インターマン株式会社は、「発見や創造の『ワクワク感』を伝える!増やす!育む!」という使命を掲げ、ものづくりからオフィスクリエーション、農水産や土木建築事業まで展開する、鹿児島市を拠点とする企業だ。鹿児島県日置市の戦国時代から続く、御田植え祭り「せっぺとべ(精一杯、跳べ)」を応援するなど、地元にも貢献している。同社を設立し、代表取締役社長を務める上田平重樹氏に、起業のきっかけや今後の目標をうかがった。
幼少時代と海外経験で育まれた自由な精神と行動力で学生時代に起業
ーー今の社長を形作っている原点を教えてください。
上田平重樹:
山間部で自由に育った幼少時代と、学生時代の海外経験が起業に影響していると思います。山の上のみかん畑で働く両親を呼んだこだまの響き、裏庭の小川で弟と一緒にやった砂金取りごっこ、母が買ってくれた「世界の財宝」という本に夢中になった日々、自然と戯れる大切な時間でした。
そんな環境で成長し、大学生になると「もっと大きな世界を見てみたい」と思い、行き先も決めず大阪港から上海へ渡りました。そのあと列車でウルムチへ向かい、そしてカシュガルへ。さらには中国を出て、バスで峠を越えパキスタンへ。
当時、紛争中だったアフガニスタンとの国境付近にある、部族が支配するトライバルエリアの街ダラなどを訪れました。時には政変に巻き込まれ、マニラ空港に閉じ込められることもありましたが、なんとか帰国できました。所持金がなくなり、成田空港の草むらで寝てから河岸で一夜を過ごし、鹿児島に帰ったことを覚えています。
人生一度きり。自由に考え行動し、さまざまなことにチャレンジしたいという冒険心は、こうした経験の積み重ねから育まれ、今も事業の根幹に生きていると思います。
ーー起業当時の印象的なエピソードを教えてください。
上田平重樹:
弊社を設立するきっかけになったのは、帰国後に手掛けた大学生向け企業紹介誌の発刊でした。当時は研究会として活動していたのですが、多くの企業とも関わるので、ならば会社を作ってみようと、自分達で法人登記を行いました。登記日はエイプリルフールの4月1日にしたので、冗談と好奇心が入り混じった感じでした。公証人役場で手数料が足りず、それぞれのポケットからお金を出して、やっと認証してもらいました。
情報誌は私自身が現地へ取材に行き、その内容をまとめて発刊していました。ものづくりのプロセスを楽しいと感じたのはこの頃からです。
設立当時は学生の身分ということもあり収益もありましたが、その後バブル崩壊にあい、十分な収益を得られなくなってしまいました。徐々に友人たちは会社を辞めていき、結果的に私だけが残りました。その間、水害の復旧作業など土木作業に従事したこともあり、後にグループ企業で土木事業を始めるきっかけになったかもしれません。
副業で始めた電話サービスや携帯電話のセールス活動によって、インターネットやデータベースの活用方法、テレマーケティングなどについて多くを学びました。そんな中、関東に住む高校の先輩から、偶然オフィス用品の通販サービスのチラシをもらったことから始めたオフィス向けの卸事業では、前述の学びが大きく役に立ったと思います。
「空中コンピューター®」の開発が新しい技術と発想を進化させる未来
ーー貴社ならではの強み、魅力はどういったものでしょうか?
上田平重樹:
弊社はオフィスクリエーション事業、プロダクト&サービス開発事業、自然資源開発・インフラ事業といった3本柱を軸に展開しています。いずれの事業でも、会社の行動指針である「アイデアをかたちにして『あなた』を喜ばそう」という気持ちで取り組んでいるのが魅力ではないでしょうか。
社内はフラットな組織で、皆が自由闊達に活動しています。具体的には、事業そのものを楽しむため、開発も自己完結というところでしょうか。社員が事業そのものを楽しんでいるのも特徴です。
ーー今の主力業務と並行して、今後力を入れたい事業はありますか?
