株式会社ナンバホームは、1945年に岐阜県下呂市の飛騨金山で製材工場として創業した。1950年代より建築に携わるようになり、現在は愛知県尾張旭市に本社を移転し、木造建築に特化した不動産事業を展開している。同社が着実に事業を成長させている秘訣はどこにあるのだろうか。同社の3代目社長で代表取締役の難波孝憲氏に、話をうかがった。
目的に向かって走り、乗り越えることに喜びを感じる
ーー社長に就任されるまでの経歴を教えてください。
難波孝憲:
私は1974年に、岐阜県下呂市金山町に生まれました。姉と兄がいたので、子どものころは後継ぎになるという意識がなかったのですが、20歳のときに兄が亡くなってしまい、急きょ、私が継ぐことになりました。設計や建築に必要な資格をとるために学校に入り直した後、不動産建売会社で経験を積み、29歳で弊社に入社します。社長に就任したのは、39歳のときです。
ーー仕事をする上でどのような考え方や価値観を大切にしていますか。
難波孝憲:
私はトレイルランニングが趣味で、ゴールを定めてそこに向かって走っていくことが好きです。仕事も同様で、目標に向かって走り、それを越えることに喜びを感じています。人間は、現状維持を考えているときが一番楽です。ですが、120%、130%の目標に向かって努力しているときこそ、成長のチャンスだと思います。社員にとっては厳しい部分もあるかもしれませんが、困難を乗り越えて目標を達成し、人として成長する喜びを分かち合いたいですね。
現在は新たに会社を次のフェーズに成長させる「第二創業期」
ーー現在はどのような分野で事業を展開していますか。
難波孝憲:
「心豊かな暮らしの創造」をテーマに、木造の家づくりの事業を展開しています。お客様にとって住宅は人生最大の買い物なので、癒しや温かみを感じていただけるよう、「木」という素材にこだわっていきたいと考えています。柱や床材などに使用している素材は、すべて天然の木材です。特に柱には、私の出身地・岐阜県の東濃ヒノキを使用しています。「家」と言えばやはり「家庭」というイメージですよね。弊社は「温かみのある天然素材を使用して家を建てることで、お客様のご家庭も温かいものにしたい」という気持ちで、木造にこだわっているのです。
ーー社長に就任されてから、経営に対する考え方に変化がありましたか?
難波孝憲:
社長に就任してから、ハングリー精神にあふれた同業他社の社長たちの姿に触発され、「何のためにこの事業をやるのか」ということを考えるようになりました。現在、弊社は創業から79年目、愛知県に本社を移転して18年目です。私の社長就任当時と比べると、事業のフェーズが変わってきました。人の成長がそのまま会社の成長につながり、社会やお客様への貢献につながっていると気づいたのです。会社を育てていくための次のチャレンジをしているという意味で、現在の弊社のあり方を「第二創業期」と呼んでいます。
採用を強化し、会社としてさらなる成長を!
ーー今後、どのようなことに注力していきたいですか。
難波孝憲:
何よりもまず、採用を強化していきたいです。これまでは中途採用ばかりだったのですが、5年前から新卒採用も始めています。中途も新卒も、毎年3〜5人ずつくらいの採用を考えています。現在、社員は30名いますが、うち4割は営業職、6割は現場監督と設計士です。最近は特に営業職を増やしています。自立心があり、できないことの言い訳をせずに前向きに業務に取り組んでくれる方が来てくれると嬉しいですね。
ーー最後に、社長の夢を教えてください。
難波孝憲:
2029年度までに売上を25億円にし、社員を50名まで増やしたいです。現在の売上が11億円、社員数が30名なので、どちらも約2倍近くになりますね。弊社の事業は微増ながら右肩上がりで拡大しており、来店客数も増えています。最終的に私が63歳になる2037年に売上100億円達成を目標としておりますが、社員が成長して会社を盛り上げてくれれば、達成可能な数字であると信じています。私は70歳まで社長でいたいと考えているので、それまで社員と一緒に目標に向かって成長し続けていきたいと思います。
編集後記
木材は伐採されたあとも二酸化炭素を吸着する性質を持っており、建設時に排出する炭素の量も少ないため、カーボンニュートラル実現に貢献する素材として世界的に注目されている。令和3年の木造化推進法改正により、木材利用促進の対象が公共建築物から一般建築物にも拡大された。創業時から木材にこだわり、地域の家づくりに貢献してきた株式会社ナンバホームの事業は、より一層の温かさと環境にもやさしい空間を届けるに違いない。
難波孝憲/1974年、岐阜県生まれ。2003年に株式会社ナンバホームに入社、2013年に同社代表取締役に就任。趣味はトレイルランニングで、23㎞の大会に出場した経験もある。