兵庫県西脇市、播州織(ばんしゅうおり)の産地で、50年以上にわたって生地をつくり続けてきた株式会社播。現在の代表取締役社長は、新卒入社から同社一筋の藤井康誠氏だ。地場産業を守るため、どのような取り組みを行っているのか。挑戦と今後の展望について話を聞いた。
地元産業に根差しつつ、新たな展開を模索する縫製と販売
ーー社長に就任するまでの経緯について、お聞かせください。
藤井康誠:
大学卒業時、地元に戻って就職するために公務員を目指しましたが、うまくいきませんでした。そこで、地元の産業に携わろうと親戚に紹介してもらい、1985年に産元商社(産地元売り商社。産地にある元請けの商社のこと)である弊社に入社しました。
営業で1番の成績を挙げ、37歳で取締役部長に昇進。その後、常務取締役、代表取締役副社長を経て、2020年に代表取締役社長に就任しました。特に役員や社長になることを望んでいたわけではなかったので、私も以前は会社への不満を口にすることもありました。ただし、地位が高くなればその愚痴の元になるような点を解消できると感じ、地位が上がるごとに不足と思う点の改善をするように努め、現在に至っています。
地場産業の強みを活かして生地から製品までを一貫して提供
ーー現在の事業内容について教えてください。
藤井康誠:
弊社は兵庫県西脇市の名産品である播州織の生地をつくることを主とする会社です。播州織は歴史も200年以上あり、日本の先染織物の約7割を生産しています。弊社は産地に根付いたものづくりを大切にしながらもグッドデザイン賞を受賞するなど、織布工場を持つ事業者の中でも上位です。加えて、2023年に自社の生地を自社で縫製する工場の稼働を開始し、2024年4月には東京都台東区蔵前に自社生地・自社縫製の製品を販売する店舗「Boon Life Base(ブーンライフベース)」をオープンしました。西脇市内に2店舗目のオープンも計画中です。
地場産業の未来を見据えて縫製事業へ参入し、こだわりの製品とサービスを展開
ーーなぜ縫製事業に参入したのでしょうか。
藤井康誠:
生地が縫製されて販売されるときには、最終縫製地が産地として表示され、播州織のことは表に出ません。これを受けてコロナ禍以前、西脇市長が「どこか縫製まで行う会社はないか」とお尋ねになったので、もともと縫製に興味のあった弊社が手を挙げました。縫製参入の話はコロナ禍で一旦途切れてしまいましたが、その後、「海外に縫製に出した生地がコロナ禍による輸送の断絶で戻ってこないという問題が発生した」と耳にし、縫製を国内で行うことの重要性を再認識したのです。コロナ禍後に改めて縫製に参入し、生地生産、縫製、販売を自社でできるようになったことで、他社さんとの大きな差別化ができたと思います。
ーー製品やサービスについて、どのようなこだわりを持って取り組んでいるのでしょうか。
藤井康誠:
弊社のこだわりは、播州織とその製品を播州で生産することにあり、他の地方や海外に外注することはありません。また、店舗で販売するのは、柔らかく身につけやすいことを重視した製品が中心となっています。サービス面では、生地・縫製を自社で手がける強みを活かすことを心がけています。たとえば、形が気に入る商品があれば、他の生地を選んでいただいてつくることも可能です。オーダーシャツも、店舗からタブレット端末で工場に採寸情報を送信し、1週間以内の短納期で仕上げる技術力を持っています。
ブランド構築と運営における社員との協力体制
ーーブランドの構成や運営に関して、社長ご自身の関与の度合いや社員との協力体制について教えてください。
藤井康誠:
私が営業の現場に同行することがあり、縫製への参入も私の考えによるものでしたが、工場の運営やブランド制作などは社員に任せています。私が社長になる前から、そのような社風です。テレビ東京の「日経スペシャル ガイアの夜明け」で紹介された弊社オリジナルストールブランドの「fabori(ファボリ)」もデザイナーに任せており、報告に対して許可・不許可は出しましたが、役員は細かいところに口を出していません。ブランド名も従業員で話し合って決めました。現在、店舗展開している「Boon Life Base」のブランドも、社員がアイデアを出して構築していますね。
ーー今後の取り組みについて、どのような計画や目標をお持ちでしょうか。
藤井康誠:
生地だけを販売することは現在も行っていますが、生地を先方が調達して縫製だけを行うことはあまり引き受けていません。縫製工場は自社生地・自社販売製品100%になるのが目標で、開始から1年経過した現在は60%くらいです。2店舗目の西脇店は2024年9月14日にオープンし、順調な滑り出しです。オンラインのオーダーも始まっています。
こういった取り組みを支える人材として、縫製ができる方や、デザイナーに入社してほしいと思っています。
ーー今後のビジョンについてお聞かせください。
藤井康誠:
何よりも産地を守っていきたいですね。播州織の企業も生産量も減少しています。理想をいえば、西脇でつくった生地やその製品を海外にも販売できるようになるのがベストです。実は以前は、播州織の生地はほとんどが輸出品でした。日本の生地を再度、海外に届けたい。その第一歩として、たとえば日本に滞在している間に服をつくることができたら、喜ばれるかもしれませんね。ただ、弊社は定年が65歳で、私は今62歳です。あと3年で新しいことを始めるのは難しい。私自身は今取り組んでいることを確立させて、引き継ぐことに力を入れていきたいですね。
編集後記
印象的だったのは、藤井康誠代表取締役社長の謙虚さだ。自分の功績を語らず、強みなどは何度も尋ねて、やっと話してくれた。「任せきり」と話す工場の運営やブランドづくりも、語られない尽力や功績に満ちているに違いない。そのような社長が率いる会社で、始動したばかりの「Boon Life Base」ブランドは、どこまで進化していくのか。また、社長の意思を継いだ10年後、20年後には、株式会社播が、そして播州織の産業が、どのような姿を見せてくれるのか。きっとそこには、明るい未来が広がっているに違いない。
藤井康誠/兵庫県出身。1985年、株式会社播に入社。営業を経験した後、取締役部長、取締役常務、代表取締役副社長を経て、2020年に代表取締役社長に就任。