※本ページ内の情報は2024年5月時点のものです。

バブル崩壊後、低迷していた日本の製造業が活況を取り戻している。日本経済復活の根底に存在するのは、大手メーカーを縁の下の力持ちとして支える中小企業だ。しばしば「町工場」が話題になるが、ものづくりの現場は都市部だけではない。

奈良県吉野郡川上村。豊かな山林に囲まれたこの「村」に、ものづくりでイノベーションを重ねてきた企業がある。金属パイプ加工の特殊技術を持つ、株式会社東谷製作所だ。

今回は代表取締役の東谷孝則氏に、同社がさまざまな経営環境に対応し、市場競争を勝ち抜いてきた経緯と、今後の戦略をうかがった。

3日間の徹夜によって必死で体得したものづくり

ーーどのようなきっかけで東谷製作所で働き始めたのでしょうか。

東谷孝則:
父は個人事業として、ナットなどの金属部品を製造していました。幼少期から、父がオートバイで大阪の取引先まで納品する姿を見て育ったので、少しでも早く手助けしたいと思っていました。そのため、就職活動はせず、高校を卒業してすぐに父のもとで働き始めました。

ーーどのようにして技術を学びましたか?

東谷孝則:
当時の先輩方は、自分で体験することで学ばせるという方針でした。したがって、私も手取り足取り教わるのではなく、仕事をしながら覚えました。

当時、銅パイプの事業を展開したばかりで、この分野に関しては、まだ技術が確立されていませんでした。そこで、外部に習いに行くなど、試行錯誤しました。簡単な仕事から始めて、失敗を積み重ねながら技術を蓄積していきました。

ーー特に苦労したことについて教えてください。

東谷孝則:
18歳で仕事を始めたので、周囲は年上ばかりです。取引先で注文を取って従業員に作業を指示するのですが、なかなか指示を受け入れてもらえず、苦心しました。

当時は自分を良く見せたいという気持ちが大きく、背伸びしすぎて無理な仕事を取ってくることもあり、3日間寝ずに働いたこともありました。何度も失敗して試作品をつくったのですが、完成には至りませんでした。しかし、その過程で新しい技術を身につけることができました。

このような体験を通じて最も重要だと感じたことは、信頼関係です。言われたことに対して、できることとできないことを即答できないと、人からの信頼は得られません。ありのままの自分を見て評価していただき、取引していただく。それが身についたのは30代になってからです。

「失われた30年」を乗り越えた堅実経営

ーー代表就任の経緯をお聞かせください。

東谷孝則:
弊社は1996年に個人事業から株式会社に組織変更しました。事業承継をスムーズに行うことが目的でした。法人化後は専務として経営を任され、2006年に代表に就任しました。

ーー経営者として重要だった決断はありましたか。

東谷孝則:
国内景気が低迷した1990年代は、メーカーの海外へのシフトが進んだ時期です。弊社も取引先から一緒に海外進出を打診する話があり、現地調査をして資金調達も計画しました。

しかし、結果的には海外進出は見送りました。リスクが大きすぎると判断したのです。国内も地獄、海外も地獄という状況であれば、勝手を知っている国内で勝負する方が得策だと思ったのです。

ーー不況を乗り越えられた要因は何だと思いますか。

東谷孝則:
バブル期に借金をつくらなかったので、返済のために苦労することはありませんでした。そして、需要はどんなに減っても、ゼロになることはありません。他社が手を出したがらない、複雑で難易度が高い仕事を地道に取ってくることで、競争に勝ち残れました。

新たな加工法・独自の技術・経営効率化による差別化戦略

ーーどのようにして他社との差別化を図ったのでしょうか。

東谷孝則:
完成品の図面は決まっていますが、その加工方法は指定されていません。山登りが一本道ではないのと同じです。他社と違う方法を工夫することで、加工の難しいものをつくってきました。ものづくりは、今がベストだと思ったらそこで技術の進歩が止まります。現在も継続して新しい加工技術を開発しています。

ーー地方で事業を展開するにあたって意識していることをお聞かせください。

東谷孝則:
遠さを感じさせないことが重要です。弊社は、どこよりも業界に対してアンテナを張って、情報を取り入れています。たしかに、都市部の取引先に近い方が小回りが利いて有利です。同じものを同じ単価でつくったのでは、都市部にある他社に負けてしまいます。

しかし、地方は設備投資のコストが低いなど、悪いことばかりではありません。そして、技術革新と経営効率化で他社よりも良いものをより安くつくれば、お客様に選んでいただけるのです。

IT化を他に先駆けて推進。先見性で担う「未来のものづくり」

ーーDXも積極的に進めているとうかがいましたが、どのような取り組みをしているのでしょうか。

東谷孝則:
弊社はWindowsが普及する前からパソコンを導入しています。紙で管理していた2万点の図面を電子化したことで、業務のスピードが飛躍的に改善しました。現在は、独自のシステムを使って、生産管理や在庫管理などの業務プロセスを最適化しています。

また、品質規格のISO9001認証を取得しました。不良品を出さないということもコスト削減になります。そのほか、物流の効率化にも取り組んでいます。

ーー求める人材について教えてください。

東谷孝則:
「成長したい」と思っている素直な人です。自分の意見に固執していると、自分でつくった限界を超えることができません。人の意見を取り入れることが、成長するためには大切です。現在、将来の経営者候補を採用し、育成しています。現場に詳しいだけでなく、視野の広い、若い管理職を育てたいと思っています。

ーー若い人たちに、ものづくりの魅力についてお伝えいただけますか。

東谷孝則:
AIの時代になっても、人間がいる限り、ものづくりはなくなりません。最先端のIT技術も、根底には日本の技術力が活かされています。

ものづくりは「楽」な仕事ではありませんが、「楽しい」仕事です。大変なときもありますが、それを乗り越えて製品が完成したときの喜びがあります。弊社は地道にコツコツやってきました。夢や希望のあるものづくりに、ぜひ興味を持ってください。

編集後記

東谷製作所の応接室には吉野杉のテーブルがあった。東谷代表によると、地元の木材をアピールしているのだという。

地域経済に貢献する一方で、外部環境を見て新しいものを取り入れてきた。決して無理をせずにできることを積み重ね、社員・地域・顧客との間に信頼関係を築き、事業を拡大した。

大地に根を深く張り、光を浴びて育つ樹木のように、堅実に成長する東谷製作所は、これからも会社の歴史という年輪を刻み続けるだろう。

東谷孝則/1956年、奈良県生まれ。高校卒業後、創業者の父と共に金属加工事業を拡大させる。1996年に法人化し、株式会社東谷製作所を設立。2006年、代表取締役に就任。川上村商工会会長を務め、地域貢献にも注力している。