※本ページ内の情報は2025年1月時点のものです。

テレビの報道や情報番組で「写真:アフロ」というクレジットを見たことがある人も多いのではないか。メディアや広告物に向けた写真・動画などのコンテンツの提供をメイン事業とする株式会社アフロ。他にも、写真撮影や動画編集、画像処理、イラストやフォント・プリントの販売など、幅広いサービスを展開している。

自身もフォトグラファーとして活躍する代表取締役、青木紘二氏にこれまでの軌跡や事業への思いについてうかがった。

スキー教師からプロカメラマンの道へ

ーープロカメラマンになるまでの経緯を教えてください。

青木紘二:
小学生の頃から映画が好きで、中学、高校時代に私が書いた映画のレビューが雑誌に載ったこともあり、映画に関わる仕事がしたいと思っていました。ただ、ヨーロッパの映画を観るときに思想の違いからセリフの真意を読み取れないことにもどかしさを感じていたため、現地の思想や文化を学ぶことで映画評論の質を上げれば、映画づくりに参加できるのではないかと考え、スイスに留学して現地の哲学や宗教を学ぶことを決意しました。

留学中にスキー場でアルバイトを始めたことをきっかけに、スイスでスキー教師の国家資格を取得し、5シーズンの間スキー教師をしつつ、学生時代に志した映画の仕事に再び挑戦しようと思いました。しかし、当時はテレビ業界が盛り上がりを見せる一方で、映画産業は斜陽な時期で映画の仕事は見つかりませんでした。そこで、1976年に大好きな映像に関連する仕事で自分一人でできる仕事をしようと考えカメラマンになる道を選びました。

父が熱心なアマチュアカメラマンだったことが影響して、子どもの頃から自分でプリントも手がけていたため、写真には親しみがありました。ヨーロッパ滞在中にも写真雑誌や映画雑誌を見て「自分にも撮れるのではないか」と思っていたくらいです。

カメラマンに転向して4年でフォトエージェンシーを設立

ーープロカメラマンに転向した当初のお話をお聞かせください。

青木紘二:
当時は英語を話せる日本人が少なかった上に、私はヨーロッパのスキー場に詳しく、通訳、ガイド、カメラマンを兼任することができたので、航空会社の海外旅行パッケージツアーの仕事を任せてもらえたのです。そのうちにスキーツアーの企画の相談も受けるようになり、担当者から「写真を撮ってきたら優先的に使いますよ」と言われて、1年中写真を撮っていました。
自分の実力を試したいと思い、広告代理店に写真を持って行ったところ、「このまま広告に使えるよ」と、連載に採用されたことで自信がつきました。当初は収入が良い広告撮影がメインでしたが、その後、スキー雑誌や旅行雑誌で年間300ページ以上を担当し、収入が増えたこともあり、1980年にアフロフォトエージェンシーを設立したのです。

ーー会社設立後はどのように事業を展開していきましたか?

青木紘二:
会社を設立した頃はバブル景気で、フォトエージェンシー(写真専門の代理業)は300社近くあり、写真のニーズが高い時代でした。ライバルがひしめく中、事務員の女性1人と私のたった二人で会社を立ち上げました。

小さな会社でしたが、長年の海外暮らしで培ったコネクションを生かして、海外で仲良くなったカメラマンたちからも写真を集めることができ、写真を集める基盤を作ることができました。スイスを拠点に撮影を行い、広告撮影で売上を立てていましたが、フォトエージェンシーとしては会社の売上はさほど伸びず、10年経ってようやく5名の社員を雇える程度の規模でした。

雑誌向けの写真を撮り始めた頃に、イギリスのスポーツ専門エージェンシーであるオールスポーツ(当時)の社長と出会いました。最初は相手にされなかったものの、1991年に日本で初めて開かれた世界陸上選手権大会の際に社長を弊社に招き、「うちを日本の代理店にしてもらえればオールスポーツを日本で有名にしてみせる」と言い切ると、喜んで任せてくれたのです。また、10年以上世界からオリジナリティのある写真を集めることに邁進したことが功を奏したのか、1990年代は写真を掲載したカタログ販売でも成功し、順調に売上を伸ばしていきました。

オリンピックの感動をカタチとして残す

ーー日本オリンピック委員会(JOC)のオフィシャルフォトエージェンシーになったきっかけを教えてください。

青木紘二:
オリンピックが大好きな少年だったこともあり、1998年の長野オリンピックの際に長野県庁に「写真集をつくってオリンピックの歴史を残したい」と熱心に伝えたところ、オフィシャルフォトエージェンシーになることができたのです。それからオリンピックのJOC公式写真集を制作するようになり、今も継続しています。将来的には、ダイジェスト版をつくって全国の中学校に寄贈したいと考えています。

ーー貴社は世界中からコンテンツを収集していますね。

青木紘二:
日本では海外ニュースに興味がない人が多く、テレビでも海外に関するニュースが非常に少ないことに危機感を抱いていました。そこで、「代理店がニュース写真を扱っても儲からない」という周りの反対を押し切り、世界の通信社にアプローチして、最新のトピックや歴史的なアーカイブ写真を配信したいと交渉しました。その結果、今や、世界3大通信社であるロイター通信、AP通信、フランス通信社(AFP)だけでなく、中国の通信社や日本国内の新聞社とも提携するまでに成長しています。

「好き」を活かせる職場で楽しんで仕事をしてほしい

ーーどのような人材を求めていますか?

青木紘二:
採用では人柄を重視しています。写真やニュースや映像、スポーツ、また教育関連のことが好きな方に来てほしいですね。また、システム開発も自社で行っているので、一緒に事業を発展させていきたいという思いを持ったシステムエンジニアも募集しています。

弊社は好きなことを仕事にできる環境であり、和気あいあいとした雰囲気が自慢でもあります。社員には何よりも楽しんで仕事をしてほしいですね。

ーー今後の事業への思いをお聞かせください。

青木紘二:
生成AIによる画像が今後も増えていくと考えられますが、本物の写真の需要がなくなるわけではないと思います。たとえば、カレンダーによく利用される風景写真は、生成画像ではなく、本物の写真が好まれます。今後はAIと上手く付き合っていきながら、どういうものが実画像として重宝されるのか考えて運営していきたいですね。

編集後記

卓越した行動力で成し遂げたいと思ったことを実現し、事業を展開してきた青木社長は「楽しいと思うことをやってきただけだ」と自身の経験を振り返る。社長自身の仕事を楽しむ気持ちが、社内の和気あいあいと互いに助け合う雰囲気をつくり出しているのだと感じた。ビジュアルコンテンツにまつわる幅広いビジネスを展開する株式会社アフロは、これからも世の中に感動を与え続けるだろう。

青木紘二/富山県出身。1968年、スイスにて宗教・哲学を学ぶ。スイス連邦公認上級国家スキー教師の資格を取得し、スイスおよび日本でプロのスキー教師を経験。1976年からプロカメラマンの仕事を始め、1980年に現在の株式会社アフロ創業。カメラマンとしてオリンピックの撮影を数多く経験。2024パリオリンピックまで21大会を撮影し、1998年の長野オリンピック以降は日本オリンピック委員会オフィシャルフォトチームのリーダーとして活躍している。東京オリンピックでは2020年までフォトチーフを務めた。