中務了夫:
建設業の労働災害による死亡者数は年間約300名に上ります。以前よりは少なくなってきていますが、数字からも危険な労働環境だということがわかります。現場に行ったときには「今日一日、怪我をしないよう、慌てず、安全に作業するように」と必ず伝えています。

また、私たちの業界は発注者や役所の職員、近隣住民など、さまざまな方との関わりがあります。そのため、日々問題も出てきますが、一つひとつ丁寧に解決して乗り越えていくことが大切だと感じています。人生には苦しいことがつきものですが、私はいつも「時が解決してくれる」と考え、前向きでいることを心がけています。

次世代の心を惹きつける建設業の面白さとICTによる進化

ーー貴社の課題と、改善のための取り組みを教えてください。

中務了夫:
最大の課題である人材不足を解消するために、採用の方法から変えていきます。今まではハローワークに求人を出すだけでしたが、最近は採用担当者が関西の大学・高校を調べ、就職担当者の先生方と連絡を取り、直接面談やリモートでの採用活動を実施しています。次世代を見据えた体制強化により、組織を刷新していく方針です。

ーー採用が厳しい中で、新入社員の採用状況はいかがですか。

中務了夫:
今年、1人の若手が入社しました。なぜ弊社に応募したのか聞いてみると、特に技術職に就きたかったわけではなく、弊社の名前が入ったダンプトラックが走っているのを見て「かっこええなあ」と思ったからだそうです。実際、現場で一度トラックに乗せてみたら「これです!」と目を輝かせていました。彼は現在免許の取得を目指しつつ業務に励んでいますが、私たちが当たり前だと思っている風景の中に、次世代の心を惹きつける要素があるのだと、大変面白い発見でしたね。

ーー次世代を担う人材にとって、建設業にはどのような魅力があると考えますか。

中務了夫:
仕事のスケールが大きく、一つの工事が無事に終わったときには、得意先も我々も含めて「無事に終わった」と大きな達成感を得られます。現場の社員が発注者の方と同じベクトルで物事を進め、一つのものをつくり上げるやりがいは、他の仕事ではなかなか味わえない魅力です。

また、最近は重機の操作方法も進化しており、手元でコントローラーを動かして大きな機械を操作するスタイルも増えています。実は、テレビゲームが得意な若者は、そうした重機の操作が上手いという意外な事実があります。肉体労働という昔ながらのイメージだけでなく、次世代ならではの感覚が活かせる場面が確実に広がっているといえるでしょう。

ーー生産性の向上に向けた新たな取り組みはありますか。

中務了夫:
会社を守るためには、ただ現状を維持するのではなく、新しい技術を柔軟に取り入れていく必要があります。現場の自動化や書類の電子化による効率化に加え、最近ではドローンを活用した測量を取り入れています。

若手社員が講習に行って資格を取り、現場でドローンを飛ばしてデータを収集するシステムです。これまでは何人もの人手をかけていた測量作業が、データを打ち込むだけで簡単にできるようになりました。機械もそれに対応しています。少ない人数でも高い生産性を出せるように、こうしたICT化を進めることで、働きやすい環境へとアップデートしています。

組織の刷新と次世代へのバトンタッチ

ーー今後の事業承継や次世代リーダーの育成について、展望をお聞かせください。

中務了夫:
私たち経営陣も年齢を重ねてきたため、事業承継は非常に重要な課題です。社長が代わるタイミングで、次世代の幹部を養成し、登用していく必要があります。現在いる人材の中から責任者をどう見極めていくかが直近のテーマですが、役員を含めて組織全体の刷新に努め、これからも長く社員を守り続ける会社を目指していきたいですね。

ーー最後に、これからの業界を担う人材に向けたメッセージをお願いします。

中務了夫:
私は、人とのつながりを大切にするとともに、謙虚でいることも大切だと考えています。また、私の若い頃は親や先生から「我慢することが自分の財産になる」と言われました。仕事をする上でも、ある程度は我慢することが結果的に自分の力になると思うので、すぐに逃げずに一度踏みとどまって頑張ってみてほしいですね。そうすることで、新たな可能性と、将来の自分を助ける確かな経験というものが得られるはずです。

編集後記

建設現場で人が亡くなるというニュースを目にする機会は少なくない。どれだけ気を付けてもヒューマンエラーは起きてしまうと語る中務氏。現場の危険な労働環境や仲間を失う悲しみを知っているからこそ、一日一日を事故なく安全に過ごしてほしいという強い思いを抱いていることが、インタビューからもうかがえた。創業者がバブル崩壊の荒波を乗り越えて築いた堅実な地盤を引き継ぎ、「社員の生活を守る」ことを第一に貫いてきた中務氏の言葉には、長年現場を守り抜いてきた経営者ならではの重みがある。昔ながらの堅実さを大切にする一方で、ドローンなどのICT技術を柔軟に取り入れ、変化を恐れない株式会社朝日組。次世代へのバトンタッチを見据えた同社のさらなる挑戦を、今後も追い続けていきたい。

中務了夫/1950年、岡山県岡山市生まれ。岡山県立岡山工業高等学校土木科を卒業。1968年、新日本土木株式会社に入社。1973年に株式会社朝日組に入社。1996年、同社代表取締役に就任。京都府東山警察署の交通安全活動並びに地域防犯活動にも注力している。