※本ページ内の情報は2025年1月時点のものです。

株式会社新宝島ホールディングスは、2024年現在20の企業から成る多角的な事業を行う会社だ。起業してから11年間、存続の危機にある企業の事業再生を行い、子会社化することで成長を実現してきた。

同社が成長を続ける理由を知るには、創業者であり代表取締役である中野穣二氏による「企業再生の取り組み」を紐解く必要がある。中野社長にこれまでのキャリアや同社が企業再生に尽力する理由、将来のビジョンなどについて話を聞いた。

新宝島ホールディングスの事業概要とグループの構造

ーー貴社がグループを拡大してきた背景を教えてください。

中野穣二:
新宝島ホールディングスを一言で表すと「多様な企業の集まり」という表現が近いでしょう。新宝島ホールディングスには2024年時点で17の会社が属しており、採用コンサルティングから旅行代理店、出版、衣料品まで多岐にわたる事業を行っています。

弊社が子会社を増やし続けている背景には、さまざまな経営者様との出会いが関係しています。私は、困っている会社を見つけると「なんとか再生できないか」と考えてしまう性分であることから、企業の再生を続けてきた結果、再生した企業が集まる多様性のあるホールディングスへと成長したのです。

幼少期の「人助けがしたい」夢を経営者になることで実現

ーー中野社長の経歴をお聞かせください。

中野穣二:
私は幼い頃、施設から引き取ってくれた養父母に育てられました。大切に育ててくれた養父母を見て、自然と自分も「人助けがしたい」と考えるようになっていました。そんな生活の中、8歳のときに叔父からもらった「お前は経営者になるべきだ」という言葉がキッカケとなり、「人助けのため」を軸に経営者としての道を目指すようになったのです。

その後、社会人になった私は、総合化学メーカーの東亞合成株式会社に就職しました。同社では、日本初の電気自動車をはじめ、数々のヒット商品の開発に携わり、ありがたいことに社長表彰もいただきました。

東亜合成での仕事が順調に進む中、私が30歳手前のときに養父母が亡くなりました。これがキャリアを考え直すきっかけとなり、かねてより目指していた経営者としての人生を決意。31歳のときに、オフィスビルの賃貸仲介を行う不動産事業で起業しました。

それからしばらくは、不動産事業を営んでいましたが、あるとき、知り合いの経営者から話を持ち掛けられて、企業再生事業の道を歩むことになります。

ーー新たな事業の道を歩むきっかけとなった相談はどのようなものだったのですか?

中野穣二:
茨城県にある建設会社の資金繰りに関する相談です。その建設会社は急逝した社長の後継者が不在で、債務超過に陥っていたために手を差し伸べる企業はなく、存続の危機にありました。私はその会社を放っておくことができず、思い切って企業再生を引き受けることにしたのです。

やるからには全力で取り組みたいという思いから、住居を茨城県へと移し、さらに「茨城県民向け無利子融資」を受けるために住民票も移動しました。こうしてまとまった資金の確保に成功した私は、赤字の原因になっていたレンタル代金を解消するべく、重機を購入しました。無事、毎月のキャッシュフローを健全化し、企業再生を成功させるに至りました。

これ以降、私はこの企業再生から得た知見を活かし、さまざまな企業再生に取り組むようになりました。関東圏だけにはとどまらず、大阪府の中小企業活性化協議会から依頼をいただくこともあり、再生を行った企業は手放すことなくグループに組み入れ続けています。

徹底して売上にこだわる気持ちが、年間売上100億円を実現する

ーー中野社長が考える「企業の売上を改善するために重要なこと」は何でしょうか?

中野穣二:
目標達成の為の手段や方法を見つけること。企業独自の利益を確保できる方法を見つけることが重要だと考えています。直近の例でいうと、スーパーマーケット事業を再生したときには、今まで当たり前に利用していた電気料金の契約を見直し、月に700万円、年間で8400万円ものコスト削減を達成しました。これ以上の改善策がないと思っていても、気づけていない部分も実は多かったりするのです。

もう一つ重要なことが「何がなんでも目標を達成しよう」という心構えを持つことです。自分で掲げた目標に対しては、強い意志で邁進するべきだと考えています。そんな意思があったからこそ、少しずつホールディングスが大きくなったと思いますし、売上もそれに比例して上がってきたと思っています。

1兆円企業に近づくカギは、果たすべき役割への理解と尽力

ーー今後の目標をお聞かせください。

中野穣二:
2030年に「売上1兆円企業」の達成を目指しています。この数字を聞いて驚く人も多いと思いますが、私は何が何でも達成します。現在は約400億円なので、かなり険しい道のりですが、弊社が果たすべき「中小企業を再生して日本を元気にする」という役割に全力を投じていけば道は開けると信じています。

弊社ではこの目標を実現するために「情熱的に生きる」「自分のできる範囲で他人のために尽くす」という2つのスローガンを掲げています。

これらのスローガンは、自分たちの行動を振り返るための指針であり、同時に夢への道しるべでもあります。果たすべき目的と目指すべき目標を社員一人ひとりが意識し、日々の業務の意味を認識できるようになると、長期的な成長につながると思っています。

ーー貴社にはどのような人材が適しているでしょうか?

中野穣二:
向上心とチャレンジ精神がある方が向いていると思います。弊社には20代から社長職を任せられる環境があるので、社長職や経営について学びたい若手にとって絶好の環境になるはずです。

弊社には企業再生を果たした多様な会社が属しているので、さまざまな業界で実力を発揮するチャンスがあります。弊社にやってくるさまざまな人材が、自分に合った分野で努力の芽を出して能力を発揮してくれたら嬉しいですね。

編集後記

中野社長の企業再生は社会貢献としての意味合いが大きいものだ。しかし、結果的に同社の成長につながっているのは、その過程で培われた信頼が成長の促進剤になっているからだろう。中小企業の後継者問題が加速する中、中野社長が歩んできた再生と成長の歴史は、中小企業の未来に希望を抱かせるものだ。

中野穣二/中央大学卒業。東亞合成株式会社入社。2013年には有限会社茨城計測代表取締役に就任し、事業再生を行う。それをきっかけに、中小企業再生支援協議会等より依頼され、数十社の事業再生を行う。2016年、株式会社アローズコーポレーション代表取締役に就任。2016年、マルックス株式会社代表取締役に就任。2020年、三志繊維株式会社代表取締役に就任。2021年、株式会社新宝島ホールディングス代表取締役に就任。