上田平重樹:
グループ企業を含め、ものづくり、農業や土木、卸の分野で新しい発想による取り組みをしていきたいと考えています。
ものづくりの分野では、「空中コンピューター®」を開発しています。空中に浮かんだコンテンツを、ジェスチャーで自由自在に動かしたり、まるで実空間の中に入り込んだような没入感を生み出したりと、従来の平面画面ではできなかったことができるようになります。これにより、新しい空中コンピューティングの世界を切り拓くだけではなく、思考の進化も目指しています。さらには、新しいエンターテインメントや働き方、宇宙探索などの研究分野まで、事業の可能性は無限なのではないかと考えています。今はまだスタートアップの段階ですが、今後は協力してくれる企業も巻き込みながら、事業化を目指しています。
農業分野では、山間部など労働集約が難しい農地でロボットなどを活用し、地域の食料自給率向上に取り組みたいと考えています。「食は、繁栄のための100年の計」これは父から受け継ぐ言葉です。
卸の分野では、現時点でもさまざまなモノの調達を行っていますが、今後は新しいテクノロジーを駆使し、「モノの調達」から「コト作り」ができる業態への転換を目指しています。
自由なアイデアを出し合い、世界中の人が集う拠点を目指す
ーー今後の展望をお聞かせください。
上田平重樹:
スタッフにはお互い切磋琢磨して、自由にアイデアを出し合いながら、それを形にしていってほしいですね。自分自身で積極的に行動しないと、すばらしいものは生み出せません。当然、企業ですから利益を生み出す流れをつくりながら、さまざまな分野に挑戦してもらいたいと考えています。
そして10年後には仲間を500名に増やし、世界中の3000万人とつながる事業へと発展させていきたいですね。
弊社オフィスからは、新幹線の乗り場が見えるんですよ。出張するスタッフがホームから手を振れば、社内の誰かが手を振り返してくれます。日本の南の出発点にある鹿児島中央駅からは、福岡、大阪、東京へ出かけることもあるでしょうし、逆も然りです。ここは近代日本、今の東京を作った鹿児島の中心地であり、日本中、そして世界へとつながっている入口です。私たちも世界の人々が集まる企業でありたいと考えています。
このオフィスは「空中コンピューター®」のショールームも兼ねていて、最近は『SPLASH西郷DON』という、新技術と地域を融合させた展示もしています。空中に浮かび上がる立体映像をインタラクティブに操作し、西郷さんや桜島などに自在に変化させるコンテンツも開発しました。また、東京の神田明神さんとコラボしたコンテンツもあります。「百聞は一見に如かず」ぜひ驚きの体験にいらしてください。
最後になりましたが、紆余曲折の事業活動、創業時に何者でもない若者を応援してくれた大人がいたことに、とても感謝しています。採算度外視で雑誌の印刷をしてくれた印刷会社の常務、会社案内を大きな金額で任せてくれた木材会社の社長、使途を問わない販促のためのお金をポンと出してくれた大学の大先輩、ペイフォワードではないですが、次は私の番かなとも思います。
編集後記
型にはまらない自由な発想でサービス運営・製品開発に取り組むインターマン株式会社。より尖ったサービスや製品を生み出したいという上田平重樹氏の熱い思いが伝わってきた。提供するのは技術やサービスだけではない。「その技術があればどんなことが可能になるか」という発想とともに、思考の進化も目指すという。同社が描く未来は私たちの「新たな未知の体験」でもある。その日が来るのは決して遠くないはずだ。
上田平重樹/1967年、鹿児島県生まれ。学生時代に有限会社インターマンを設立し、代表取締役社長に就任。情報誌発刊から始まり、2002年に株式会社に移行。現在は、グループ企業を含め、ものづくり、医療用品やオフィス用品の卸事業、農水、土木事業も手掛ける。開発した遮音型電話ブースはグッドデザイン賞を受賞し、2021年中学校美術の教科書に「安心と安全のデザイン」として掲載される。現在、リアルな空中映像を自由自在に動かす「AERIAL COMPUTER®/空中コンピューター®」の開発、事業化を狙う。