
2006年に大阪府堺市で設立された照建株式会社。地元での存在感を高めながら、実績がなければ入札すら叶わない公共工事を多数勝ち取ってきた土木工事会社である。大きな特徴は、公共施設から民間施設まで、すべての工事を自社で担うワンストップ体制だ。代表取締役の中田照治氏に、創業の経緯や建設業界における強み、今後の展望をうかがった。
子ども時代に「建設業の社長」を志し、32歳で独立
ーー建設業界で起業するまでの流れをお話しいただけますか。
中田照治:
伯父が建設業で成功していたので、物心ついた頃には自分も同じ仕事をしようと考えていましたね。小学校の卒業文集にも「建設業の社長になる」と書いた記憶があります。高校は土木科を選び、土木関係の知見を身につけ、卒業と同時に建設会社へ入社しました。
入社後は毎朝5時台に集合して、現場へ向かう生活がスタートしました。工事現場は交通の便が悪い場所が多いためです。慣れないうちはハードでしたが、入社2年目から現場の責任者に近い仕事を任されるようになり、大小さまざまな案件を経験することができました。
ターニングポイントは、国家資格の「一級土木施工管理技士」に合格したことです。自ら現場で専任技術者を担えるということは、起業に必要不可欠な条件の一つと考えていましたので、独立するきっかけの一つになりました。
ーー起業当時のエピソードや成長の過程もうかがえますか?
中田照治:
中古車店で7万円の軽トラックを1台購入したほかは、何も持っていない状態でしたね。引退した同業者に仕事道具を譲ってもらうなど、周りの方々にとても助けていただきました。中でも、草刈りや溝掃除といった、小さな仕事で呼んでくれる人たちに救われたと感じています。
今思えば当然ですが、あてにしていた先輩や会社員時代のお客様には「駆け出しの人間にまとまった仕事を任せられない」と一刀両断されてしまったのです。仕事を選んでいる余裕は一切ないところから、地道に仕事を積み重ねることで信頼を得ていき、少しずつ工事の案件が入ってくるようになりました。
創業から2年間は僕より一回り年下の社員と、前職で出会った職人さんを含む3人体制でしたが、気付けば従業員数は30人を超えていました。これは、リーマン・ショックの影響がプラスに働いたのだと思います。建設業界が厳しくなり、他社が職人を手放したことが弊社の雇用につながった側面もあり、スモールスタートから彼らを守りながら順調に成長していけたので、それが現在の会社の価値につながっているのです。
先端技術の導入と多様な働き方であらゆる建設事業に対応

ーー貴社の事業内容や強みを教えてください。
中田照治:
幼稚園や公園などの公共施設、店舗や工場などの民間施設まで幅広い建設業を自社だけで行う一貫体制を備えています。売上全体で見ると、南海電鉄様の高架工事や沿線の維持・メンテナンス、耐震補強などが2割弱。堺市・大阪府などの公共工事が3割、民間のデベロッパー様から請け負う造成工事が3割、残る2割は下請けの建築工事という、複数の軸を持っています。
弊社の強みは、一貫体制に加え、工事現場に撮影用ドローンやICT(情報通信技術)を取り入れてきた先進性にあります。建設業界のICTとは、紙ベースで管理していた工事プロセスをデジタル化する手法で、特に求められていない現場でも、将来的には必要になるという見通しを持って、いち早く導入に踏み切りました。
ーー労働環境や社風にも特徴があるのでしょうか?
中田照治:
部門や役職ごとに給与体系を明確にするだけでなく、個人の希望に寄り添う労働スタイルを設けています。
女性従業員が増える中で、「労働時間を区切って働きやすくしてほしい」という要望に応え、ワークライフバランスに配慮した働き方を設定したことは、業界内で稀有な取り組みだと言えるでしょう。現場の仕事と同じように、自分の都合も大切にできる環境だからこそ、最大の能力を発揮しようとがんばってくれている人が多いと感じています。
また、役職や国籍が異なる社員同士がコミュニケーションをとる機会も、意識的に設けています。気楽な食事会や季節行事、歓送迎会、社員旅行を含めて月1回はイベントがある会社です。
次世代を担う人材を育てつつ、より地元住民に頼られる会社へ

ーー現在注力しているテーマはありますか?
中田照治:
人材育成に力を入れています。売上を伸ばすだけでなく、持続可能な会社にしていくためには、今いる人材を育てることはもちろん、定期的に若い人を採用することも必要だと考えています。
育成方針としては、土木工事では何よりも安全が第一なので、安全意識を高める勉強会を定期開催しています。職長クラスになると、経営会議にも参加してもらいます。経営者と同じ目線で、会社の状況を判断し方針を考えられる人間を増やし、後継者の育成にもつなげたいところです。
ーー今後の展望をお聞かせください。
中田照治:
公共工事の割合を伸ばしていきたいと考えています。日本で建設業に携わる以上、ライフラインを支えることは使命だと思っているからです。事業を通して、将来的にはより社会に貢献したいという思いが強くあります。
自身が生まれ育った地元・堺市で仕事に恵まれたこともあり、創業20周年を迎えたこの会社が、健全な土木会社として、もっと地元に密着できるといいですね。目指すのは、街で何かあった時にはみんなが「照建」を思い浮かべて真っ先に頼ってもらえる、そんな会社になることです。
また、数字的な直近の目標としては、年間売上高30億円の達成を掲げています。僕が60歳となる10年後には、50億円・従業員数100人以上の会社にしたいですね。
編集後記
小学生からの夢を叶えて、建設会社の社長となった中田氏。職人を大切にする姿勢と仕事に対する誠実さ、安全第一への心がけが照建を大きくしたことは明らかだ。インフラの維持が重要課題となるこの国で、地域に欠かせない企業として、さらなる成長を遂げるだろう。

中田照治/1974年生まれ。大阪産業大学附属高等学校を卒業。1993年、南海辰村建設株式会社に入社。2006年、照建株式会社を設立し、代表取締役に就任。