株式会社コメ兵 ~「役員就任まで店頭に立ち続けた」経営者が明かす差別化戦略の全貌~

Vol.1 スポーツから学んだこと

株式会社コメ兵 代表取締役社長 石原 卓児 (2015年5月取材)

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【聞き手】

本日は、この東海地区から全国へ向けてリユース業を展開されております、コメ兵の4代目社長、石原卓児社長にお話を伺っていきたいと思います。それでは社長、よろしくお願い致します。

【石原】

よろしくお願いします。

-幼少期の経験とスポーツから学んだこと-

【聞き手】

生まれも育ちも名古屋と伺っています。

【石原】

そうですね。ずっとこの大須(名古屋市中区)で育ってきた場所でありますので、コメ兵が確かに創業した場所でもありますけど、私が幼い頃からずっと遊んでいた場所で、色々な商店街の人たちにも育てていただきました。会社だけでなく、私個人も育てていただいた町だと思っています。

【聞き手】

ちなみにどんなお子さんだったのですか?

【石原】

コメ兵は、うちの場合は両方とも共働きだったので、家に帰っても親がいない。それはうちだけではなくて、商売屋の娘さん、息子さんが多かったので、必然的にどこかの家、もしくは誰かの家か公園とかでみんなが集まって、野球をやったり、鬼ごっこをやったり、公園で遊ぶことが多かったですね。

【聞き手】

地域の方と一緒に育ってきたという感じですね。

【石原】

そうですね。たぶん大人は、どこも子どもを見てもどこの息子だ、娘だと把握されていたので、悪いことをした時はちゃんと怒っていただきましたし、いいことをやった時は褒めてもらいましたし、地域ぐるみで育てていただいた記憶がありますね。

【聞き手】

ちなみにスポーツとか勉強とか、その辺りはやられていたのですか?

【石原】

中学校からはずっとラグビーというスポーツをしていまして、それまでは水泳をやったり野球をやったり、どちらかというと習いごとと言うよりは部活をずっとやっていました。中学校からは、当時スクールウォーズが流行っていた時がありまして、それをきっかけに私も野球をやめてラグビーに変わって。地元の中学校卒業なのですけども、実は愛知代表として、その時は全国大会に行きました。それで高校、大学、社会人でもラグビーをやるようになりました。社会人は趣味でやっているクラブチームみたいなものなのですが、27,8歳くらいまではラグビーをずっとやっていたので、15年間ぐらいはラグビーをしていたと思います。

【聞き手】

結構激しいスポーツをやってこられたのですね。

【石原】

やはり自分だけで行くんじゃなくて、みんなで前にちょっとずつ陣地を取っていかないと、勝てないんだというのはやはりチームスポーツの素晴らしさだと思いました。そういう意味では、仲間のみんなと苦しいところを耐えて、その先に勝ちというものがあるのだと教えてもらった素晴らしいスポーツだと思います。

【聞き手】

よくラグビーではワンフォーオール、オールフォーワンと言われますけど、その精神というのは今もご自身の中で生きているのでしょうか?

【石原】

私が若かった時というのは、誰よりもたくさん販売したい、買い取りもしたいと、野球で例えると、エースで4番的なことをやりたかったものが、若手から、それぞれのチームをまとめていくリーダーというポジションに上がっていった時に、やはり自分1人では何もできないということを本当に感じました。個人個人の力が強いことは前提でありながら、それをまとめられるようなチーム組織力ができた時の成果というのは、非常に前から大きく変えられてきた。コメ兵という会社自体がそういう会社だったので、誰か素晴らしい方がいるというよりも、確かに全員ががんばっている、誰かがすごくいいわけじゃなく、みんなが一緒に相乗効果で上がってきて、長く続けてこられたというのはコメ兵の歴史だと思います。そういう意味では、私が社長になってもそれは自然に感じましたし、やはり自分もそれを、自分がやるんだというよりも、自分もやるんだ、みんなでやるんだというのを大事にしています。

社長プロフィール

President's profile
氏名 石原 卓児
役職 代表取締役社長

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